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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
おひいちゃんについて
25/43

桜前線⑸



画面の真ん中にぽつんと、チョコレートのかかったひよこのようなキャラクターが出現した。ぴよぴよと飛び回りながら、チョコレートをまき散らし、たちまち画面を茶色で埋めてしまう。


ひよこはそこに白いフレームを運んできた。リモコンをピッと押す動作をすると、フレームの中で砂嵐が起こる。



メイキング映像が始まった。



某テレビ局のスタジオ。撮影機材が乱雑してある。ひときわ明るい奥には、CMで見たキッチンがあった。


おひいちゃんがやって来る。さっきまで伊藤さんと座談会をしていた姿となんら変わらず、時空を超えて来たのかと勘ぐるほどだ。




『今回出演していただく、春日野妃希さんです』


『よろしくお願いいたします』




ダイジェストにあったクランクインの様子だ。お願いします、と画面外から飛び交っていたスタッフの声が、つと、騒然とし出す。例の緊急事態だ。


スタッフが集まって何やら話しこんでいる。そこにおひいちゃんがとことこ近寄っていった。距離が遠く、はっきりとは聞こえないが、彼女の鶴のひと声にわっとおどろき、奮い立つのが伝わってくる。


密集していた輪が颯爽と散っていく。大人たちが四方八方へ駆けずり回り、あいた穴を塞いでいく。現場は真剣そのものだった。



まず、女の子役の撮影を始まる。


このために用意されたダイニングキッチンのセットは、至ってシンプルな造りだった。よくあるひと間。その代わり、色彩で遊んでいる。白を基調に、赤と茶系統をところどころアクセントに使っている。


色でだいぶ個性の出たキッチンに、ひとたびおひいちゃんが立つと、きれいになじみ、派手さが軽減される。元から彼女が家主であるかのようだ。




『カメラを恋人だと思って……』


『なら、目線とかは……』




音声が聞き取りづらいが、伊藤さんとおひいちゃんはCMの構成について認識をすり合わせているんだろう。


カチン、と音が鳴る。巨体の無機物を相手に、おひいちゃんは『ねえねえ』と人なつっこい笑顔を向ける。まばたきの回数、瞳に当たる光の加減、指の位置、首の角度。メイキングのカメラから見ても、非の打ちどころがなかった。


『好きだよ』とささやくシーン。CMでは誘うような目つき、艶のある唇のなまめかしさを食い入るように凝視したが、客観的に見ると、感じ方が変わってくる。実は背伸びしていたところとか、リハーサルでは『好き』のあと間を置いていたところとか。年下の女の子ががんばって惚れさせようとしているようで、胸に迫るものがあった。




『はい、カット!』




つつがなく前半部分を撮り終えた。


問題は、ここからだ。




『衣装合わせします!』


『ウィッグ用意できたー?』


『シークレットブーツ、こちらです』


『メイクできました!』




戦場のような緊迫感。おひいちゃんを中心に混沌としている。


しばらくして彼女を取り囲んでいたスタッフが離れていく。メイクを終えた彼女と対面した伊藤さんは『おおっ!』と歓声を上げた。


Vネックから覗いていた華奢な鎖骨を、完全に隠したタートルネック。ビターチョコレート色の重めのショートヘア。10センチ高く盛ったファーブーツ。テープで引っ張った肌に、影と光をふんだんに利用したメイク。


待ち時間やメイク中に研究したフーゴの表情を、精密に作り上げれば、そこにはもう、“春日野妃希”の存在はない。




『フーゴくん? あれ? 足大丈夫?』


『はい、さっき治してきました』


『え!? 声どっから出してんの!?』




お笑い芸人の性に、躊躇のない返し。フーゴ特有の鼻にかかるハスキーな声とそっくりで、周囲がざわついた。彼女は『たまたまです』と答えながらセーター越しに喉をマッサージする。伊藤さんは豪快に笑った。


リハーサルを行う。恋人、家族、友人、どの想定でも問題がないプランで組み立てられる。


前半はおひいちゃんのためのキッチンのようだったけれど、今は、バレンタインが楽しみで張り切って貸し切った部屋に見える。そこで『チョコ、一緒に作ってみねえ?』と相手を呼ぶ様が、とてもよく似合っていた。




