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比翼の天使  作者: 魚勝ソニ
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9/13

6、君へ 後半

    †

 怪物どもに囲まれる。進路も退路も何も無い。右を見ても化け物、左を見ても化け物、前を見ても化け物。そして後ろは壁。

『―――回線、繋ぎました!』

 左手の中で通信機が言った。

 間髪入れず、シマは吠えた。

「リンっ!」

 少し離れた場所から自分の声が『リンっ!』と叫ぶのが聞こえた。ちゃんと繋がっているようだ。安堵。よし、これできっと、あの馬鹿にも届くはずだ。何も考えずに捲くし立てる。

「リンっ、どこにいるっ? 返事をしろっ! 生きているなら生きていると言え、リンっ! お前が・・・お前が、死ぬなど、そんなはずがないだろうっ! とっとと顔を見せろ! これ以上私を苛立たせるなっ!」

 ここまで本音をぶちまけるのはいつ以来だろう。ずいぶん久しぶり、どころか、ともすれば生まれて初めてかもしれない。

「絶対に死なせないぞ、リン! どんなにお前が死にたがっているとしても、絶対に、死なせてなんかやらないからな!」

 不覚にも涙が零れ落ちそうだった。目頭が熱くなって、それで思い出す。

「私はまだ、泣いている人間の慰め方を教わっていないぞ! 教えてやると言ったのは嘘だったのかっ?」

 彼がそう言ったのはいつだったか。どんな話の最中に約束したのだったか。そうだ。思い出す。

「それに、お前の話はたくさん聞いたが、私の話は全然聞いてもらっていない! 私がなぜ軍にいるのか、知りたくないのか!」

 ひどく自分勝手な言葉だと思った。聞いてもらっていないのではなく、自分が話そうとしなかっただけだというのに。まるでリンが悪いと言うように。違うのだ。彼を責めたいわけじゃない。自己嫌悪。敵前逃亡。自分はまだ、本当に言いたいことを言っていない。

「それに―――」言いかけて、躊躇した。「―――あぁ、くそっ。」と、怖気づいた心を化け物の接近の所為にして毒づく。

 ドンッ、ドンドンッ

 ろくに狙いもせずに先頭の奴を目掛けて撃った。当たったか、掠ったか、どちらにせよ致命傷にはならなかったらしく、そいつが雄叫びを上げた。痛みと怒りに満ちた雄叫び。

 ―――その時、ふ、と、シマは死を覚悟した。

 完全に囲まれた状態で、1人。増援は望めない。来たとしても間に合わないだろう。武器は、銃が1丁とナイフが1本。それだけ。

(あ、もう駄目だ。)

 そう思うと、途端に、怖くなった。

 ここで、1人で、化け物どもに貪り食われて、一生を終えるのか。

 そう思うと、途端に、悔しくなった。

(私は私の人生で、いったい何をやってきたのだろう。何を成したと言うのだろう。)

 父の顔、兄の顔、母の顔。

(・・・何も、成してなどいないじゃないか。)

 リンの笑顔。自分に向けられた、家柄も階級も何一つ気にかけていない、あの笑顔。彼の気さくな口調がどれだけ自分の心を癒したのか。彼との会話がどれだけ自分の楽しみとなっていたのか。彼に出会ってから、どれだけ世界が苦しくなって、そして同時に輝いていたのか。

 自覚。した瞬間、驚くほどすんなり言葉が出てきた。


「――それに何より、私がもう1度お前に会いたいんだ、リンっ!」


 シマは覚悟を蹴り飛ばした。

 銃を構える。きちんと狙い撃つ。キツネの眉間を撃ち抜く。近い奴から順々に殺していく。トナカイの頭。ラッコの足。タヌキの尻尾。ヒツジの角。ヤギの目。ことごとく部品を間違えている黒一色の怪物を。

 自分が死なないために。

(リンに、もう1度会うために。)

 自覚してしまえば、なんと単純な想いだろう。どうしてこんなに簡単なこと、今の今まで、こんなに追い詰められるまで分からなかったのだろう。シマは、自分の愚鈍さに嫌気がさしてきた。

(だいたい、ちょっと囲まれたくらいで何をナーバスになっている。この程度の包囲、リンは口笛一つで簡単に切り抜けていたぞ。)

 頭の中でリンが笑う。笑って、『シマっ!』と弾んだ声で言う。結局、彼は今どこにいるのだろう。自分なんかよりよっぽど悪い条件で、1人で、戦っているのだ。口笛で陽気な曲を吹きながら。

 再び腹が立ってきた。苛立ち紛れに怒鳴り付ける。

「どこにいるんだ、リン! 早く返事をっ」

 と、一瞬、意識を通信機へ傾けたその隙に、シェパードの頭をしたサルが飛びかかって来た。

「っ!」

 咄嗟に上体を反らしたが、避け切れない。左腕に組みついたソイツが牙を突き立てる。焼けつくような痛みが走った。

 ガシャンッ!

