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狂騒は悪意の中に  作者: 河童胡瓜乃丞
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17/24

本幕 其ノ拾六

 電撃大賞長編小説部門に投稿した小説です。

 江戸時代と妖怪をイメージしたものを書いてみました。

 江戸時代のことを色々と調べていたのですが、はっきりとしたことはなかなか把握できなかったので、その大部分はイメージとなっています。

 今後の参考にしますので、感想をいただければとても嬉しいです。

 吉田屋からの帰路。

 夕暮れを告げるような一陣の風が、珠の髪を掻き乱した。

 街は騒々しい。商家は慌ただしく店を閉じ、そして町人たちは足早に行き交っている。栄えている宿場町と思えぬくらいに静まるまでに、そう時間はかからないだろう。

 そのような雰囲気の中で平然と歩いていると、自ずと目立ってしまう。気を利かせて早く帰った方がいいと声をかけてきた者が何人かいたが、それは珠の耳に届かなかった。

 そして、日没が訪れた。

 屋敷に戻った珠はふと小首を傾げ、そして玄関の戸を開く。

 その物音で気づいたらしく、台所から茜が姿を現した。

「お帰りなさいませ」

 珠は茜の顔をまじまじと見る。

「ええと」

「今日からお世話になっている茜です」

「櫻良から暗くなる前に帰っていいって聞かなかったの」

 挨拶もせずに帰れない、と言って茜は微笑む。

「ご飯とお湯をご用意しました。どちらを先にしますか」

「とりあえずご飯を頼むよ」

「分かりました、すぐにお持ちします」

 一礼をして台所へ戻る茜の背中を何気なく見た珠は、ふいに険しい表情をした。その場でいくらか考えを巡らせたものの、ひとつ息をついて吉田の書斎へと向かう。

 書斎の板戸は閉じられており、その向こう側では啜り泣くような声がした。

 吉田が水墨画を描いているのだ。そしてそれが思うように行ってないらしい。

 珠はすぐに踵を返して離屋に向かう。

 吉田のこの状態が長引くと、怒りに任せて筆を折り、墨を辺り一面に撒き散らし、和紙を破いて大泣きするのが常だ。いつもにも増してそのようなものに煩わされたくない。

 離屋の中央で大の字になって寝転がった珠は、瞼を閉じて大きく深呼吸をした。

 胸騒ぎがする。そしてその要因がはっきりしないのが気持ち悪い。

 まんじりともせずにいると、小半刻も経たぬ内に茜が鍋を持って来た。

「お待たせしました」

「なにを作ったの」

「うどんです。ご隠居が大好物だとおっしゃいましたから」

「聞けばうどんを作ってくれって言われるよ。毎日でもね」

「味に飽きてしまわれないように頑張ります」

 うどんの麺には腰があり、煮干の出汁がよく出ていて、満足のいく味だった。食べ終えた後に感想を言うと、部屋の隅で控えていた茜はほっと胸を撫で下ろした。以前から料理をしてはいたものの、他人に出した事はないので、どういう感想を持たれるかと緊張していたと言う。

 鍋を下げようとした茜を、珠は「ちょっと聞くけど」と呼び止める。

「君に親しい身内はいるの」

「母だけです」

「他には」

「誰もいません。わたしが生まれる前に、母以外の身内は亡くなりました」

「お母さんの具合が悪いって聞いたんだけど」

 頷いた茜の顔を濃い影が覆った。

「病で臥せっています」

「いつから」

「悪くなったのは一ヶ月くらい前です」

「今までもそういうことはあったの」

「母は昔から体が弱くて、風邪を引いたくらいで何日も寝込んでしまうことも珍しくはありませんでした。ただ、言葉ではなかなか説明できないのですが」

 今までのそれとは何かが違う。茜の瞳がそう主張していた。

 なかなかの勘だと思いながら珠は頷く。

「病の状態は」

「熱はそれほど高くないのですが、弱っていて、体を起こすのもままなりません。お医者様から漢方薬をいただいているのですが、なかなかよくなりません」

 なぜそのような事を問われるのかと戸惑う茜の視線を、珠は無視する。

「君の明日の予定はどうなってるの」

「若旦那様からは、しばらくこちらでお世話になるようにと」

「なら頼むよ」

「はい、ありがとうございます」

 茜は頭を下げて言った。心なしかいくらか安堵しているように見えた。

 それから小半刻ほどかけて帰り支度を終えた茜を、珠は門前まで出て見送った。振り返っては何度も頭を下げるその背が見えなくなると、満月が浮かぶ空に視線を向けて杞憂を削ぎ落とす。

