6、君へ 前半
【6、君へ】
スピードメーターはとうの昔に限界を振り切っている。
誰もいない――正確には、怪物どもしかいない――町は、さながらゴーストタウンの様相を呈し、シマの特攻を妨げることはなかった。
化け物どもは気が立っているようだった。当然だろう。自分たちの獲物がすべて、軍の手によって奪われてしまったのだから。
シマは、追い付いてきたチーターのウサギ頭を撃ち抜いた。もんどりうって絶命する。ゾウの鼻のような尻尾が視界を掠めて背後に消えていった。頭上ではタカの羽を持つネコがフラミンゴの足を振りながら旋回し、こちらの隙を窺っている。
前方にまた違う影が見えて、シマはハンドルを切った。
狭い路地に入る。
ゴミ袋やら何やらが散らばっている中を、難なく抜ける。
進行方向は右手。
曲がる瞬間ちらりと左手側を見ると、Xの姿が目算で20以上あった。あれに囲まれたら、と思うとぞっとする。
(アイツはいつも、こんな中で、1人で戦っていたのか・・・。)
そして今、この時も―――そう思うと、シマは心底、腹が立ってきて仕方がなかった。
唇を噛む。冷静さを保つために、何かしら痛みが欲しかった。強く強く噛み締める。
(あの馬鹿、どうせまた口笛を吹きながら、戦っているのだろう。圧倒的な数の暴力を前に、自ら挑発し四面楚歌を招いて。そんなに死にたいのか。そんなに命がいらないのか。本当に、どうしようもないほど馬鹿だな。もうあんな奴、絶対に死なせてなんかやらない。絶対に助け出して、それから殴ってやる。こんなに、ヒトを苛立たせて・・・っ。)
だが、もう少しで目的地だ。あの曲がり角を曲がれば、そこにアイツがいるはずだ。
シマは体重をかけ、スピードを落とさずに路地へ入った。
「っ。」
黒いバイクが1台。置き去りにされていた。
息を飲んでブレーキを思い切り引く。金属のこすれるような甲高い音が、空っぽの街に響いた。車体を倒して止まる。
シマは、軍のバイクを倒したままに、それに近寄った。キーが差しっ放しになっている。キーの先に、お守りと思しき布の塊が揺れていて、『交通安全』の文字がかろうじて読み取れた。
彼のバイクであることに間違いはない。
しかし、肝心の彼の姿が見えない。
(戦っているのか・・・それとも、休んでいるのか・・・。)
路地からそっと顔を出してみた。―――Xの姿があちこちに見える。民家や店舗を手当たり次第に破壊している。しかし、一塊になっていないところから察するに、彼との戦闘は行われていないようだ。
シマは顔を引っ込め、次に、路地に面している窓を覗き込んでみた。―――人の気配はない。ここに逃げ込んで息を整えている、ということでもなさそうである。
「ちっ・・・どこに行った、あの馬鹿・・・っ。」
滅多に打たない舌を打ち、シマは路地から駆け出た。ゆっくり考えていられる暇など無かった。餓えた怪物どもが群がってくる。
(どうする・・・どうするっ。早くアイツを見つけ出して帰らなければ・・・。)
とはいえ、どんな妙案も浮かばない。今のシマに出来るのは、怪物どもの攻撃を躱しながら、茶色の頭を探して、闇雲に走り回ることだけだった。
何の変哲もない町並み。
割れた自動ドア。看板。どこにも繋がらない電話番号。
倒れた電柱。粉々になった監視カメラ。
軍が設置した真新しいスピーカーが、避難誘導の機械音声を垂れ流している。
(―――・・・それだ。)
シマはポケットから通信機を取り出し、電源を入れた。
『ザ・・・ザザ・・・―――さ、中佐! わぁやっと繋がったぁっ!』
少しのノイズ音の後に、半泣き状態の金切り声が機械を突き抜け、シマの鼓膜を貫いた。シマは耳を押さえ顔をしかめた。
『大尉、ミシマ大尉! 繋がりましたよ! 中佐、今どちらにいらっしゃるのですか? もー、みな、中佐を心配して心配して―――』
「すまないがっ、」
放っておいたら延々喋り続けていそうだ。そう思い、通信兵の言葉を容赦なく遮った。
「至急やってほしい事がある。頼むから、私の言うとおりにしてくれ。いいな。」
