五話目
そう言って流されたその男の言葉に、日本中の人間が笑った。
「倒産寸前の会社で、何が出来る」と。
「冗談も休み休み言え」と。
「若造が夢物語を語ってんじゃねぇぞ」と。
日本中の人間全てが彼の言葉を笑い飛ばした。
「馬鹿な男だ」「理想論だけでやっていけないことも坊ちゃんには分かんねぇのか?」
その当時、人々は男を嘲り鼻で嗤った。
「ついに嵯峨山も落ちたな」
誰もがそう、思っていた。
その男、たった一人を除いて。
それから、世間の評価などどこ吹く風で男は次々に新しい企業を立ち上げていき。
男がCEOに就任し、2年が経つ頃には嵯峨山という会社は倒産寸前だったその姿は見る影もなく、飛ぶ鳥を落とす勢いでV字回復をするに至っていた。
目覚ましい成長をするに至った、その鍵を握る彼の改革として一番に挙げられるのはやはり業種変更、なのだろう。
男はそれまで力を入れていた重工業方面からIT業方面にシフトチェンジしたのだ。それはCEO就任後、真っ先に彼の行った改革でもあった。勿論のこと、彼のその行動を皆が馬鹿にしていたけれど。
結果として彼の判断は功を成し、嵯峨山という“落ちぶれ”た企業を“一大企業”にまで導いたのは紛れもなくその男であった。
その時には、とうに赤字回復し嵯峨山は更なる躍進を続ける最中で。
男は“普通なら有り得ない”事をいとも簡単にやってのけた。
それからもう一つの、“有り得ない”も。
男はかの宣言通り、業界最大手という肩書をも手に入れた。
ただし、世の人々が思っていた“重工業”関連ではなくITという新たな分野において、だったが。
男は世間の「夢物語だ」「子供のごっこ遊びだ」という批判の声を逆に嘲笑うかのように、己の信念のままに会社を再建していき、嵯峨山は彼がCEOに就任して僅か8年余りで嵯峨山始まって以来最高の発展を遂げていた。それほどまでの圧倒的な経営手腕を持つ男は、立ち話なんかじゃ語りきれないほどの数多くの逸話と功績を残し、今では生ける伝説として若者たちの憧れの的となっていた。
倒産寸前の、借金塗れの元財閥をたった一代で、いやたったの数年そこらで日本屈指の大企業にまで返り咲かせた男に憧れない、ティーンエージャーはいないだろう。どこの小説・漫画だよと言いたくなるほどに、“不可能”を“可能”に塗り替えた男の言葉は誰をもグッと惹きつけてやまない。そんな、“カッコイイ”男がCEOを務める一大企業が嵯峨山という会社であり、私が今面会しようとしているのが、そんな数多の伝説を生み出してきたかの男である。
しかし、ここで一つだけ。問題があって。
それは、数多の伝説を打ち消してしまう程に大きな問題が目の前に転がっていて。
エレベーターから降り、通行許可証を翳して漸く通る事が可能な広い広い廊下を突き進むとそこにはたった一部屋だけが存在していて。その、扉には“社長室”とプレートが掛けられており、重厚な扉は堅く閉ざされている。
部長が蒼ざめた顔で私を急かし、私が一生、会いたくないと思う、その原因にあたる人物がその扉の向こう側にはいるのだ。
どうしてここまで私が会いたくないと思うのか。
その理由は至って簡単、シンプルで。
私は彼と面識もなければ何か繋がりがあるという訳でもない。でも、絶対に会いたくない。それはなぜか?
我らのグループのCEOである、嵯峨山 聡一はとんでもなく冷酷非道な人物であると有名で。社長と一対一で話せる人間はおそらくこの世にいないと言われるほどに、生ける伝説は厳しく、そして恐ろしい人であり。彼と実際に一対一で会った直後に辞職していく人間は後を絶たないという。会社側がクビにするのではなく、社員自らが退職届けを出して辞めていく、らしい。そんな噂がまことしやかに囁かれ、一子会社にまで流れてくるほどに有名な話はグループ内の社員全員を慄え上がらせるには十分過ぎるもので。いつからか、社員の間には暗黙の了解のようなものが出来上がっていた。
〈社長に呼び出されたら、辞職させられる〉
どんなに仕事ができるエリート組でさえ辞めていくというのだから、一子会社勤めの私は一体どうなってしまうのか想像だに出来なくて。
私は、今。己の社会人人生始まって以来の困難が降りかかろうとしていた。
どうして、一子会社勤めの人間を本社のCEO様が態々呼び出しなんてするのか甚だ疑問でしか無いけれど。ここまで、来てしまったからには後には引けないから。プレートのかかった、重厚な扉を前に深呼吸をして、右手を上げた私はトントントンと3回、ノックをして静かに声を上げた。
「瀬名から参りました、北薗 明日香です。入室しても宜しいですか?」
緊張した面持ちの中、言葉を紡いだ私の声はどこか掠れているようにも感じた。
「—————————入れ」
それから程なくして、一人の男の声が中から返された。おそらく、というかその声は私をここに呼び出した主のもので間違いないだろう。
ここに来てまさか入るなと言われるとは思っていなかったけれど、そうあって欲しかった己の中のもう一人の自分を押し殺し、私はそうっと取っ手を捻るとガチャリという音と共に、その部屋へ足を踏み入れた。
入ってすぐに、
「瀬名オペレーションシステムから参りました、北薗と申します」
その言葉と共に静かに頭を下げて言葉を待つ私に、少しの間をあけて
「……顔を上げろ」
そう言った、男の声はどうしてかどこか聞き覚えがあって。
……そう言えば、社長は口が悪いと何処かで聞いた事があったようなと、その時ふと考えながら私はそっと顔を上げた。
「………え?」
そしてその顔を見、私は驚きに言葉を失ってしまった。どこかで聞いたことのある声?そりゃそうだ、と一人納得しながらジッと本社社長の顔を見つめる私を他所に革張りの上等な椅子に腰掛ける、男は声を上げた。
「お前を、俺の秘書にしてやるよ」
そう言って、男は口の端をニヤリと歪ませて私に視線を寄越してきたけれど。正直、彼の言葉は私の耳を素通りしていて。それよりも、私にとって重要なのは。
どうしてか、写真も動画も嫌いだという我が社の社長はこれまで一度も人前で顔を晒した事が無かったため、私も今日初めて彼の顔を見ることとなったけれど。
その、彼の顔は。
どう見ても。
あの日の、花粉如きで騒いでいたチンピラ野郎、
だった。
そっちかーい!な話ですね(笑)




