本幕 其ノ弐拾壱
電撃大賞長編小説部門に投稿した小説です。
江戸時代と妖怪をイメージしたものを書いてみました。
江戸時代のことを色々と調べていたのですが、はっきりとしたことはなかなか把握できなかったので、その大部分はイメージとなっています。
今後の参考にしますので、感想をいただければとても嬉しいです。
「だから忠告してあげたのに」
ころころと笑いながら言った巫琴に、布団に体を横たえる珠は憮然とした表情を返す。
「小細工を企ててると最初に言ってくれればそれに従いました」
「だめだめ。だってそんなの」
「つまらないから、ですか」
「当たり」
得意満面の笑顔で頷いた巫琴に、珠は深く溜息をついた。
くだらない理由で弄ばれるのには心底うんざりする。しかしそれ以上の文句を言えないのは、点在していた転機に気づけず、まんまと敷かれた罠にはまってしまったからだ。
今朝方。白装束との交戦を終え、ふらふらになって戻った離屋の前で珠を待っていたのは、いつにも増して顔色が悪くなった宗太だった。宗太は珠の顔を見るなり土下座し、昨日は巫琴からの命令で櫻良を客間に控えさせていた、と震える声で言った。
その命令は昨日の昼にあり、それは単純なものだった。
今から暁まで櫻良を客間に軟禁すること。
その客間では薫りの強い香を焚くこと。
そして軟禁している間はそれを誰にも知られぬようにすること。
突然の話に嫌な予感を覚えはしたものの、理由を聞かずに従った。昨夜に珠が吉田屋に乗り込んで来た時に、このための命令だったのかと気づきはしたものの、その事情を言えなかった。
死人のような顔色をしてそう述べた宗太を、珠は気怠い視線で追い返したのだった。
やはり今回も散々な目に遭った、と惚けた頭で改めて思う。
巫琴が座っている座布団の横に視線を移せば、ひと振りの刀が目に入る。妖刀だ。離屋に来て早々、巫琴は得意そうに「カマイタチっていう銘をつけたの」と言っていた。
カマイタチは妖気を発してはいるものの、大人しく鞘に収まっている。
屈したか、と珠は思った。その姿が自身に重なるのが不愉快だ。
自室にも係わらず居心地の悪さを覚えるのは、起き上がれぬほどに疲労困憊な珠の見舞いという体で急襲した巫琴のせいに他ならない。日を改めてくれと言いたいところだが、巫琴が聞き流すであろう事は想像に容易い。
中庭の方へと視線を移せば、沓脱石の上に珠を監視していた鼠が控えている様が見えた。妖と化してから日が浅く、まだ名はないらしい。珠が睨むのを素知らぬ顔で流しているのは、この場で危害を加えられないと確信しているからに違いない。
珠は寝返りを打ち、巫琴に背を向けた。
このような有様となった際には、嫌でも事の発端に意識を馳せてしまう。
それは三年前。黒猫が吉田屋を支配下に置いてから一箇月後。
五月雨が降りしきる丑三ツ刻に、巫琴が攻め入って来た。
吉田屋には三十匹の猫を常駐させ、奉公人や訪問者を昼夜問わず監視させていたが、その報告は黒猫の下に届かなかった。
もっとも黒猫は、巫琴が敷地内に足を踏み入れた頃からその気配に気づいていた。
只者ではない。侵入者の一挙手一投足からそのように判断したものの、自らの能力を過信し、さらに相手の力量を見誤るという二重の失態を冒してしまった。
待ち受けていたのは吉田の私室。
そこに全身を返り血で染めた巫琴が緊張感のない軽い足取りで現れた。
巫琴は「お土産」と言うと、黒猫に向かって手に持っていた物を転がしてきた。
それが同胞の頭部だと分かるや否や、黒猫は巫琴に襲いかかった。
しかしいかに爪牙を振るい、妖気を放とうとも、軽やかな足取りで全て避けられ、その反撃とばかりに霊力を帯びた御幣で打ち据えられた。
