卒業
アテネ芸術高等学校。
未来の文化を担うプロフェッショナルの育成・輩出を目的に、芸能・芸術に特化した専門的な教育を行う学校である。
「芸を培う」という教育モットーの下、芸能科、被服科、音楽科、映像技術科、総合マネジメント科の、5つの学科が設けられている。
現在の生徒数は、約1300名。各学科3クラスと少なく、毎年受験の倍率が高い。選りすぐりの精鋭のみが、門をくぐることができる。
学び舎は、都内にそびえる中世ヨーロッパ風の建物。一見学校らしくないそこは、学校名および質の高さを売りこむがごとく、外装にとにかく力を入れている。どこで写真を撮っても見栄えがよく、観光地のひとつとして知られるようになった。当然ながら内装も非常に整っており、教育のための設備や道具が贅沢に完備されてある。
卒業生には各界隈の著名人が数多く名を連ねる。特に芸能科のレベルは高い。今年もまた、大スターになる、いいや、もうすでになっているといっても過言ではない優等生を、送り出す。
――はずだった。
「卒業証書授与」
美声が反響する。特別講師としてときどき招かれていた芸能科OGの人気声優が、卒業式の司会を務めるなんて、ウチくらいだろう。
広々とした講堂は、500名弱の卒業生を難なく収容できる。制服の着方でどこにどの学科がまとまっているかがわかった。
各学科の代表者が卒業証書を受け取る。第一ボタンまできっちりとめている総合マネジメント科、最も高校生らしく着用している映像技術科、品よく着崩している音楽科。そして、もはや制服の原型がわからない被服科の代表は、比較的真面目に着ている、わたしだ。
「卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます」
壇上にいる校長から、金箔を施した特製の厚紙を受け取る。
彼はかつてショービジネスを牽引したファッションリーダーで、本校創設に携わったひとりだ。
肌に衰えを感じさせない色男で、派手な色のネクタイをしていても顔が負けていない。実年齢が60近いとは到底思えない。
わたしはロボットみたく静と動を切り替えながら彼と別れると、代わりに、別の代表者が木製の階段を上がっていった。
最後はウチの花形、芸能科。制服の着こなしに統一性がなくとも、なんとなく目を引く――カリスマたち。そんな彼らを率いる代表者は、いわば学校の顔といえるだろう。
今、とある男子生徒が校長と向かい合っている。卒業証書を手に、一礼。座席側にも一礼すれば、他学科から押し殺しきれない黄色い声が漏れる。彼は慣れた手つきでひかえめなファンサービスをし、華麗にステージをあとにした。
彼は、アイドルだ。『GaoR』とかいうかっこつけた名前のグループで、ちやほやされて調子に乗っている。見ていてちょっとイタイ。
ボロクソ思われているのを察してか、彼はわたしを見て鼻で笑いやがった。仕返しに横を通るとき足をひっかけてやる。地味にこける彼に、わたしは素知らぬふり。
アイドル様にそんなことをして許されるのは、姉であるわたしの特権だ。
このあと弟は、学科限定から卒業生全体の代表にランクアップし、みんなの前で答辞を読むという重大な役目をまっとうしなければならない。
めったに緊張しないタイプなのに、今日ばかりはガッチガチに緊張しているようだ。職業病なのか、ステージに上がるときれいに見栄を張っていたものの、その前後はぜったいにファンには見せられない顔をしていた。
心から同情する。
だから、ちょっとしたいたずらで、緊張をほぐしてやろうとしたのだ。家族思いだと思わないか。
鼻をすする音がする。嗚咽が響く。ひとり泣くと、またひとり泣き始める。先生も泣いていた。
みんな、どこか、むなしさのようなものを漂わせていた。
音楽科OBOGによる特別演奏をバックに、校長や来賓の方々のお祝いの言葉が長々と続く。長すぎて一曲二曲と終わり、次いで奏でられるのは、定番の卒業ソング。豪華なオーケストラバージョンで始まったそれは、式の締めに卒業生全員で合唱する予定の曲だった。
すると意外にも、芸能科の人たちが真っ先に崩れ落ちた。美男美女の慟哭が感染し、ささやかな嗚咽程度だった雰囲気が、瞬く間にシリアスになっていく。
学校にちゃんと通えた人はあまりいなかっただろうに、あんなにも胸をつまらせている。
……わかっている、理由は明白だ。
卒業式などの行事ごとは、原則参加のため、多忙な芸能科でもほとんどの生徒が参列している。参列できるようスケジュールを調整し、式の日程を比較的遅めに設定したのだ。
しかし、その中にぽつんと空いた席が、ひとつ。そこにあらゆる感情が向けられていた。
そこにいるべき人が、いない。
いなくなった。
昨日、忽然と。
「卒業生答辞。卒業生代表、かすが――」
ザザ、とノイズが生じる。動揺が走る。ぽっかり喪失したこの場にとどめを刺された。
司会者はさすが仕事人、元どおりの声色で訂正する。
呼ばれたのは、そう、弟の名前だ。
彼は手と足を一緒に出しながらステージの中央に立った。はじめの時候の挨拶で「春」と言っただけで、泣き声が大きくなる。彼の目も赤らんでいた。
やっぱり、かわいそうだな、と思う。
彼は単なる補欠。トップの座を借りているだけに過ぎない。彼自身、それを十分すぎるほど理解している。優等生の代役のほうが、ある意味荷が重いだろう。
本来なら、檀上で笑っているのは、かの少女のはずだった。バケモノぞろいの芸能科から一目置かれ、まるで高嶺の花だった。ああいう人がスターになるべきなのだと、おそらく誰もが信じていた。
昨晩、その話をしたばかりだ。ひさしぶりに家族そろって鍋を囲いながら、弟がしみじみと憧憬を語っていたのを思い出す。だからこそ、今朝がた頼まれた役目を、しかとこなしているのだ。
「――私たちは、本日、ここを旅立ちます」
ステージが遠く感じる。
あの日の青春が、もう、あんなに遠い。別れの言葉が似合うようになるほど、あれも、これも、思い出に成り果てた。
わたしの高校3年間が、終わってしまう。
こんなふうになるなんて思わなかった。