『あ・・・はいっ! 何なりとっ!』
走りつつ指示を出しながら、ちらと背後を見ると、いつの間にかXの数は倍以上になっていた。
しかし不思議と、恐怖は感じなかった。
†
「う・・・んん・・・・・・」
「おう、起きたか、リン。」
「・・・・・・あれ、ハジメさん? ―――ここは?」
ゆっくりと上体を起こしながらそう問うと、ハジメさんは心底嫌そうに「・・・軍の体育館だ。」と吐き捨てるように言った。
「ぐんのたいいくかん・・・。」
リンはぼんやりと鸚鵡返しに言った。まだ頭が痛い。臭いは、気絶している間に鼻が慣れたのか、それとも薬品のにおいに紛れている所為なのか、ほとんど何も感じなかった。
(俺、生きてる・・・。)
味わったことのない不思議な感覚だった。努力も苦労もしないで、命だけ助けられた。拍子抜けなような、安心したような、何とも言い難い脱力感。覚悟や絶望があっさり水泡に帰したことを、素直には喜べない自分がいる。
あたりを見回すと、ぎゅうぎゅうに集まって寝ている人々の大半が怪我人だった。白っぽい制服を着ている人が数名いるが、あれが衛生兵か軍医か、そんなところなのだろう。
「リン、お前、どうしたんだ?」
「・・・あー、臭いに、やられちゃって・・・。」
「あぁ・・・」ハジメさんは納得したように頷いた。「鼻が利くってのも、良し悪しだなぁ。」
「そうなんだよなぁ。」
リンも苦笑した。
ちょいちょい、と、フタバさんがハジメさんの肩を突いた。
「あの軍人さんのこと・・・ええの?」
「なにがだ。」見るからに不機嫌そうになるハジメさん。
しかし、フタバさんは古参の事務員で、ハジメさんのご立腹には慣れている。歯牙にも掛けずに続けた。
「リン君に言った方がええんとちゃうの? あの軍人さん、ずいぶんリン君のこと、気にしてはったようやし。」
「何なにー? 何の話?」
無邪気を装って首を突っ込むと、ハジメさんは「リン、気にするな。」と遠ざけようとしてきたが、フタバさんは手招いた。
リンは器用に座る位置を変え、2人の間に滑り込み、ハジメさんに背を向けた。会話からシャットアウトする。
「実はな、リン君。」
「うん。」
「リン君が運ばれてくるちょっと前に、えらいキレーな顔した軍人さんが来よってな。」
「・・・うん。」
「リン君がどこにおるか、しつこく聞いてきゆうから、バイクの位置を教えたんよ。そしたら、一目散に駆け出していってもうて。」
「・・・。」
「知り合いなん? たしか、『中佐』とか呼ばれとったと思ったけど・・・。」
その瞬間、リンは血の気が引く音を聞いた。さぁぁぁーっ、と、傍から見ていてもはっきり分かるくらいの勢いだった。目の前が紗を掛けたように暗くなり、身体が芯から震え出す。
「シマ・・・シマだ・・・っ!」
「おい、リン。知り合いなのか?」
ハジメさんが肩を掴んだ。リンは両手を床に付いた。混乱が頭の中を完全に占拠し、地面が無くなってしまったような感覚に陥った。
「おい、リン!」
「行かねぇと・・・。」
「はぁっ? 行くってどこに・・・おいっ! おいコラぁっ、リーンっ!」
ハジメさんの手を振り払って、リンは体育館から走り出た。
外にも人がたくさんいて、目が回りそうになる。硫黄の臭いがつんと鼻に付いた。民間人も軍人も関係なく、ごった返している。どうやら基地を避難所として開放したみたいだ。稀にない珍しいことだが、今のリンにはそんなことどうでも良かった。
「シマ・・・っ。」
人の波を掻き分けながら、闇雲に進む。軍服を着ている者がいれば、ぱっとその顔を確認して、それがシマでないことにどんどん絶望していった。
(シマ・・・シマ・・・っ! どこにいるんだよ、シマ! まさか・・・まさか、町の方で俺を探してなんてこと・・・。)
あるはずがない。シマは中佐だ。それがかなり責任の重い立場であることくらい、リンにも分かる。それを放り投げてまで、自分を探しになど来るはずがないのだ。そう、だからシマは、ここにいる。絶対にここにいる!