 今日は交戦に最良の日だ。そうなった際には、躊躇せずに勝負手を打つと決めている。

 その場で物思いに耽っていたが、待ち侘びていた気配を察知して離屋に戻ると、座布団の上で寝転がった翁が大きな欠伸をしていた。昨日のように気配を消して接触して来なかったのは、そのようにしても勘づかれてしまうと思ったからか。

「お待ちしてました」

「それなりの情報を持って来たつもりだが、其方はどうだ」

「成果があったとは言えないくらいのものです」

 翁は鼻を鳴らす。

「余談は不要だ。其方もその方がいいだろう」

「助かります」

「時系列を追いながら要点を整理するか」

 珠は頷き、記憶の引き出しを開きながらひとつ息をつく。

「最初の被害者は榮惠家の芸子の胡蝶です」

「小虎で鎌鼬に斬られた最初の被害者だな」

「榮惠屋の女将が言うには最も人気がある芸子で、恨みを買うような心当たりはないということでしたが、話の中で最も気になったのは、胡蝶の本名が多恵ということです」

「珍しい名ではないな」

 手で髭を伸ばしながら話を聞いていた翁は、その名を何度も口の中で転がした。

「この件についてはまた後程お話ししますが、胡蝶の本名を知っているのは女将と、同じく被害者となった牡丹という遊女以外にはいないのではないかと」

「忠信という山茶花の小倅はどうだ」

「知らないはずですが、どうしてですか」

「胡蝶を身請ける算段をしていたからだ」

「胡蝶をですか」

 珠は思わず声を上げた。

 翁は鷹揚に頷く。

「胡蝶は最も人気のある芸子で、主に南街の料亭に上がって三味線を弾き、上客を持て成していた。南北の街の交流により、一年ほど前から月に何度か小虎の座敷に上がっていたとされているが、実際には、専らそこで忠信と逢瀬を重ねていた。そのお膳立てをした小虎の者は当然として、榮惠屋の女将もそれを把握していたに違いない」

「どうしてそのような面倒な真似をしてたのでしょうか」

「くだらぬ色恋沙汰を避けるためと見るべきだろうな」

「しかし牡丹は殺される前に、自分が忠信に身請けられると話していたようです」

「願望や妄想を話すのはその者の自由ではないか」

「それなら忠信は牡丹をどのように見ていたのでしょう」

「重宝してはいたな」

「どういう意味でですか」

「もちろん性欲の捌け口や金蔓としてだ」

 端的な翁の言葉に、珠はつい苦笑を漏らす。

 翁がこのように断定するのは確証を得ているからだ。事実といくらかの相違があったとしても、その差は小さいという事は経験からよく分かっている。

 視線で促してくる翁に、珠は頷いて応える。

「次は千山という乾物屋の妙です」

「鎌鼬による二件目の被害者だ。息子が第一発見者という話くらいは知っているな」

「もちろんです。妙を起こそうとしたときに、殺されていることに気づいたと」

「その童は当初、深夜にふと目を覚ますと母の枕元に白装束を着た女が立っていたのを見たような気がする、というように証言していた」

「あいつか」

 珠は思わずそう呟く。

「もっともその話は公表されてはいない」

「理由は」

「信憑性に欠けると判断したからだろう」

「しょせんは子供の話、だからですね」

 目撃証言を喉から手が出るほどにほしがっている御手先としても、幼子の証言を鵜呑みにできなかったのだろう。何しろそれが夢や思い込みであったら責任問題となり、真実だったとしてもそれほど役に立つものではない。

「番屋内では知れ渡っているそれを、御手先のひとりが馴染みの瓦版屋に漏らした。瓦版屋はその話を大きくし、魑魅魍魎の仕業と書き立てたというわけだ」

「あながち間違っていないのが面倒な話です」

 人の口に戸は立てられないもので、特に最も注目を集めている鎌鼬の情報ともなれば、それなりの金が動くので尚更となる。俸禄のない身としては小金を稼ぐいい機会になったのだろうと翁は嗤う。

「妙の友人知人は口をそろえ、どうして妙が狙われたのか分からないと証言している。女手ひとつで寂れた乾物屋を営み、ひとり息子を育てながら慎ましやかに生活をしていた。誰かに恨まれるような女ではない、というようにな。裏を取ったが、それを覆すようなものは見つからなかった」

