本幕 其ノ七
電撃大賞長編小説部門に投稿した作品です。
江戸時代と妖怪をイメージしたものを書いてみました。
江戸時代のことを色々と調べていたのですが、はっきりとしたことはなかなか把握できなかったので、その大部分はイメージとなっています。
今後の参考にしますので、感想をいただければとても嬉しいです。
榎木町にすみれという名の甘味処が看板をかけてから三ヶ月ほど経つ。
店主は無愛想な男だが、菓子職人としての腕はなかなかで、逸品と称される羊羹を目当てに女が、そして可憐と評判の看板娘を目当てに男が足を運び、特に昼過ぎから夕刻にかけては客足が絶えないほど繁盛していた。
珠が待ち合わせの七ツから小半刻ほど遅れてすみれに着くと、店前を暇そうに箒で掃いていた娘が慌てて表情を引き締め、「いらっしゃいませ」と愛想よく頭を下げた。
珠は軽く会釈をする。
「店で待ち合わせをしてるんですけど」
娘はまじまじと珠の顔を見る。
「もしかしてお客さんが宗次郎さん、ですか」
「そうですけど」
「え、ああ、すみません。お話は聞いています」
取り繕った笑みを浮かべた娘に連れられて珠は暖簾を潜った。
座敷は十畳弱ほどの広さなので、一目で客が二組しかいないのが分かった。書き入れ時からいくらか外れているにしても、人気店にしてはかなり寂しい状況だ。
珠の考えを察したらしく、娘は「鎌鼬のせいなんです」と漏らした。
「なにかされたの」
「直接どうこうっていうわけじゃないんですけど、これくらいの時間帯になると、外で休もうっていう気になってもらえませんから」
「それはそうだろうね」
「この界隈の店は同じ状態なんです。営業妨害だってお上に訴えたいくらいですよ」
娘は不満を抑えきれないとばかりに唇を尖らせながら言った。訴えようにもその奉行所がどうにもできない状況なので、意味がないと分かってはいるのだろうが、さりとて仕方ないと諦められないというところか。
奥の席にいた櫻良が珠に気づいたようで、合図するように手を上げた。
珠は頷いて応えると、娘に適当な飲物を持ってきてほしいと注文した。視界の隅で、櫻良の向かいに座っている少女を窺う。この少女が山茶花の奉公人という友人なのだろう。
事態が思うように進んだ事にほっとしつつ、「遅れてごめん」と言いながら櫻良の隣に腰をおろした珠を、櫻良は不機嫌な表情で迎える。
「時間に遅れるのは毎度のことですけど、少しは気を遣ってください」
「最初に謝ったよ」
「誠意がないと謝ったことになりません」
いつもは半刻ほど遅れても櫻良は溜息をつくだけで何も言わないのだが、今日は友人を待たせてしまったからか、その口調はいささか厳しい。
こういう場合は言い訳しない方がいいと思い、珠は少女に向かって頭を下げた。
「遅れてすみません。はじめまして」
「こちらこそはじめまして。山茶花で奉公をしております、凛、と申します」
凛と名乗った少女は丁寧に頭を下げながら、ゆったりとした口調で言った。歳は櫻良よりも三つか四つくらい上か。肩甲骨の辺りで揃えられている黒髪と肌の白さが対照的だ。張りのない表情と充血した眼、そしてとくっきりと浮かび上がった隈からは、昨夜はほとんど眠れてないと分かる。
「ぼくは宋次郎といいます」
「宋次郎様のお話は、櫻良ちゃんからよくお聞きしています」
「悪い話じゃないといいんですけどね」
「もちろんです。宗次郎様のことを――」
「お、お凛さん、その話はいいですから」
慌てた櫻良が話に横槍を入れてきた。そしてばつが悪い表情で珠をちらりと見る。
碌な話をしていないというところか。それをあえて問い質そうとした珠のささやかな加虐心を削ぐような機で、娘が盆を両手で持って歩み寄って来た。珠の前に冷茶を、そして櫻良と凛の前には緑茶とひと口大に切ってある羊羹を置いた。
羊羹に目を奪われた櫻良は思わず「おいしそう」と呟いた。
「なんだ、まだ食べてなかったの」
「宗次郎さまをお待ちしてました」
「そんなの気にしなくていいのに」
「そういうわけにはいきません」
櫻良は慎重な手つきで楊枝を羊羹に刺し、それを口の中に入れると、思わず感嘆の息を漏らした。よほど味が気に入ったのだろう。その様子が面白かったのか、凛は緑茶を飲みながら笑みを零した。
珠は場の雰囲気が落ち着くのを待ってから、「さっそくですけど」と凛に話を切り出す。
「喜多之輔さんのことを教えてもらえますか」
凛の表情から笑みが消える。
「鎌鼬に殺された件で、と櫻良ちゃんから聞いています」
「そうです」
「取り調べを受けたときに親分さんから、この件については余計なことを話さないようにと注意されているのですが」
「もちろん話せる範囲で大丈夫です」
「それでよろしければ」
珠は頷いて礼を述べる。
「さっそくですけど、喜多之輔さんはどんな方だったんですか」