その一撃は全身の神経を焼かれたと思えるほどに強烈ではあったが、即死に至るまでの威力ではなかった。満面の笑顔で鼻唄を口遊んでいる巫琴の態度から手を抜かれていると察し、屈辱感に猛る珠だったが、陽が上るまでの一刻半に渡り打ち続けられ、肉体よりも先に気力の方が屈してしまった。
服従か死か。
圧倒的な力量を見せつけられた後に二択を迫られた黒猫が前者を選ぶと、満足気に頷いた巫琴の不可思議な術により、魂魄を宋次郎と名乗らせていた童の肉体に移された。この影響により、朝と晩に丸薬を飲まなければならなくなり、加えて妖力を解放するには、自らの血を触媒とせざるを得なくなった。
抜け殻となった黒猫の肉体は巫琴が持ち去った。最も安全な場所で丁寧に保管していると言ってはいるが、その保証はなく、しかし信じざるを得ないのが現状だ。
「それで、なんの用ですか」
珠は巫琴を見ずにそう問うた。
「だからお見舞いだって言ったじゃない」
「それはもういいですから」
「信じてくれないの」
「当たり前です」
やれやれ、と巫琴は肩を竦める。
「もう幕が下りちゃったから、色々と教えてあげようかなって思って」
「結構です」
端から珠の意思など気にしていないようで、巫琴は「さっそくだけど」と話を始める。
「胡蝶と妙と多恵。この三人を殺したのは」
「そのカマイタチでしょう」
「そういうのじゃなくって、そのときにカマイタチに憑かれてた人のこと」
「それなら牡丹です」
巫琴は暫し絶句する。
「なんで分かったの」
「消去法です」
「なにそれ」
「聞いてきたってことはぼくが知ってる人でしょうから」
素っ気ない珠の口調がつまらなかったのか、巫琴は不満気に頬を膨らます。
「当たり。犯人は牡丹」
「動機はなんですか」
「珠ちゃんは知らないんだろうけど、南街に来た女衒はまず最も格が上の榮惠家に挨拶をして、そこで連れてきた娘の品定めをしてもらうの。一級品であれば高額で引き取られるし、娘としても環境がよくなる」
「一級品でなかったらどうなるんですか」
「次の格の店に挨拶するってことを繰り返すんだけど、簡単に言えば、迎えられるのが早ければ早いほど、南街っていう小さな世界の中では有利になるの」
「榮惠屋に迎えられれば、さらにその中での序列ができるんでしょうね」
そういうこと、と言って巫琴は頷く。
「懇意にしていた忠信が胡蝶といい仲になって、近々身請けの話があるって知った牡丹は、必死に貢いだり、性技を駆使したりして忠信の気を惹こうとしたんだけど、それが徒労でしかなかったって気づいてしまう。似たようななんて掃いて捨てるくらいあるけど、当事者からしたらそんな一般論なんてなんの意味もないでしょ。その結果、牡丹は馴染みの行商に呪殺につかえるような曰くつきの逸品があれば買いたいって頼んだの」
「それ、本気だったんですか」
珠が訝しげな顔で問うと、さあ、と巫琴は気のない返事をした。
呪具などと称される類の物は数多くあれど、その大部分は紛い物でしかない。本物であれば寺社などで封印されているのが常なのだが、稀に、網の目を潜り抜けるようにして市場で流通し、一般人の手に渡ってしまう場合がある。
幸か不幸か、牡丹が手にしたのは本物だったのだ。
「胡蝶が私怨で殺されたのは分かりますけど、他のふたりは」
「巻き添えなんじゃないの」
「まさか同じ名前だから、ですか」
「それくらい胡蝶に執着していたってことでしょ。カマイタチに憑かれて正常な精神でいられなかったときに、殺意を向けた相手が同じ名前の女なんだから」
カマイタチがその言葉に同意するかのように、鞘の中で刀身を震わした。
珠は深く息をつくと、難儀しながらも体を起こして巫琴と向き合った。
「その牡丹は、自室で殺されたんですよね」
「うーん、まあそういうことになるのかなあ」
「自害、ですか」
