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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
おひいちゃんについて
23/43

桜前線⑶




――拝啓、おひいちゃん。



そんで、時候の挨拶っと。あ、いや、待てよ。最初の宛名くらいはきっちりフルネーム書いたほうがいいかな。固すぎ? 気ぃ遣いすぎ? でも悪い印象を持たれたくないし、あわよくば喜んでもらいたい。てか、ぼくの字ちょっと下手くね?


書き直し、書き直し。


右側にがたつく木製の机に、消しカスが飛んだ。ぐしゃりと便せんにしわが寄る。気を取り直し、新しい紙を取った。いつかのトメハネハライを真似し、この世で最も尊い名前を記していく。




「おはよ」


「っ!?」




最後の一画のところで、びくりと心臓が跳ねた。すぐさま机の上をかばうように突っ伏し、声のしたななめうしろを見やる。


席替えをしてうしろの席になった稜花さんが、首をかしげていた。なんだきみか、と胸を撫でおろし、上半身を起こす。




「一紀くん何してるの?」


「えっと……」


「ははーん。あれか、ファンレターか」




ところどころ震えている黒のインクで、春日野妃希、の文字。それだけで答えを見抜いた彼女は、おひいちゃんファン検定1級を持っていてもおかしくない。




「ラブレターでも書いてるのかと思った」




笑いながらからかわれた。


肯定も否定もしづらい。


ファンレターだけれど、ラブレターみたいなものでもある。だから、なんとなく他人に見られるのが恥ずかしくて隠してしまう。だったら学校なんかで書くなと思われるだろうけれど、朝の教室はふしぎなほど集中できて打ってつけなのだ。




「どんなこと書くの?」


「うーん……まずは、最近やっと出演作品全部観れたから、その感想かな」


「全部の!?」


「何枚になるか、今から怖いよ」




10枚で足りるかな。20……はさすがに読む気失せるよな。がんばってまとめなきゃ。


感想は時系列順に、『スクランブル!』から。念願のファンレター初投稿に気合いが入りすぎて、最推しのホシヨルに1枚以上使い切ってしまう未来が見える。


楽しくてたまらない。



こうして堂々とおひいちゃんファンとして胸を張れるようになったのは、ひとえに稜花さんのおかげだ。


作品情報をこと細かに教えてくれたり、昔の誌面の切り抜きを持ってきてくれたり、ホシヨルにハマったと話したら、次の日には原作小説を貸してくれた。そうして満を持して現在に追いつくと、自分のことのように喜んでくれる。


ドキドキした。


いとしの推しのことを、どんどん、どんどん、知っていく。


ちゃん付けされるのが苦手なこと。痩せすぎな二の腕を鍛えたいこと。流行りにはとことん疎いこと。共演者から口を揃えて男前だと語られること。良くも悪くも自分に無頓着なこと。だから当たり前のように思いやれること。


ガラス張りの瓶に、ひとつまたひとつ、ハートマークが溜まっていくようだった。褪せることなく、砕けることもなく、ただただ純粋な幸せをくれる。




「返事、来たらいいな」


「来るよ。そういうところも丁寧だって、有名だから」


「ならぼくも、もっと丁寧に書かないと!」


「がんばるねぇ。……って、今書いてていいの? 明日テストだよ?」


「あ、そうだった!」




項垂れると、稜花さんは言う。




「今日も図書室、寄る?」




ぼくたちはよくふたりで過ごした。



フルーツジュースを片手にオタク談義はもちろんのこと、テスト期間は図書室で勉強するようになった。帰りは一緒に駅まで歩きながら、また推しへの愛情を再熱させる。


ときどき昼休みにだけ向き合っていたのに、いつから、どうして、こうなったのか、もう思い出せない。いつの間にか、前世の兄妹のように壁がなくなり、師弟関係のように大事に接していた。



隣にいると、なぜだろう、一番呼吸しやすく感じる。



できることならずっと、時間を気にせず、おひいちゃんの魅力を話し合いたい。ふたりして語彙力なく笑っていたい。それ以外の、なにげない時間も。やさしい彼女に、やさしくしてあげたい。