 もちろん品行方正な生活を送っていても、くだらない事で恨まれる可能性がなくはないが、大概はせいぜいつまらない嫌がらせ程度で収まるものだ。

 殺人に手を染めれば死罪の、情状酌量の余地があっても流罪の裁きが下るのは珍しくない。鎌鼬が殺人を続けているのは、一度手を染めてしまったのだから殺せるだけ殺そうとしているのか、それとも単に正気を逸しているのか。櫻良を始め町人たちはそのように考えているらしい。

 しかし端から妖が係わっていると見ている珠や翁は違う。

 妖には妖の理がある。そしてそれは、人の常識の範疇にあるものではない。

「三件目は手習いの師匠の多恵です」

「偶然にもその家に潜入していた同胞が、多恵を殺めた直後の鎌鼬と遭遇した」

「それでどうなりましたか」

 翁は苦い表情で頭を振る。

「半ば寝たきりの老爺が必死になって追った結果だ。責めるわけにはいくまい」

 もちろん文句を言える立場ではない珠は、溜息をつくだけに止める。

「多恵とはどのような者だったのですか」

「特に算術の教え方が上手く、人格者と評判で近所の者から慕われていた。夫や孫娘は元より友人知人は、これまた口をそろえて恨まれるような心当たりはないと証言しており、それは同胞も認めている。塾生は貧しい者が多く、半ば無賃で教えていたため、生活水準は下降の一途を辿っていた。昨年から病で伏してしまった夫の介護にも忙殺され、本人は冗談交じりに、死ねば楽になれるのだから今は頑張り時だと言っていた」

「そして楽になれたのですね」

「本人が想定していたよりかなり早かったのだろうがな」

「ずいぶんと物好きな」

 翁が眉を持ち上げる。

「意外だな」

「なにがですか」

「其方の口からそのような言葉が出たことだ」

 その言葉の意味を察した珠は、聞こえなかった振りをした。

 そしてそれ以上何も翁が言わない事を確認した後に、話を進める。

「四件目は魚兵衛という魚屋の妻で真理といいますが、鎌鼬とは無関係です」

「根拠は」

「夫である兵衛助に妖が憑いていました」

「それが真理か」

「状況からそうではないかと思います。兵衛助が殺したのか、それともそれに係わったのかは分かりませんが、感触としては前者です」

「ならば疑う余地はない」

 兵衛助に覆い被さり、耳元で呪言を吐き出していた妖を思い出しながら珠は頷いた。

 妖の首元には手で絞められた跡があり、顔色は鬱血により赤黒く、血走った眼球が飛び出している様から、絞殺されたのだと察しがついた。

 常人であれば如何なる非業の死を遂げようとも、妖と化す可能性は極めて低い。幸か不幸か、真理にはその種の才が宿っていたのだろう。

 兵衛助は日に日に心身を蝕まれ、遠からず呪殺されるに違いない。場合によってはそれだけで収まらず、その牙が他者に向くかもしれないが、それはまた別の話だ。

「五件目は麻紀という、南街の夜鷹です」

「鎌鼬とは無関係だ」

「これもですか」

 珠がついそう漏らすと、翁は嘆息を噛む。

「梅屋という小間物問屋の貞吉が、内儀と離縁してお前を娶る、と言って無賃で情交を重ねていた。貞吉にとってはその場限りの睦言であっても、麻紀はそう思っておらず、揉めに揉めた結果ということだ。貞吉は小僧に口裏を合わせさせて偽装を施し、鎌鼬の仕業としたのだが、問題はこの貞吉に人望がなかったことだな」

「とおっしゃいますと」

「先ほどその小僧が番屋に密告した」

「そもそも検屍で偽装と分からなかったのでしょうか」

「南街で起きた事件は大事にしてくれるなという要請が榮惠家からあったからだろう。屍には出血跡があり、当初から鎌鼬の仕業とは考え難かったのだが、時期が時期なのでどう対処すべきかと検討している間に噂が先行した」

 世間にとって鎌鼬は恐怖の対象でしかなかったが、便乗した下手人にとっては絶好の隠れ蓑になったのだ。損をする者の裏では必ず得をする者もいるのが世の常だが、それはこの騒動でも例外ではなかったらしい。