『そこもっとわくわく感を……』


『じゃあ、手招きをしたり……』




念入りな打ち合わせを経て、本番。


妙な感覚だ。動きの増えた表情も、声帯をほぐした声質も、おひいちゃんのものなのに、おひいちゃんらしいところすら見つけられない。ちょっと悔しい。


『いつもありがとな』と伝えるカメラは、メイキング用の――ぼくのほうじゃない。だから目も合わない。それでも、やっぱり、まんまと心をつかまれてしまうのだ。


女の子のときは計算され尽くしてるような雰囲気があった。それはそれで好きなのだけれども。男の子のときは天然というか、真っ直ぐすぎるくらいで、だから余韻がいつまでも残ってる。浮気してる気分だ。




『カットー!』


『はい、オッケーです』


『春日野妃希さん、撮影以上になります!』


『ありがとうございます』




あたたかな拍手に包まれる。クランクアップだ。


ふと、おひいちゃんがメイキング用のカメラに気づいた。軽く頭を下げ、ひかえめにピースサインをする。


そうして映像がフェードアウトしていった。




『さて、メイキング映像をご覧いただきましたが、いかがでしたでしょうか』




真っ白なスタジオに帰ってきた。


はじめと種類のちがうサングラスをかけた伊藤さんが、元気よく進行していく。その隣に、女の子姿のおひいちゃんがいた。軽い衝撃を覚える。


彼女らしさを目に焼き付けた。




『妃希ちゃんは撮影どうだった?』


『慣れないことも多かったですが、とても楽しく演じられたと思います』


『女の子と男の子、どっちのほうが楽しかった?』


『どっちも楽しかったですけど……フーゴさんをイメージして演じたときのほうが、新鮮さや冒険心を感じることが多かったですかね』


『だと思った。ウィッグかぶってからずっとニコニコしてたよ?』


『えっ、本当ですか?』


『ほんとほんと。楽しいんだろうなあって、みんなで和んでた』




異性の役をする機会はめったにない。演技にはまハマっている彼女なら、好奇心を煽られ、ピンチをチャンスに変えられる。


遊び感覚ではなく、心底真面目に楽しんでいた。フーゴを始め関係者各位へのリスペクトを随所に感じた。だからこそ、視聴する側も飽きない。


そうやって毛色のちがう才能を惜しげもなく消費しているにもかかわらず、そこに春日野妃希の肩書きを必要としていない。この対談がなければ、きっと彼女自身の口から種明かしされることはなかった。