おひいちゃんと出会ったときのような衝撃はない。けれど、たしかに、胸は焦がれ、熱に浮かされていた。




好き、なんだと思う。


自覚したのは、年が明けてからだった。我ながら鈍すぎる。それでも、ごくごく自然にそれを受け入れられた。それほどまでにぼくの日常にはいつも彼女がいた。



初恋だった。







「ごめん、お待たせ!」




自動ドアが開いた。鼻を赤くして待っていたぼくに、稜花さんは申し訳なさそうに駆け寄ってくる。


いつもの駅までの帰路の途中、彼女がめずらしく寄り道を提案した。


ごめんね、とあらためて謝られる。ううん平気、と、いかにも平気そうじゃない白んだ手を、コートのポッケにつっこんで隠した。



陽が落ちるのが早くなってきた。水で溶かしたような薄暗闇に、ぽつぽつと米粒みたいな星が点在している。


昼間は厚手のコートさえあれば耐えられたけれど、今はマフラーをぐるぐるに巻いてもまだ寒く感じる。やっぱり一緒に店内にいればよかったかな。


ちらりと眼前の店を一瞥し、いやいやいや、と内心かぶりを振った。


ピンクと白で統一された外装、そして、女の子のために作られたかのような内装。ずらりと並んだコスメアイテム。なんだかいい香りもする。ぴかぴかなアイドルソングも聴こえてくる。


そんなお店にぼくなんかがいたら、浮く。浮きまくり。心が寒くなる。


待つのは、全然つらくなかった。無駄にそわそわしていたのは、寒かったせいじゃなくて。こういうのも悪くないなって、ひとりで勝手に盛り上がっていただけ。……って、これじゃあ変態みたいだな。




「一紀くん?」


「っ、う、ううん、なんでもない。行こうか」


「うん」




昨日、1月が終わった。


いまだにふたりでよく話すし、よく帰る。入学からだから……およそ9か月。もうそんなに経つのか。こんなに仲のいい子ができるなんて、中学のころは想像もしていなかった。


付き合っているのか、と何度かうわさされた。そのたびにどちらともなく否定した。友だちだよ、と。彼女の口からも聞いた。なんともいえない気持ちになった。


高校生。放課後。帰り道。これだけの好条件をそろえておいて、微妙な隙間がある。心の距離は誰よりも近い自信がありながら、ふたり肩を並べた距離感は近すぎず遠すぎず。むしろ最近少しよそよそしくなった気がしなくもない。



彼女の手の揺れが、うすい空気をとおして、ぼくの手の甲に伝う。ちょっと伸ばせば、触れられる。でもかじかんで、筋肉が硬くなる。


意識してるのは、ぼくだけなんだろうな。




「なに買ったの?」




変態予備軍になりたくなくて話題を振った。


彼女はふふんと鼻を鳴らし、購入品を見せびらかす。きらりと何かが光った。




「じゃーん!」


「あっ! それ!」


「そう、おひいちゃんが広告やってるアイシャドウでーす!」




彼女の手のひらよりも小さい、コンパクトな正方形のそれ。グリッターアイシャドウというやつだ。


コンセプトは「弄びたくなる魅力」。大粒のラメをふんだんに含んだ鮮やかな色味を、単色展開している。豊富なカラーバリエーション、手ごろなコスパにより、毎日のポイントメイクに付け足して気軽に楽しむことができる。


百貨店などで飾られた広告には、赤いラメで目元を輝かせたおひいちゃんが大々的に写っている。添えるように付けられたキャッチコピーは――「わたしと、あそんでみる?」。色気がありつつ、強く凛々しい印象も与え、男女問わずトリコにしてみせた。


その新作、ゴールドとシルバーの色味が、本日発売されたのだ。そのどちらも彼女は手にしていた。そして、さらにもうひとつ。




「ふたつ買うと、これももらえるっていうから買っちゃった」


「それは……」


「おひいちゃんのチェキ風カード!」




うわ、ずるい!!



新作発売記念のやつだ。はじめの1週間、かつ都内限定で、新作2種購入者に特典がつく。SNSで流れたその情報は瞬く間に拡散された。


おひいちゃんのチェキ風の写真なんて、当然レアものである。内容は撮影のオフショットで、全5種類、ランダムらしい。SSRどころじゃない!


新作用におろされた広告は、ダンスパーティーを舞台に、ゴールドでは豪華絢爛なタキシード姿を、シルバーではスタイリッシュなドレス姿を披露していた。


そのオフショットなど、どう考えてもかわいいに決まってる。運営、ファン心を弄んでやがる。そういうの、きらいじゃない……!



