本幕 其ノ拾弐
電撃大賞長編小説部門に投稿した小説です。
江戸時代と妖怪をイメージしたものを書いてみました。
江戸時代のことを色々と調べていたのですが、はっきりとしたことはなかなか把握できなかったので、その大部分はイメージとなっています。
今後の参考にしますので、感想をいただければとても嬉しいです。
どうやら珠が感じていた以上に心身は酷く疲弊しており、睡眠を欲していたらしい。
櫻良が朝食を持って来た事に気づけず、朦朧とした意識で必死に箸と口を動かすも、何を食べているのか全く分からない有様だった。何食わぬ顔でそれを隠しているつもりだったがあっさり櫻良に看破され「体調を崩しては元も子もないんですから」「行くのが二箇所だけなら昼に出ても充分間に合います」「後悔はひと寝入りした後にすればいいじゃないですか」などの甘言に流されてしまい、勧められるがままに縁側で転寝をした。
それからいくらか経ち、珠はふと覚えのない気配を感じてゆっくりと瞼を開く。
意識がゆっくりと集束していく様を感じながら軽くなった体を起こし、欠伸をしつつ庭を見ると、見慣れぬ少女の後ろ姿が目に入った。背丈より高い位置にある竿に、踏み台の昇降を繰り返しながら着物を干している。
視線に気づいたのか、少女は振り返り珠の方を向いた。そして小走りで珠の前に駆け寄ると、深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります、宗次郎様」
「君は」
「本日からお世話をさせていただく、茜と申します。よろしくお願いします」
動きやすいようにたすき掛けで着物の袖を縛っている茜は小柄で、歳は七つか八つというところか。少々切れ長な目と頬にほんのりと差している紅、小さな鼻と口、そして茸のような御河童頭はこけしのようだ。
珠は頷いて応える。
「細かいことは言わないから、ほどほどに頼むよ」
「精一杯頑張ります」
挨拶をそこそこに、茜は再び着物を干しに戻った。
かつての吉田屋にとって茜のような幼い娘は、好色家へと流す商品でしかなかったが、その手の悪行から手を引いた宋太の代になってからは厚遇で奉公させているらしい。町人から好意的に受け入れられているようで、その希望者は後を絶たないようだ。
視界の隅に、母屋から歩いてくる櫻良の姿が見えた。茜に何やら話しかけ、ふたりで笑っている。先ほどの櫻良の話振りから、親しい間柄らしいと感じたが、それは正しかったようだ。
「そろそろ起きる頃だと思いました。やっぱり寝て良かったですね」
櫻良は珠の顔色を確認しながら言った。
「ぼくはどれくらい寝てた」
「三刻くらいです。具合はどうですか」
「おかげで楽になったよ」
「出発の方はご飯を食べてからにしますか」
「櫻良はもう食べたの」
「半刻くらい前にいただきました」
「ならすぐに出るよ」
珠は櫻良に出かける準備をするように言うと、顔を洗って口を漱ぎ、身形を整えて足早に玄関へ向かう。昨夜の交戦以降、変に長引かせると碌な事にならないという予感が頭から離れない。そのようなものはできるだけ早く終わらせてしまうに限る。
玄関で風呂敷を小脇に抱えて待っていた櫻良を連れ、茜に見送られて屋敷から出る。
上方に目を向ければ雲ひとつない澄んだ青空が見渡す限り広がっていた。陽光は暖かく、緩やかに流れる風は心地いい。昨日に続き絶好の散歩日和だ。
「茜ちゃん、どうでした」
並んで歩いている櫻良が珠に目を向けて言った。
「感じのよさそうな娘だったね」
「はい、それにしっかりしてます」
「あのくらいの歳で奉公に出るものなの」
「普通は八つくらいからなので、少し早いと思います。お母さんが病に臥せってしまったので、大家さんに奉公の相談したところ、吉田屋を紹介してもらったって言ってました」
「なかなか大変だね」
珠はちらりと櫻良に視線を向けて言った。
もしかしたら、櫻良は茜の境遇を自分に重ねているのかもしれない。そのふたつの瞳には、自分もしっかりしなければならないという意志が灯っているように見えた。
「話は替わりますけど、魚兵衛と榮惠家、どっちから行きますか」
「それよりまずは、被害者について適当に掻い摘んで教えてよ」
「適当、ですか」
「なるべく分かりやすくね」
櫻良は不満気に唇を尖らせた。それくらいで何が分かる、と思っているのだろう。それでも話せる喜びの方が勝り頬が緩んだため、慌てて咳払いをして誤魔化す。
「鎌鼬の犯行は夜半に限られています。すべて斬殺です」
「みたいだね」
「今から三箇月ほど前です。榮惠家という置屋の芸者の胡蝶さんが、紅谷町にある小虎という老舗の割烹店の中庭で殺されました。お客から胡蝶さんが中座したまま戻ってこないと苦情を受けた小僧さんが店内を探していたのですが、ふと庭先を覗いたところ、庭木に寄りかかるようにして倒れている胡蝶さんを見つけました。話を聞いた番頭さんはすぐにその小僧さんを番屋へ走らせたので、それから小半刻と経たないうちに親分さんが来られました。親分さんは店内に下手人がいるだろうと当たりをつけて、後から来られた同心の旦那と詳しく調べましたけど、結局、それらしい人は見つかりませんでした」