この動画がどれだけ貴重なものか。ぼくは、ぼくたちファンは、心底感謝している。




『今年のバレンタインコンセプトについてはどう? 「いっしょに、つくろう」と言いながら、撮影ではほとんど一人だったけど』


『でも、一緒に作る感覚は味わえましたよ』


『お、ほんと? どうだった?』


『一緒に、っていうのがいいですよね。真正面から渡すよりも、一緒に作るほうが想いを伝えやすいと思います』


『そうだね! かしこまった空気感じゃないし。楽しさ2倍、おいしさ2倍で!』


『見てくださっている皆様も、今年は誰かと一緒に素直になってみるといいかもしれません』


『妃希ちゃん宣伝うまいっ!』




よい締めくくりになった。最後にフーゴからのメッセージを紹介し、対談はエンディングを迎えた。




「……素直、か……」




やけにずしんと重く響いた。



心からの言葉は、心を動かす力がある。ぼくはそれを身をもって知っている。知っていて、育てようとしない。


言葉にしても無駄だった。意味などなかった。ぼくみたいな弱い人間じゃ、届けたとて、受け取ってもらえない。しょせん弱っちい心だった。だから逃げる術を覚えた。



だけど、ぜんぶ、ぜんぶ、過去のことだ。



今、わかってほしい人がいる。


せめて、その人だけには、届いてほしい言葉がある。


ぼくには、ぼくの、心がある。




『強く、なくてもいい』




写真立てに飾ったラベルが、光沢をすべらせる。いつだって、これが、ぼくの道しるべ。星よりもたしかにぼくを導いてくれる。


送信できずにいたメッセージを削除した。受話器のマークを押す。心音とコール音が重なり――そして、つながる。




「も……もしもし、稜花さん?」




ぼくはあなたと一緒がいい。









2月14日。



生徒玄関に着くと、朝早くから練習のある野球部とすれちがった。そそくさと雪でコーティングされたような廊下を歩いていく。


校舎の中は、ぼく以外の息づかいを感じない。辺りが少しくすんで見えた。



今朝チヨ子のCMを2回見た。女の子バージョンと、男の子バージョン。寝不足でも目が冴えた。身体はこのうえなく良好だ。運勢もいいにちがいない。


階段を上がる。昨日より中身の多いカバンが、軽快に弾む。




「あ……」




ぼくのじゃない気配。階段をのぼりきった正面にある家庭科室付近から、うっすら影が伸びている。赤いマフラーがふわっと躍った。




「おはよう、稜花さん」


「おはよう、一紀くん」




彼女はコンビニの袋を誇示する。チヨ子の板チョコが透けて見えた。


ぼくは家庭科室の鍵をポッケから出した。担任に頼みこみ、完成品のおすそ分けを条件に家庭科室の使用を許可してもらったのだ。


あまり使用感のない室内に踏み入れた。


ここから、ぼくたちのバレンタインが始まる。




――チョコ、一緒に、作りませんか。




電話でたどたどしく誘ったぼくに、彼女は快く賛成してくれた。わたしもそう思ってた、と。やさしい声だった。


それからの行動は早かった。CMにあったトリュフのレシピを公式ホームページからダウンロードし、必要な材料を分担し、時間を逆算し、CMについて語り、今に至る。


早起きは苦手だけれど、今日は、苦ではなかった。




「今日は誘ってくれてありがとう」




3種のチョコレートを湯煎で溶かしながら、彼女は前触れなく言った。歪に割られた形が、くっつき合い、温もりを知っていく。火を弱めながら、ぼくは相槌だけを返した。


誰のためにそのヘラをゆっくり回しているのだろう。聞く機会はいくらでもあった。聞かなかった。彼女も、聞いてこなかった。



ぼくは、今日に、懸けている。




「溶けた! このくらいでいいよね?」


「うん。生クリーム入れるよ」


「お願い」




彼女からボウルを預かり、泡立て器で混ぜ合わせる。だんだん香りが深まっていく。


ちゃんとスイーツと呼べるものを作るのは、これが人生ではじめてかもしれない。


意外と工程は簡単だった。そう感じるのは、きっと、ひとりじゃないからなんだろう。




「ぼくのほうこそ、ありがとう」


「え?」




するりとこぼれた言葉を、彼女がすくい取る。




「何が?」


「何も」


「ええ? なあに?」


「何もかも、ぜんぶ」




よくわかってなさそうにしながらも、その横顔はゆるやかにほころんでいく。


あぁ、今なら、言える。




「かわいい」




泡立て器についたチョコレートがぼとりと落っこちた。甘美な跡が、沈んでいく。それを見届けていた彼女の瞳が、まあるく瞠られた。


ひと口サイズに分けるためのスプーンをふたつ、彼女に手渡した。視線がかち合う。




「稜花さんは、かわいいよ」




小さなステンレスの表面に、お互いの顔が反射していた。赤、赤、赤。みるみる鮮やかにシルバーを染めていく。


とっさに彼女はうつむいた。髪の毛を盾にし、色をひそませる。




「き、急に、ど、どど、どうし」


「急じゃない」




はぐらかそうとボリュームを上げた彼女の声に、わざとかぶせて否定する。


取りつく島もなく、彼女の手は迅速に動く。茶色い沼は着々と減っていく。




「で、でも、ね、ほら、あの、おひいちゃんのほうが……」


「おひいちゃんはかわいいよ」


「そ、そうだよね! うんうん!」


「でも」




底についた。否応なしに意識が隣に向く。




「ぼくには、稜花さんのことも、かわいく見える」




高さのちがう肩の位置を合わせ、顔を覗きこめば、いっそう赤みがひどくなっていた。ごめん、と口をついて出そうになり、下唇を噛む。


あとは冷やして、固めて、丸めて、粉をふりかけたら、この時間は終わってしまう。


その前に、触れてもいいだろうか。


事故を装う? ううん、そんなこと、しなくてもいい。




「稜花さん」




クリームのついた彼女の手にちょんと重ねた。触れたか触れてないかわからない。もう感覚がない。指の先まで脈が激しく揺れている。




「トリュフができたら、もらってくれないかな」




声がうわずる。


笑え、と脳内信号を働かせ、頬肉を上げていった。


やっぱりCMのイケメンみたいにうまくはいかない。ぼくは情けないくらい必死だった。



彼女の目がたちまち潤んでいく。


な、泣かせた。泣かせてしまった……!



焦って手を離すと――ぎゅっと、つかまれた。




「わたしも、一紀くんにもらってほしい」




やわい感触。ぼくの指先をまとめて包み、隙間を埋める。体温でクリームが垂れていく。


一重の目元が弧を描き、涙を落とす。枝先に咲いた花のひとひらが舞っているようで、見惚れてしまった。



ドキドキする。


もっとかわいい表情を見せてほしい。チョコがきれいに固まったら、とっておきの2文字をピンクのチョコペンで書いて贈ろうと思う。



それまでは、一緒に、推しを愛でようか。




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