普段まったくメイクをしないぼくでさえ、購買欲求をこれでもかというほどかき立てられた。なけなしの理性でなんとか耐え抜いたが。


夜な夜な画面越しに眺めては満悦感に浸っている。おかげでこのとおり、知識量は申し分ない。……ああ、認めよう、ぼくは変態だ。


でも生で見ると、やっぱり欲しくなる。はあ、飾りたい。拝みたい。




「ピースがぎこちなくてかわいいよね」


「うん……かわいい……!」




稜花さんがもらったのは、スタイリッシュなドレス姿を着てピースしてるバージョンだった。他にはどんなのがあるのか、ぜひとも全種見てみたい。




「衣装もすてきだよね。タイトなミニ丈で、スタイルいいなあ」


「うん、似合ってる、かわいい」


「メイクもまったく浮いてないし、本当に憧れる……」




ふやけたように細くなる瞳。そこにも、きっと、新色のラメはきれいに乗るだろう。




「稜花さんにも、似合いそうだけどな」




世の中にはイエベブルベだの顔タイプだの骨格だの、ややこしくて小難しい分類がある。推し情報収集のときにちらっと見て知った。


ぼくはちがいのわからない男だ。もしおひいちゃんに遭遇したときのために、多少は身だしなみを整えているが、しょせんその程度。こういうコスメショップに入ることもためらってしまう。



でも、だけど、似合うと思った。金も、銀も、その心地よさそうな瞼を照らしてくれる。裾をきゅっと絞ったドレスだって、そのタイツで覆った足を映えさせるだろう。


お世辞じゃない。心から、そう思うよ。


稜花さんが何を着ていて、何をしていても、ぼくは、ぼくだけは――。




「ええ、似合うかな? 本当に?」


「うん」


「わたしは……似合わないと、思うなあ」




ゆらりゆらり、白い息が下方へ泳いでいく。




「どうして……」


「だってわたし、おひいちゃんみたいにかわいくないから」




かわいいよ!


その言葉に合わせて口を開く。浅く息を吸う。咽頭にぺたりと貼りついたみたいに言葉が出ない。情けない。唇が乾燥していく。


たった3秒ほどの沈黙が、やけに痛かった。




「……お、おひいちゃんは、特別、だから」




なんとか吐き出した言葉は、そうだけど、そうじゃない。


一体どこを肯定しているんだろう。とんだバカをやらかしている。そう自覚していても、言った言葉は取り消せない。



だよね、と彼女は大きく笑った。どこか無理しているように見えて、うすっぺらい作り笑いしか返せなかった。あのときとはちがう、いやな逃げ方だ。


彼女の頭が沈んでいく。だいぶ伸びた茶色い髪が、震える肩から、あ、落ちた。そういえば、ぼくはいつの間に見下ろせるようになったんだっけ。彼女がとても小さく感じる。


本当に、ぼくは何をしているんだろう。ひどいな、どれもこれも。



相変わらず、弱いままだ。




――ピコン。




ふと通知が来た。救いの音だ。


彼女の携帯からだったようで、これ幸いとすぐさま確認すると、




「えっ!?」




聞いたことのない低い声を上げた。


さっきの笑いと打って変わって、感情をありったけ放出させ、みるみる生気をみなぎらせている。


特に、目。血走っているけど大丈夫か?




「ち、ちょっとちょっと! 一紀くんこれ!」




コートの裾を力強く引っ張られた。携帯をずいと向けられる。何かと思えば、映し出されているのは最新ニュースのページだった。




「ええっと、なになに? 『GaoR(ガオル)』のリーダー無事退院、現在自宅療養中……?」


「ちがう、その下!」


「下?」




芸能カテゴリーのトップに載っていた、それの、下。「NEW」のマークのついた列。




「待望のバレンタインCM公開、10代目イメージキャラクターは春日野妃希と…………ぇええ!?」




春日野妃希って、あの春日野妃希!?




「ややややっぱりおひいちゃんって書いてあるよね!? わたしの見間違いじゃないよね!?」


「かすがの、ひさき……うん、何度見直してもそう読める。やばい。現実だこれ!」


「ややややばいねっ! おひいちゃんすごいっ!」




毎年バレンタインのトレンドを先駆する、国内シェアナンバーワンのチョコレートメーカー、株式会社チヨ子。そんな超有名企業が提供するCMなのだから、出演するキャストもまた超有名である。


有名、というのは、起用された当時もブレイクしていながら、公開後さらに飛躍し大物になったという意である。そのため、チヨ子のCMは別名「金の子」と呼ばれ、業界人の関心が異様に高いことで知られている。



イメージキャラクターは2,3年に一度交代する。記事によると、去年まではトップモデルのHINAが担当し、バレンタインでは「飾りより、中身」をキャッチコピーに高級志向でプチ贅沢を促した。


そのさらに前、8代目にあたるのは、雨ヶ谷 丈(アマガヤ ジョウ)。ホシヨルでおひいちゃんの相手役を務めた俳優だ。その年の2月14日は、彼による「待ってばかりじゃいられない」というCMから、逆チョコが大流行した。



