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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
おひいちゃんについて
24/43

桜前線⑷



午後5時40分。


自宅に到着。両親はまだ帰ってきてない。玄関の置時計を尻目に、自室へ直行した。


コートを脱ぎながらパソコンを起動し、学ランをかけながらパスワードを入力する。あわただしくカバンから携帯、ペットボトル、宿題を出す。


ピコンと音が鳴る。稜花さんから写真に対しての返信が来た。『なにこれさいこう』わかる。動画も送ってあげた。




「よし」




着席して精神統一。


準備OK。


いざ参らん!



株式会社チヨ子のサイトを開いた。トップページに駅で見た広告が使われていて、早速テンションが上がる。その真下に、ほやほやのCMがご丁寧に設置されていた。ありがとうチヨ子。


クリック。動画をフルスクリーンにし、またクリック。再生される。




『あ、ねえねえ、こっち!』




ドキッとした。


おひいちゃんに上目遣いされてる。ぼくに、している。


そういう作りの動画だった。彼女目線的なあれ。相手役の視点になるよう、カメラを回してある。


画面の下方から覗く男っぽい腕を、彼女は両手で引っ張る。オーバーサイズのVネックの白ニットにより、自然と萌え袖になっている。ぼくは黙ってぐっと拳を握った。


カウンターキッチンへ連れていくと、首をこてんとかしげ、ほほえみかけた。




『今年は、一緒に作ろ?』


「っ作る!!!」




思わず叫んでしまった。心臓がもたない。


動画を一時停止した。タイミングを図らずとも、美しい画は崩れない。



は? 無理。しんどい。好き。


深呼吸をした。覚悟を決めて、続きを流す。



お菓子作りが始まった。ガトーショコラのレシピが描かれたかわいらしいメモが、一瞬画角に入る。


彼女は真っ赤なエプロンを身につけ、真っ赤なシュシュでラフなおだんごをつくる。その一部始終をななめうしろからおさめるというセンス。最高。



料理の過程は、カットをつなげながらテンポよく進んだ。


板チョコを刻む彼女が、そのひとかけらをこっそり食べる。バレちゃった、と恥じらう横顔がドアップになり、意識が飛ぶかと思った。


ガトーショコラができあがると、あーん、と相手――ぼくに食べさせる。そのふり。伸ばされた手は引き返され、自分の口へ運んでしまう。やることがいちいちずるい。




『一緒だと、もっと甘く感じるね』




甘いのは! どっちだ! もう!!


とろけてしまいそうな糖度の高い声音に、耳が熱くなっていく。


瀕死状態のぼくに追い打ちをかけるかのごとく、彼女の顔が近づいてくる。待って待って、とカーソルを動かそうとするも、間に合わない。待ってくれない。




『好きだよ』




まさかのウィスパーボイス。


椅子から転げ落ちた。頭上には、いたずらに成功して満足気な彼女がいる。心臓をぎゅっと押さえた。


ようやくチヨ子のテロップが出てきて、ひと息ついた。




「はあー……かわいい」




最初から最後まで、ぜんぶ、かわいい。むちゃくちゃかわいい。


え、これ合法なんだよね? 無料で見ちゃって大丈夫? このかわいさがタダ? え? レジ袋は有料なのに? 世界バグってね? どうなってんの? 世界に見つかっちゃうよ? うちの推しのかわいさは文化や言語の壁を越える。余裕で世界新記録更新しちゃう。かわいかろう、そうだろう! かわいすぎてチョコレートどころじゃない件について。ごめんチヨ子。商品買うから許して。いえむしろ買わせてください。


おひいちゃんがかわいすぎて、有罪。好き。もっとやってくれ。




「かわいいは正義だわまじで……」




――だってわたし、おひいちゃんみたいにかわいくないから。




稜花さんに感想を送ろうとした手を、止めた。


彼女のやるせない笑みが脳裏によぎった。熱が急激に引いていく。胸のあたりがチクチクし始める。


かわいいかわいいと連呼したメッセージを、送れるはずがなかった。怖かった。なぜか泣きたくなる。



おひいちゃんは、かわいいよ。特別だよ。


でも。


……でも。




『チョコ、一緒に作ってみねえ?』


「!?」




突然の男の声に、体が飛び跳ねた。



動画、終わったんじゃなかったのか……!?


