四話目
「—————、本日こちらに来るよう言われていた瀬名の北薗 明日香と申します」
「北薗様、ですね。少々お待ち下さい」
そう言ってニコリと笑みを向ける受付嬢の女性は手元のパソコンを操作し始めた。じろじろ見るのは失礼にあたることは理解しているが、思わず彼女たちに目は行ってしまって。そんな視線にも慣れているのか女性たちは冷静に仕事を進めていた。
「ございました。14時からの社長とのアポイントで間違いないでしょうか?」
流石、元財閥大手企業の受付は美人が多いなと一人感心していたところに聞こえてきた受付嬢の言葉に一瞬で思考が停止した。
「……え?」
ちょっと待って。この人、今何て言った?
……“社長とのアポイント”って言った?
誰が?………私が?
私の動揺が伝わったのか、彼女たちも顔を見合わせると困惑の色を表し。
「……あの?」
どこか心配そうな顔をした受付嬢の様子にはっと我に返った私は「いいえ、何でもないです」静かにかぶりを振った。そんな私にどこか怪訝そうな視線を向けながらも受付嬢は
「こちらが通行許可証です。エレベーターで最上階に行くためにはこちらが必要ですので、必ずこちらをご提示下さい」
一枚のカードを差し出した。
「……ありがとうございます」
それを受け取ると私は背後からの視線をヒシヒシと感じながらも役員専用と説明されたエレベーターに向かって歩き始めた。
それから彼女たちの視線を振り切るかのように、私は素早くそれに乗り込んだ。19〜25階までしか表示の無いそれらの中から迷うことなく最上階を押した私は扉が閉まると同時にはぁ、と一つ息をついた。そしてふっと息を吸い込むと。
「ぁんのクソ親父、わざと誰と会うか言わなかったな!!今更ここまで来て引き返せないわ!!
あーもう、今日帰ったら絶対お前の仕事増やしてやるからな、覚えとけよクソ親父がっ!!ていうか…」
私以外誰もいないのを良いことに、部長への怒りを大声ではき出した。
階数が22階に差し掛かる頃、漸く全てを(取り敢えず今日の分は)はき出し終わった私は肩ではぁー、はぁーと大きく息をつくとトドメとばかりに舌打をして、静かに背筋を伸ばした。
社長との面会だと初めから言われていたら私だってここまで来なかったのに。
……いやまぁ、本社からの出向を命じられてる時点で一社員の私は拒否なんて出来ないんだけど。それでも絶対に会いたくなかった。いや、一生会う事など無いと確信していたというのに。
それから、どうして部長があんなに真っ青な顔をしていたのかという理由も今更になって分かった。部長が真っ青な顔をしていた理由も、私が会いたくなかった理由もそれは同じだった。
私の勤める、瀬名オペレーションシステムの親会社、嵯峨山コーポレーションは日本有数の一大企業であり、解体されるまで明治、大正、昭和と財閥の名を背負い日本の経済発展に貢献してきた、誰もがその名を知る大手企業でもある。
戦争下も、五輪開催中も、常に日本の最前線をひた走ってきた嵯峨山だったが、平成に入り不況が続く中かつて政府よりも資金を有するとすら囁かれたほどの大企業は見る姿もなく、赤字続きで危うく倒産まで追い込まれていた。
10億にまで膨れ上がった莫大な借金に、なす術もなくついに倒産か他企業に吸収合併されるかと、誰もが思っていた。それは、会社に勤めている人間たちも薄々感じとるほどに切迫した経営状況。
そんな状況下で、当時の嵯峨山のCEOを務めていた男はいとも簡単にポンッと息子にその地位を明け渡した。それは本当に突然の事態で、日本中が嵯峨山の一挙手一投足に注目した。まぁそれも無理もない。突然CEOに就任した息子は、弱冠27歳という若さで。
会社で働き始めて数年しか経っていない、ただの若者に一企業のCEOという役が転がり込んで来たのだ。世間の人々は「あぁ終わった」と、「前社長は一体何がしたいのか」と嵯峨山の倒産を確信し、僅か半日で嵯峨山の株価も大暴落する中。弱冠27歳のCEOは力強い声で言ったという。
「俺は3年以内に全ての借金を返済し、5年以内に嵯峨山を業界最大手にのし上げる」と。そして。
「俺は10年以内に嵯峨山を日本一の企業に返り咲かせる」と。
それが、生ける伝説の誕生の瞬間であったことをこの時はまだ誰も知らなかった。