「自分で自分を斬ったという意味ではね」
榮惠家の女将である楓は、牡丹が鎌鼬に殺された件をできるだけ公にしたくないというような話をしていた。自害であれば面倒事にならずに済むと考えたであろうし、その痕跡を探したのではないか。
巫琴は上目遣いで珠の様子を窺っている。
そうか、と珠は呟く。
「自害したと女将が判断したのは、死体の周りに刃物がなかったからですね」
「じゃあカマイタチはどこにいったの」
「持ち出されたんだと思います」
「誰に」
「死体を最初に見つけた遊女」
巫琴は「当たり」と言い手を叩いて囃す。
「その華惠っていう遊女は牡丹の遺体の近くに落ちていたカマイタチを持ち出して忠信に渡したの。もちろんそれを頼んだのは忠信。華惠は忠信にご執心だったから、嬉々として従ったってわけ」
「ちょっと待ってください。どうして忠信がカマイタチのことを知ってたんですか」
「カマイタチを売った行商と忠信は南街でいっしょに遊ぶような顔馴染みだから、どこかで聞いたんでしょ。忠信も妖刀なんて存在を信じてたわけじゃないんだろうけど、一連の事件を見ていた中で、もしかしたらって考えたんじゃないかな」
「そのカマイタチを持ってこさせたのは、うちに来ていた娘の母親に渡すためですか」
「当然その目的は、喜多之輔を殺させること」
思わず珠は頭を振る。
「まどろっこしい話ですね」
「いきなり喜多之輔が暴漢に殺されでもしたら怪しいでしょ」
「それはそうかもしれませんけど」
「できるだけ不自然じゃないように、そして自分とは関係ないところで死んでもらわなきゃならない。その延長線上で思いついたんじゃないの。下手人がばれたとしても色恋沙汰ってことで落ち着くかもしれないし、単にカマイタチへの好奇心があったのかもしれない」
小さな胸を張って話す巫琴の話を聞いている内に、珠は小さな違和感を覚えた。
その要因はなにか。消えつつある微かな臭いを辿ると、昨日の翁の話に辿り着いた。
「喜多之輔を殺したのは誰ですか」
「どうして」
「カマイタチに斬られたんじゃないですよね」
「どうしてそう思ったの」
「翁はそう言ってませんでした」
「それなら、もう答えは分かるでしょ」
確かに。そう思いながら珠は頷く。
それを証明する物証はないのかもしれない。しかしそれは珠にとっては重要ではない。
「念のための確認ですけど、昨日の白装束は結果として、誰ひとり斬ることなく滅びたということですよね」
「そういうこと」
「それなのに助けなかったんですね」
巫琴は言葉を失うと、視線を逸らし「手遅れだったから」と零した。
珠は苦笑を漏らす。
「なにが手遅れだったんですか」
「どうしてそんなことを聞くの」
その理由を口に出さず、珠はただ肩を竦めた。
心外なのか巫琴は珠を睨むが、一転して明るい表情を見せる。
「まあ話はこれだけなんだけど、それはそれとして、なにかほしいものでもある」
「なんですか急に」
「ご褒美。遠慮なく言ってみて」
「それならぼくの体を返してください」
「及第点のくせに贅沢言わないの」
しばらく考えた珠は、それなら、と言葉を続けた。
それを聞いた巫琴はまじまじと珠を見える。
「そんなことでいいの」
「これも駄目ですか」
「そういうわけじゃないけど」
巫琴は訝しげな顔をしながら立ち上がり、軽やかな足取りで縁側から庭に降りた。
そういえば、と珠は巫琴に声をかける。
「あいつはどこにいるんですか」
「あいつって誰」
「ぼくを襲った妖です。あいつに監視させてたんでしょ」
巫琴は振り返り、笑顔で「祓っちゃった」と言った。
「あたしの命令は珠ちゃんを少し挑発するようにってことだったの。あの子、狗になったばかりだったんだけど、我が強くて。とっても残念だったんだけどね」