「優しくて、真面目で、わたしたちは元より旦那様からとても信頼されていました。縁談の話も進んでいたのに、それがどうしてこんなことになってしまったのかと、今でも信じられません」
「残念でしたね」
「最初にお話ししておきますが、私も宗次郎様にお会いしたいと思っていました」
「どうしてぼくに」
凛は真摯な視線を珠に向ける。
「失礼を承知で申しますが、吉田屋さんには、色々な事情でお上に届かないような情報も集まっているのではないのでしょうか」
「どうでしょう」
「例えば鎌鼬のこととか」
「本当に知らないんですよ。そういうのは若旦那の領分ですから」
「でしたら半年ほど前の放火魔の事件を覚えていらっしゃいますか」
珠は一拍を置き、「人並みには」と言って頷いた。
その事件ははっきりと覚えている。妖が係わっていると巫琴に報告し、今回同様に調査を命じられ、そして散々な目に遭いつつも解決したものだ。
「あの一件。宗次郎様がお調べになった直後にぱったりと止まったというように耳にしました。結局下手人は捕まらず仕舞いでしたが」
凛の口調は終始落ち着いてはいたが、ほんの僅かな糊塗も見逃さんという強い意志が体から発せられており、瞬きを忘れた眼は珠の一挙手一投足を注視していた。
珠は苦笑を漏らし、「本当に知らないんですよ」と言った。
「ただ話を聞かせてもらえる手前、できる範囲のことはします」
「ありがとうございます。それで充分です」
凛はほっと肩から力を抜き、そして深々と頭を下げた。
やれやれ、と珠はひとつ息をついた。そもそも鎌鼬を追うというのは元から珠が追っていた任務であり、凛の思惑がどうであれやらねばならぬ事なのだ。話が滞りなく進むのであれば、その程度の話に合わせるのはやぶさかではない。
「話を戻しますけど、喜多之輔さんが恨みを買うような心当たりはありますか」
「ありません」
「それなら逆恨みとかは」
「例えば喜多之輔さんが、酔って暴れたお客様にお引き取りいただいたときに、乱暴な捨て台詞を吐かれたようなことでしたら数え切れないほどありましたが、そういうものが原因とは思えません」
珠は冷茶を舌の先でちびりと舐め、予想以上の渋さに顔をしかめつつ頷いた。
「喜多之輔さん、鎌鼬のことを知らなかったってことはないですよね」
「もちろんです。これだけの事件ですから」
「それならどうして、最も注意すべき夜半に南街を出たんですか」
南街という言葉に、凛は表情を硬くして唇を強く結んだ。
もっとも珠に下世話な好奇心などない。自分と無関係であれば、馬鹿な男だと嗤うくらいはしたかもしれないが、今はそのような立場ではないのだ。
凛は緑茶を啜り、そしてゆっくりと深呼吸をした。
「喜多之輔さんは南街に遊びに行ったのではありません。山茶花は南街にある榮惠家さんという置屋にお世話になっています。宵の内に榮惠家さんから芸者さんが来て、踊りや演奏でお客様をおもてなしするのですが、先日、遣いの方が女将からの託を持って来られました」
「内容は」
「騒動が落ち着くまでは芸者の派遣を見合わせたい、と」
「そう考えるのも無理はないでしょうね」
榮惠屋にとって囲っている芸者は商品に等しく、相応の収益を上げなければ損失を被ってしまう。女将がどのように算盤を弾いたのかは分からないが、目先の利益や信用を失うとしても、それが最も望ましいという結論に至ったのだろう。
ですが、と凜は言葉を続ける。
「留守を任されていた喜多之輔さんとしては、仕方ないと受け入れられるものではありませんでした。それで一昨日の夕方に、今までどおりお願いできないかと、榮惠家さんに交渉に向かいました。夜遅くに帰路についたのは、店を空けるのが不安だったのと、用心棒が四人もいたので安心していたのではないかと思います」
「ああ、用心棒がいたのか」
珠は思わずそう呟いた。視界の隅にある櫻良は眉をひそめている。昨日話したばかりなのに覚えていないのか、という言葉が今にも聞こえてきそうだ。記憶の細い糸を辿ってみると、そのような話をされた気もしないではないが、それに気づかない振りをした。
「わたしはよく知りませんが、その筋では有名な方々のようです」
「けれど喜多之輔さんは殺された」
「はい」
「それなら用心棒たちは」
「全員が無事です。不意打ちで気絶してしまったので鎌鼬の影すら見てない。用心棒の方々は、取り調べでそろってそう繰り返していると親分さんが零していました」
凛の口調は固くなり、そして目つきが険しくなった。口には出さないが、用心棒が何の役にも立たず、そして気絶した程度で済んでいる様を苦く思っているらしい。
「さっき喜多之輔さんが留守を任されたって言ってましたけど、御主人は」