そして今、名立たる著名人の中に、春日野妃希の名前が加わったのだ。


興奮してしまう。




「よし、帰ろう」




1周回って、今は冷静だ。今は。




「そうだね、帰ろう」




繚花さんもぼくと同じ表情だ。はっきりとした使命感を背負っている。




「帰ってCM観ないとね。外じゃ騒げないもん」


「感想送るわ」


「わたしも。通知うるさくしちゃうかも。先に謝っとく」


「いやぼくも。ぜったい荒ぶる」


「おひいちゃんだもの。しょうがない」


「うん、しょうがない」




それから何を話したか覚えていない。微妙だった距離感のことはすっかり頭から抜け落ちていた。


とにかく早足で駅まで向かった。


山手線の改札口前で彼女と別れると、ぼくの足はいっそう大きく振り動く。カバンの中で、残りわずかなフルーツジュースが波打っているのを感じた。



急いでいるときに限って、人が多い。駅構内が普段より雑音で満ちている。電車も混むだろう。一本送るか……いや、そういうわけにはいかない。ぼくには使命があるのだ。


気が急く。ドン、と誰かと肩がぶつかった。女子高生だった。すぐに謝罪するが、無視された。何かに夢中になっていた。


ぼくはなんとなく視線を上げた。きれいな赤。視界が晴れていく。




「お、ひいちゃん……?」




長く伸びた壁に同化させた、大規模の広告。手書き風の、真っ赤なフレームとハート。「いっしょにつくろう」の縦文字を軸に、左右で異なるチョコ作りの様子が写されている。キャッチコピーの示すとおり、誰かと一緒にいるようで、イメージキャラクターのそばに他人の肩や手などの一部分が入りこんでいた。


その右側、チョコをデコレーションしている女の子こそ、おひいちゃんだった。ダークブラウンの髪の毛を丸くまとめ、真っ赤なエプロンを着て、チョコをつまみぐいするお茶目なワンシーンが切り取られている。


なんて愛らしい女の子なんだろう。



これに気づかず通り過ぎようとしていたぼくは、どうかしている。愛が強すぎて視野が狭めてしまうのは、ぼくの悪い癖だ。


携帯を出した。電車の発車時刻だ。が、まあいい。そんなこと、どうでもいいのだ。


カメラ機能を立ち上げ、おひいちゃんを連写した。そのうちのベストショットを繚花さんに送る。まだ撮り足りず、動画を回した。



先ほどぶつかった女子高生も、似た行動を取っていた。オタクの習性は似通うものだ。ただし、撮っているのは、広告の左側。チョコを溶かしているイケメンが写るほうだ。


そこに友人らしき女子たちが数人集まってきた。なぜか神妙な面持ちをしている。




「かわいいね」


「妃希ちゃんは天使」


「それな。でも、問題はこっちよ。どう思う?」


「ぽいっちゃぽいけどお」


「かっこいいよね」


「うん、でもなんか……違和感」


「フーゴ本人なのかな?」




――待望のバレンタインCM公開、10代目イメージキャラクターは春日野妃希と『GaoR』フーゴが就任。




今回は異例の複数起用だった。



『GaoR』とは、サバイバルオーディション番組から誕生した、今大注目の4人組ボーイズグループ。いわゆるアイドルである。


平均年齢18.5歳。ワイルドでイカした容姿は万人のハートをつかみ、連携の取れたパフォーマンスはプロをも唸らせる。


そのリーダーを務めるのが、フーゴという男だ。グループ最年長、20歳。ダンスに秀でており、表現力が異次元級であると、たびたびSNSで話題になっている。言わずもがな顔面も整っており、キャスティングされるのもうなずける。



……と、自担のことじゃないのに、脳内にすらすらと情報があふれてくる。あんなに疎かったのが嘘みたいに、芸能界に精通している。


こういうところばっか変わってる。




「フーゴにしては顔うすいよね」


「ね。もっと目力バキバキなはず」


「弟とか?」


「あはは、ないない」


「そっくりさん?」


「この広告で使うかあ?」


「そもそも、フーゴ、仕事できる状態じゃないじゃん」


「そう、そこなんだよねえ……」




ああ、そういえば、退院とか自宅療養とか書いてあったっけ。


他人ごとのようにニュースの見出しを思い返しながら、携帯をしまった。


おひいちゃんを撮り終えたことだし、さて、帰ろう。女子高生らを横切り、再び歩き出す。足取りは軽かった。




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