「六件目は榮惠屋の遊女の牡丹です」

「忠信に身請けられると言っていたのだったな」

「榮惠屋の女将が言うには最も人気がある遊女で、胡蝶に対抗意識を持っていたそうです」

「容姿端麗にして性技に長け、下賤な話ではあるが、交合えば他の女では満足できなくなるほどの快楽に浸れると評判だった。遠くからその味を確かめに来る者は多かったが、実際に交合えたのは、一割にも満たなかったと聞く」

「身請けの件は、親しい遊女が聞いたという話なのですが」

「先ほどは妄想というように言ったが、本人はそう信じていたのかもしれないな」

「そういえば翁は忠信という男をご存じなのですが」

 当然というように翁は口角を持ち上げる。

「気にかけずとも自ずと話が入る者のひとりだ」

「素行が良くないと聞きましたが」

「享楽主義の痴れ者だが、天はそのような愚者でも取り柄を与えなければならないと思うほど慈悲深いのだろう。器量は千両役者と見紛うほどに整っており、貢いでまで気を惹こうとする女は多い。町娘は元より人妻にまで手を出し、孕ませたのは一度や二度ではない」

「親が金で解決した、というところですか」

「だから懲りずにいるのだろう」

 なるほどと珠は苦笑を漏らす。櫻良が忠信について話す際に不機嫌な表情をしていたのがよく分かる。

「そして最後が喜多之輔という、その山茶花の番頭です」

「其方が昨日、奉公人から話を聞いたのだったな」

「もっとも手がかりになるようなものはありませんでした」

 呆れたように翁は頭を振る。

「喜多之輔が番頭になったのは十八歳の夏で、十余年ほど前のことだ。老舗の料亭ともなれば、二十年、三十年と奉公している手代もいるのだが、主人は、若輩者の喜多之輔を引き立てた。それに嫌気がさしたのか、手代や板前が店を去り、一時は評判が落ちることとなった」

「そこまでした理由はなんですか」

「理由を端的に言えば、喜多之輔は山茶花の主が妾に産ませた子だからだ。主は箱根に湯治に行く前に喜多之輔を呼び、遠縁の姪との婚姻を前提に、山茶花を継がせるという話を持ちかけた。驚いた喜多之輔は、自分には分不相応であり、仕えてきた忠信のことを考えるとそれを受け入れられないと返した。そこで主が、お前は実子なのでなんの気兼ねもない、と説得した」

「喜多之輔は自分の身の上を知らなかったのですか」

 嫌な予感を覚えつつ珠は言った。

 おそらく、言いながらと翁は頷く。

「喜多之輔の母は山茶花の女中で、婿養子として番頭から取り立てられた主が、つい手をつけて孕ませたという経緯があった。内儀に知られる前に暇を出して町外れの長屋で囲い、月に一度ほど通っていた。それから数年後に妾が流行の病で死亡した後に、喜多之輔を奉公人という体裁で引き取った」

「内儀はその話を知っていたのでしょうか」

「どうであれ、昨年末に内儀が死亡しているからこそ、喜多之輔を跡取りとするという手が打てたのだろう。実子でありながらも使用人として扱ってきた負い目と、迷惑をかけられ続けた忠信への失望がそうさせたというところか」

「そのことを知っているのは」

「主人が説明したのは喜多之輔の他、隠居したふたりの元番頭だ」

「それは忠信の耳にも入ったのでしょうか」

「人の口に戸は立てられぬものだ」

 当の忠信にとっては奇禍以外の何物でもないだろう。喜多之輔との関係がいかに良好であっても、それを祝福できるはずがなく、特権的な地位を収奪されたと思うのではないか。

 受容か否か。

 行く末が庶民と同等以上のものであったとしても、美酒の酩酊感に慣れ親しんだ身では、その選択肢が形だけのものとなるのは想像に容易い。

 そして面白い事に、と翁は話の矛先を転ずる。

「喜多之輔は七年ほど前に、契りを交わした女がいた」

「それを主人は」

「もちろん知っている。喜多之輔はお雪という女中と他人でなくなり、将来の約束を交わしたので主に報告に上がったのだが、別れるようにと命じられた。そこでどのようなやり取りがあったのかは分からぬが、結果として、お雪は金を渡され、山茶花から去った。今は大原町の粗末な長屋で、茜という名の娘と暮らしている」

 冷や汗が珠の背筋を伝う。

「そのような名の娘が、昨日から屋敷に来ているのですが」

「そして、其方にとってはよくない話がある」

「なんでしょうか」

 珠の様子を窺うように、翁はひとつ間を置いた。

「あの娘が浚われた」


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