「―――あのっ!」
突然、腕を掴まれた。
喧騒と群衆の中で、苦労してそちらを見ると、そこには見たことがあるようなないような坊主頭の少年が、おぼろげな記憶の中とまったく変わらない険しい顔をしてこちらを見ていた。
「・・・あ、ええと、フジタ、って言ったっけ・・・?」
「どうして、ここにいるのですか?」
「え?」
「どうしてここにいるのですかっ!」
疑問が叱責に変わった。
「中佐は、あなたを探しに、基地を出ました・・・お1人で。指揮権をすべて、譲渡した上で! それなのに・・・それなのに、どうしてあなたがここに? 中佐は、一緒ではないのですか?」
リンは何も言えなかった。空っぽになった頭の中で、泣き虫な自分だけが、ただひたすら『シマ、シマ』と繰り返し呼んでは泣いている。幼いヒヨドリよりもまだ悪い。そして実際には何もできないで、ただぼんやりと、フジタ少年の坊主頭を見ているだけなのだった。
「嘘だ・・・。」
フジタ少年が俯いたまま呟いた。
人ごみの中で、この場所、この2人だけが、黒いドームに覆われているようだった。分厚く、一筋の光も通さない壁に四方を囲まれ、喧騒が遠退き、現実味も薄らいでいく。すべてが悪い夢のような気がした――シマに一目惚れしたことも、シマといろんな会話をしたことも、そして今、シマが窮地に陥っていることも。すべて、すべて悪い夢で、寝て起きたら何事も無かったように、今までの白黒の生活が戻ってくるんじゃないかと――
『―――リンっ!』
「っ!」
突如、響いた怒鳴り声に、ドームが割れた。喧騒が戻ってくる。
『リンっ、どこにいるっ? 返事をしろっ!』
「シマ・・・?」
「中佐?」
頭上のスピーカーから、ひび割れたシマの声が次々飛び出てくる。
『生きているなら生きていると言え、リンっ! お前が・・・お前が、死ぬなど、そんなはずがないだろうっ! とっとと顔を見せろ! これ以上私を苛立たせるなっ!』
こんな怒鳴り声――焦り、我を失い、心のままに叫び散らしている声、初めて聞いたが、これは確かにシマの声だった。深い谷底を流れる冬の激流のような、激しくも冷たく、力強い声。たとえ落ち着きをなくしていても、シマの声は本当に人の気を惹きつける。基地内にシマの声が響くたびに、不条理な喧騒ですら徐々に静まっていった。
『絶対に死なせないぞ、リン! どんなにお前が死にたがっているとしても、絶対に、死なせてなんかやらないからな!』
「うん・・・。」
『私はまだ、泣いている人間の慰め方を教わっていないぞ! 教えてやると言ったのは嘘だったのかっ?』
「っ・・・嘘じゃないよ。」
『それに、お前の話はたくさん聞いたが、私の話は全然聞いてもらっていない! 私がなぜ軍にいるのか、知りたくないのか!』
「知りたい・・・知りたいよ、シマ。」
『それに―――あぁ、くそっ。』
ドンッ、ドンドンッ
銃声。獣の雄叫び。
まるで負けじとするように、シマが声を張り上げた。
『――それに何より、私がもう1度お前に会いたいんだ、リンっ!』
リンは空を仰いだ。灰色の雲しかない、低い空を。――涙が出そうだった。
「なんだよ、シマ・・・なんでこんな時なのに嬉しいんだよ、俺の馬鹿!」
リンは自分の太ももを思いっきり殴りつけた。銃声ばかりを届けるスピーカーを睨みつける。シマがいる。戦っている。自分のために。
(こんなところで泣いてちゃ駄目だ! 今行く、今行くよ、シマ!)
心臓がばくばくと音を立てている。全身が火あぶりにされているように熱い。今走り出せばあらゆる世界記録を更新できそうだ。
「フジタ、シマの居場所ってわかるか?」
「通信室に行けば、おそらく。」
「案内してくれ!」
フジタ少年が頷き、走り出す。リンも後に続いた。
『どこにいるんだ、リン! 早く返事をっガシャンッ! ガンッ、ガラララ・・・ザ、ザザ、ザ、ザー・・・』
「シマぁッ!」
リンは思わず叫んでいた。
スピーカーが沈黙する。
(くそっ・・・くそっ、くそっ、くそぉっ! 間に合ってくれよ、頼む・・・っ!)
リンの脳裏に、父や母や姉の生前の笑顔が浮かんでは消え、そこにシマの顔が連なった。冷たい無表情。それが、寂しげに微笑もうとする。儚く笑って、消え去ろうとする。
(馬鹿っ! ふざけんなっ!)
リンは慌てて頭を振り、不吉なイメージを吹き飛ばした。
「絶対、助ける・・・っ!」
もうこれ以上、大切な人を失いたくはなかった。
基地の内部、通信室は2階にあった。中に飛び込むと、「中佐! 中佐ぁっ! 応答願います、中佐っ!」とマイクにすがりついている若い兵士がまず目に入った。他にも5,6人がその周りを固めていて、皆が皆、シマのことを案じている様子が一瞥して分かった。
「なぁ、なぁっ!」
リンはその輪の中に両手を突っ込んで無理やり入り込んだ。
「おい、誰だお前! 民間人は立ち入り禁止だぞ!」
「そんなこと言ってる場合かよ!」肩を掴んできた手を振り払って、リンは若い兵士に詰め寄った。「この放送、いつも避難誘導とかに使ってるやつだよな? なぁ、これ、街中にだけ流すことって出来るか?」
「えっ? あー、はい。できますけど・・・。」
「じゃあやってくれ!」
「何をやる気ですっ?」そう言ったのはフジタ少年だった。
リンは振り返ると、フジタ少年に人差し指を突き付け、不敵に笑って言った。
「決まってんだろ! シマを助けんだよ!」