櫻良の声はいつもより低い。それは不穏な雰囲気を演出しているからなのだろう。
苦笑をしつつ珠が話を続けるように促すと、櫻良は嬉しそうに頷いた。
「それから半月後に、千山という乾物屋の妙さんが殺されました。妙さんは一年前に旦那さんを亡くしていて、遺体を見つけたのは四つになるひとり息子の佐之助君です。いつもは自分よりも早く起きる妙さんが一向に起きてこないので、体を揺すったところ、冷たくなっていることに気づきました。慌ててかけつけた親分さんが近所の人に、夜中に怪しい人影や物音を見聞きした者はいないかと聞いて回られましたけど、結局、そういう話は出てきませんでした」
「その子は無事だったの」
「不幸中の幸いで傷ひとつありません。佐之助君は妙さんと布団を並べて寝ていたので、鎌鼬が気がつかなかったはずがないと親分さんはお考えのようですし、あたしもそう思います。そうなるとどうして殺されなかったのかという疑問が出てきますけど」
「分かってないんでしょ」
「はい、残念ですけど」
「残念ねえ」
珠は呆れたように漏らした。
言葉とは裏腹に櫻良の表情は好奇心で輝いており、その口はさらに滑らかになる。
「それから六日後に、立野町の長屋の一角で、手習いの師匠の多恵さんが殺されました。厠へ行った多恵さんが小半刻ほど経っても戻らないので、孫のあかりさんが様子を見に行ったところ、厠の前で倒れている多恵さんを見つけました」
「孫がいるくらいだからまあまあの歳なんでしょ」
「還暦前くらいだと思います。胡蝶さんと妙さんが若くて器量よしだったので、鎌鼬が狙っているのはそういう女だっていうのが専らの噂でしたから、不謹慎な話ですけど、予想外だと大騒ぎになりました。この頃までは、親分さんとしては、どれも人の目や耳が近い場所でのことなので、すぐに下手人を捕えられると思われてたみたいです」
「でもその結果はこの有様か」
「巷ではお上の怠慢のせいでこうなったって言われてます」
今さらそんな事を言っても仕方ないのに、と櫻良は肩を竦めた。
町の雰囲気を見れば櫻良のように考える者が極めて少数である事は一目瞭然だ。妖が係わっているのであれば、人の手に余るのはやむを得ないのだが、事情を知らぬ町人たちが悠長に構えられないのは仕方のない話だろう。
「それから十日後に魚兵衛という魚屋の奥さんの真理さんが殺されましたけれど、この件はよく分かりません」
「どうして」
櫻良は大袈裟に溜息をつく。
「店主の兵衛助さんは表に出て来ない、近所の人は口が重くてなにも言わない、事件を調べている親分さんはとりつく島もないという具合です。瓦版の方も大した情報がないのか、この事件はそんなに取り上げてません」
「なるほどね」
「事情が分からないというのは、その半月後に殺された南街の夜鷹の麻紀さんと、さらにその次の日に殺された榮惠家の遊女の牡丹さんも同じです。これらは南街の方から圧力がかかっているので、瓦版も書くに書けないそうです」
「圧力ねえ」
「本当です。瓦版屋さんに行って聞いたんです」
向きになって言った櫻良に、珠は苦笑を返す。
「まあ両方ともこれから行く所だから、直接聞いてみればいいよ」
「あたしもそう思います」
「それで一昨日に喜多之輔さんが殺された、か」
「被害者はこれで全員です」
「ざっと聞いたところだと、特別な共通点は思い浮かばないな」
「遺体の状態」
「なにが」
ここが話の肝なのだと、櫻良は鼻息を荒くして前のめりになる。
「その特別な共通点です」
「どんな風だったの」
「右肩から左脇にかけてばっさり斬られていて、薄皮一枚で繋がっている状態とか。おまけに被害者の遺体からは、血が出た跡がまったくないっていう話です」
「なんか怪談みたいな話だね」
「さすがにちょっと大げさだって思いますけど、瓦版はそれを事実のように書いてました。そんな凄惨で奇怪な真似ができるのは魑魅魍魎の類に違いない、っていう感じです」
珠は思わず眉間に皺を寄せる。
「それってどんな感じで受け止められてるの」
「はっきりしたことは分かりませんけど、ここ最近は、霊験あらたかな御守を求めてお寺さんに人が殺到しているとか、お稲荷さんに油揚げをお供えするというのが流行ってるみたいです」
「単純だなあ」
「それだけ切羽詰まってるってことだと思います」
「とりあえず下手人が鎌鼬って呼ばれた理由がなんとなく分かったよ」
鎌鼬とは妖と化した鼬の総称だ。妖力で生み出した巨大な鎌で鋭利な魔風を操り、それにより負わされた傷は深手となりながらも出血せず、苦痛もないが、気づかずに治療を怠れば死に至る場合もあるとされている。
高が噂話であっても、妖の名が出てくるのは好ましくないと巫琴は考えているのかもしれない。ならばこれ以上それが広がらぬようにと解決を急ぐのも納得できる話だ。
まだまだ話したくてたまらないらしく、上目遣いで珠を見てくる櫻良を気づかない振りでかわし、「じゃあ榮惠家から行こうか」と珠は言った。
「どうして榮惠家からなんですか」
「なんとなくかな」
凜の話を気にかけてくれているからだと思ったのか、櫻良は満面の笑顔で頷いた。