「旦那様は三箇月ほど前に、身の回りのお世話をする小僧をひとり連れて、箱根へ湯治に出かけられました。鎌鼬が現れる少し前のことです。榮惠家には大番頭と他の番頭がふたりいるのですが、経験を積ませるということで、喜多之輔さんが留守を任されることになりました」
「そういえば凜さんは、喜多之輔さんの遺体を見たんですか」
「いえ、親分さんが見ない方がいいとおっしゃったので」
「どうして」
「その、遺体の傷が、酷いということですので」
ふいに糸が切れた操り人形のように、凛はがっくりと項垂れた。
適当に慰めの言葉をかけながら、これほどに慕われれば喜多之輔も本望だろう、と珠は思った。もしも自分が鎌鼬の手にかかるような事になれば、櫻良は泣いてくれるだろうか。くだらないと思いながらもその情景を想像せずにはいられなかった。
それからいくらか雑談を交わした後に、凛が申し訳なさそうな顔で珠を見た。
「すみませんが、そろそろお通夜の準備がありますので」
「分かりました。今日はありがとうございました」
「少しでもお役に立てたらいいのですが」
「他になにか思い出したら教えてください」
懐から財布を出そうとした凛に対し、珠はそれを手で制した。
凛は躊躇したが、深々と頭を下げ、足早に店から出て行った。
珠は深く息を吐き出し、体を反らして天井を見上げた。この程度のものは奉行所も承知しているはずだ。鎌鼬が捕えられていない現状を見れば、その中に何かしらの糸口があるとは思えなかった。
「感触はどうでしたか」
それまで口を挟まずにいた櫻良が聞いてきた。
「さあ、どうだろう」
「浮かない顔ですね」
「さすがにこれだけで分かるとは思ってなかったんだけどね」
それにしても、と櫻良は小首を傾げる。
「どうして今日は自分で話を聞いたんですか」
「なにが」
「いつもはあたしが色々と聞く役回りじゃないですか」
「相手が櫻良の友達だからだよ。聞き難いかなって思って」
「気を遣ってもらえたのは嬉しいですけど、宗次郎さまが来るまでの間に、暇だったので色々と話を聞いてしまいました。もちろん遠回しにです」
さすがだね、と珠は苦笑を浮かべる。
「今の話につけ加えることってある」
「いえ、そもそも話の大部分はお凛さんの弱音でした。喜多之輔さんのことがあってなにも考えられない状態な上に、これから忠信さんが店を動かすことになるだろうから、不安で仕方ないって」
「忠信って誰なの」
「山茶花の跡取りです」
珠は左眉を持ち上げる。
「跡取りがいるのに、どうして喜多之輔さんに留守を任せたの」
櫻良は表情を曇らせ、「あまり人の悪口は言いたくないんですけど」と前置きする。
「忠信さんは放蕩息子として有名なんです。お店のことを勉強しないで毎日遊び歩いてて、金遣いが荒くて、おまけに連れてる女の人はいつも違って。御主人は忠信さんをとても可愛がってますから、大抵のことは許してしまう親馬鹿だって嗤われてますけど、さすがにお店は任せられなかったっていうことじゃないでしょうか」
「その忠信と、喜多之輔さんとの仲はどうなの」
「同じことをさっきお凛さんに聞いたんですけど、喜多之輔さんは跡継ぎの忠信さんを常に立てて、そして忠信さんは喜多之輔さんに敬意を払っていたって言ってました」
「それでも跡取りがそんなだと、色々と大変なんだろうね」
「こういうのは珍しい話じゃないですから」
そういうものかと思いながら、珠は何気なく外に目を向ける。茜色の陽光が地面を照らしていた。いつもなら屋敷の縁側でぼんやりしている頃合いだが、今はそれが夢だったのではないかと思えるほど実感がない。
道を歩く人の足はかなり早く、一様に余裕のない表情をしている。確かにこれは茶店でのんびりという雰囲気ではなく、事情を何も知らぬ者でも、この様を目の当たりにすれば違和感を覚えるだろう。
機会を見計らっていたのか、娘が申し訳なさそうな顔で歩み寄って来た。
「すみません、もうそろそろ閉店なんです」
「ずいぶんと早いですね」
櫻良の言葉に、娘は自嘲気味に笑みを浮かべる。
「これ以上お店を開けていても、お客さんが来ませんし」
珠からの視線に櫻良は頷き、懐から財布を取り出してお代を娘に渡した。珠は金銭に関する感覚や興味が全くなく、せいぜい小銭程度しか持ち歩かないため、吉田屋から送られてくる生活費はほとんど櫻良に預けているのだ。
店から出ると、櫻良が満面の笑顔で頭を下げた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「お礼だから。無理を聞いてくれて助かったよ」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「吉田屋まで送るよ。若旦那に話したいことがあるし」
櫻良が驚いたように目を丸くする。
「ありがとうございます。でも、その、珍しいですね」
「歓迎されないのは分かっているからね」
珠は肩をすくめて言った。