暗くなっていたはずの画面から、目の大きなイケメンに手招きされた。


この動画は、2人の視点を合体させたフルバージョンだったらしい。



赤いタートルネックのセーターを着た彼は、カウンター越しに相手を誘い、材料や道具をそろえたキッチンで待ちかまえている。


彼の真正面にいたカメラが彼の真横へ移ると、彼はうれしそうににやけた。それを隠す素振りをして、作業を始める。


トリュフとクッキーのレシピが仲良く並べてある。おひいちゃんのときは同じものを作っていたけれど、彼の場合、別々のものを作るようだ。




『ここ、ついてんぞ』




笑いながらこちらに手を伸ばす。頬についたクリームを拭ってあげたのだろう、指についたそれを舐めた。こいつぁモテる。


完成したお菓子をそれぞれ皿に盛り付けた。




『ん。交換』




デコレーションを終えた皿ごと、場所を入れ替えた。一度目を逸らし、伏し目がちにトリュフとクッキーを眺める。照れくさそうに左の口角を大きく上げる。




『いつもありがとな』




うっ。なんでだろう、なんか、きゅんとした。


これが、噂のフーゴという男。おそるべし。


同性のぼくまで魅了されるとは思わなかった。かわいいだけじゃなくて、かっこいいも正義だったということか。なるほど。


よくよく見ると、おひいちゃんに似ていなくもない。……自分で言うのもなんだが、一度ときめいただけでちょろくないか。



形容しがたい、けれども悪くない情動に、体内を埋め尽くされる。


もう一回はじめから見返した。これを観ながらごはん3杯いけます。



結果、動画を3周し、おひいちゃんの出演している前半部分をもう3回おかわりした。おなかいっぱい、胸もいっぱい。気分よくサイトを閉じようとしたら、動画の最後に関連動画がいくつか表示された。




「……スペシャル動画?」




左端の動画のタイトルにそう記載されていた。サムネにはおひいちゃんとカメラなどの機材が写っている。メイキングだろうか。


試しに開いてみた。


冒頭、先ほどまでたっぷり堪能していたCMが15秒のショートバージョンで流れていく。ラストにチヨ子のロゴを掲げ、CMは終了。するとチョコレートが溶けていくようなアニメーションで、映像が切り替わる。




「あっ、おひいちゃんだ!」




クランクインの様子だ。白ニット姿の彼女が深く礼を執っている。


場面はころころ変わった。チヨ子のCMでおなじみの曲をBGMに、今回のメイキングムービーのダイジェストを簡単に紹介してくれているようだった。その大部分におひいちゃんがいるけれど、フーゴの姿は見当たらない。


クランクインもおひいちゃんのだけだったし、もしかしたらスペシャル動画も2人それぞれに分けて作ってあるのかもしれない。きっとそうだ、と自分を納得させている間に、ダイジェストが終わった。


暗転。ぱっと白い光が点く。




『みなさん、こんにちは!』




おじさんが現れた。



え? メイキングは?


いよいよ撮影の裏側が来ると期待していたら、変なサングラスをかけた中年男をソロで映され、呆然としてしまう。


おひいちゃんでもフーゴでもなく、おじさん。なぜ。


このおじさんが誰なのかは知っている。お笑い芸人のツッコミの人だ。レギュラー番組を8本持っていて、テレビで見ない日はない。そんな人がどうしてチヨ子の動画に出ているのだろう。実はCMに出ていた? そんなまさか。




『シキゴリゴリの伊藤(イトウ)です。なんでこいつがいるんだ!? と思っているそこの君!』




よ、読まれてる……!




『それは、このわたくしが今回CMの監督を務めさせていただいたからですっ!』


「え!」




あ、つい声が。




『今日は、芸人ではなく監督として、お話していきますのでどうぞよろしくお願いします』




そういうことだったのか……。おじさんおじさんと不躾な呼び方をしてしまい大変失礼いたしました。すてきなCMをありがとうございます。


画面越しに合掌し、謝罪と感謝の念を送る。あとで動画のコメントも送ろう。念だけじゃ伝えきれない。




『ひとりで話すと思ってます? ……ノン! 本命のあの子にも来ていただいてますよ』




こちらの方です! と大きく右腕を振り、示したほうへカメラが動かされる。




『皆様、こんにちは。春日野妃希です。よろしくお願いします』


「待ってましたー!」




盛大な拍手をした。


彼女はCMで着用していた白いニットを着ていた。さすが、わかってらっしゃる。さらに手を強く叩いた。


カメラサイズが引いていく。真っ白なスタジオに、2人。隣り合わせの木製の椅子に座っている。うしろにはチヨ子の商品やハートの風船が装飾されていた。




『ひさしぶりだね、妃希ちゃん。撮影ぶり?』


『そうですね。でも会うと、ひさしぶりな感じがあまりしないです』


『撮影から今日まであっという間だったもんね』


『はい』


『完成したCMはもう見た?』


『先ほど拝見しました』


『どうだった?』


『実際に撮影したときよりも、甘い雰囲気に仕上がっていて、ちょっとびっくりしました』


『自分で見るとこそばゆいよね』




おひいちゃんは曖昧にうなずく。


伊藤さんは笑いながらサングラスをくいとかけ直した。




『バレンタインらしく、よくできていたのではないでしょうか! 監督わたしだけど』




スタッフの笑い声が聞こえる。伊藤さんはひととおりへこへこすると、椅子の背もたれに体重を預けた。ほくほく顔で顎を触る。




『それにしても、アレ、わかんないもんだねえ』


『そうですね、意外と』


『見た方は気づいたかな』


『どうでしょう。ファンの方々は気づいてらっしゃるかもしれませんね』




アレって何? 気づくって何?


え、え、何の話?


まじで伊藤さん、CMに出てた? 何か仕掛けがあった?


何回も観賞したけど、引っかかるようなところは特になかった。……はず。自信なくなってきた。ええ、何のことだろう。




『何の話? と思ってるそこの君!』




また読まれた! この部屋、監視されてる?


きょろきょろ部屋中を見渡す。すると『じ、つ、は』ともったいぶった言い方に、セルフでドラムロールの効果音が付け足され、反射的に姿勢を正した。




『CMに出てる女の子と男の子、どちらも妃希ちゃんが演じているんですっ!』


「……はい?」




思考回路がエラーを起こした。うまく読み込めない。


10秒前に巻き戻し、確認してみる。やはり同じことを言っている。ぼくは頭を抱えた。



前半はともかく、後半のイケメンも同一人物だとは、あまりに信じがたい。


おひいちゃんに似ているとは思った。思ったけど……!


駅の女子高生だって、疑いはしていたものの、本人ぽいって言っていたじゃないか。どうなっているんだ。



プロ詐欺師のような芸当が、現実で成し得られるものなのか?


演者は、あの、春日野妃希だ。


そういえば過去に似たような演技をやり切っていた。そうだ、彼女はそういう人だった。



瞬間、頭がすっきりした。




『最初はどうなるかと思ったけど……ねっ』


『無事に完成してよかったです』




こうなったのには海より深い理由があるんです。そう前置きをして、伊藤さんは視聴者向けに説明を始めた。




『10代目イメージキャラクターは、もうひとり、べっらぼうにイカした男がいることはご存知ですよね? そう! 人気アイドル、フーゴくんです』




人差し指を立てた先に、フーゴの宣材写真が掲示される。小さな顔のわりに大きな黒い瞳。こうして本人を目の当たりにしても、CMのイケメンと大差ないように感じる。




『彼がですねえ、急遽撮影に来れなくなっちゃって』


『ライブで足を骨折してしまったんですよね』


『そうそう。それで熱まで出ちゃって、病院に行ったら、思いのほか重傷だったみたいで』


『今、入院されてるんですよね。お元気だといいんですが……』


『元気、元気! 連絡取り合ってるんだけど、めっちゃ元気だって』




それを聞いて彼女は愁眉を開いた。


宣材写真の下に、現在は自宅療養中です、と注意書きが添えられる。健康を気遣うコメントをしつつ、『ですが!』と伊藤さんは語気を強めた。




『診察した日と撮影日が、奇しくも重なってしまって。連絡が来たのが、たしか、妃希ちゃんがクランクインしたときくらいかな』


『あのときはみなさん、いろんな意味で大変そうでしたね』


『どうするどうする!? って、みーんなあわてちゃってね。フーゴくん本人も、捻挫くらいだろうと怪我を侮っていたらしくて、大事になってしまったことに申し訳なさそうにしていました』




怪我には気をつけましょう、と丸っこいフォントのテロップが出る。




『代役を立てるか、日にちをずらすか、いろいろと揉めまして。そんなとき、彼女から鶴のひと声が』




彼女がドアップで映され、キラキラと星の降るエフェクトをかけられる。




『わたしが彼の分もやってみましょうか、と』




彼女の口は動いていない。伊藤さんの声だとわかっているのに、彼女自身がそう告げている光景がいとも簡単に想像できた。


ぼくたちファンは、知っている。


彼女はプロだ。日々時間に追われる世界で、常にそつなく、120%の力を発揮する。その延長線上で、いつも、誰かが救われているのだ。




『妃希ちゃんが神様に見えたよ』


『いえいえ、そんな……』


『しかもちゃんとやってのけちゃうの。すごくない!? フーゴくんも感謝してたよ』




一貫として謙遜し続ける彼女に、彼は絶えず賞賛を送った。


もっと言ってあげてほしい。彼女が当たり前にしていることは、けっして当たり前じゃない。やさしさだけではヒトは動けない。彼女はすごいのだ。すごい人なのだ。それを彼女自身が一番知らずにいる。




『フーゴくんはどうなるの? と心配してる方々、安心してください。彼、ホワイトデーに大活躍します。乞うご期待!』




次回予告のノリでちゃっかり匂わせる。カンペでも出されたのか、視線をやや下に向けた。




『おっ。そのときのメイキング映像があるそうなので、ご覧いただきましょう。どうぞ!』





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