 破砕音がして、そこで自分が通信機を取り落としたことを知った。

「くそっ。」

 肉を噛みちぎろうとして、サルの身体を振っているシェパードの額に、銃口を押しつける。ゼロ距離からのヘッドショット。黒い粒子になって消える怪物。しかし、ソイツに付けられた傷までは消えない。傷口はかなり深くにまで達していた。血が溢れ出ていくのが分かる。一緒に精気や根性と言ったものまで出て行ってしまうようだ。持ち上げることもままならないのは、物理的にか精神的にか。

「・・・くそっ・・・。」

 もう1度、呟く。

 銃を撃ちながら後退する。背中が壁に当たる。包囲網が縮まっていく。撃つ。撃つ。撃つ。撃つ―――――そして遂に、引き金が引けなくなった。スライドが不自然に固まっている。弾切れだ。替えの弾倉はない。

 シマは銃を投げ捨てた。素早くナイフを引き抜く。白兵戦はあまり得意ではないが、やるしかない。

 迫ってきたワニの頭に口の内側から刃を突き立てる。粒子になって消える。反対側からヒョウが諸手を上げて襲いかかって来た。避ける。避け切れない。爪が肩口を切り裂く。痛い。いや、気にするな。逆手に持ち替えたナイフでそいつのシカ頭を切り裂く。突然右足が激痛とともに重くなった。何かに噛まれている。闇雲に足を振った。離れない。痛い。横から腕が伸びてきた。左腕を掴まれる。とんでもない圧力が掛かった。自分の口から、この世のものとは思えない叫び声が出た。痛い。痛い。ゴリラと思しき太い腕にナイフをめちゃくちゃに刺す。唸り声を上げて飛び退く獣。その拍子に、相手の腕に深々と刺さったナイフが自分の手から離れて行った。攻撃手段が失われた。痛い。右足がまだ痛む。終わった。正面からイノシシのタックル。背中から壁に叩きつけられて、息が詰まった。痛い。目の前が暗くなる。もう立てない。痛い。絶望。諦観。痛い。痛い。痛い―――

(・・・リン。)

 どうか、彼の命が無事でありますように。心残りと言ったら、それくらいのものだ。

 ―――正直、ありがたいと思った。少し前までの自分だったら、心残りどころか未練も後悔も何も無く、ただ機械が壊れるように死んでいたに違いない。その死に際は寂しいものだ、と今なら思える。すべて、リンのおかげだ。

(・・・ありがとう、リン。)

 そうして、シマは目を閉じた。

 もう痛みも感じない。

 ただ、眠かった。

 自分が一回り小さくなって、地の底に沈んでいくような感覚。

 世界が暗闇に包まれる。すべてが消えていく。

 その中に、遠く、音楽が響き始めた。

(―――・・・ショパン作曲、ノクターンOp9-2・・・。)

 すぐに分かった。

 あの後、文献や資料を漁りまくったのだ。ノクターン、とは『夜想曲』という意味。ショパンは19世紀に活躍した有名な作曲家で、ノクターンやエチュードなど数多くの名曲を残し、ピアノの詩人と謳われた人物だった。

 その優美な旋律が、いま確かに、聴こえている。

(ありがたいな・・・たとえ幻聴だとしても、最期に、この曲を聴けるだなんて・・・。)

 シマの目から一筋の涙が零れた。

 夜を想い、月に歌う、か細い口笛の朗々とした音―――

(―――口笛・・・?)

 シマは目を開けた。

 そこにいきなり、空が飛び込んできた。

 灰色の雲に覆われた、低い空。

 遮るものは何も無い――怪物どもの姿は1つも無い。

 混乱が先に立つ。自分はなぜ死んでいない。ノクターンはまだ聞こえる。獣の咆哮も。

 苦労して顔を傾ける。

 と、狂ったようにスピーカーに群がる黒い集団が見えた。スピーカーからは、まるで怪物どもを嘲笑うように、麗しいメロディーが流れ出ている。

「・・・リン。」

 リンだ。リンしかいない。こんなに奇麗な口笛を吹く人物を、シマは他に知らない。スピーカー越しでも効き目があるのか。なんと万能なのだろう。それにしてもなぜ、奴らはこんなにも口笛を嫌うのだろうか。とても奇麗なのに。もったいないことだ。

 どこかから砲弾の音が聞こえた。きっと中央本部の援軍だ。彼らが到着したからには、あと数時間もしないうちに、事態はすべて片付くだろう。怪物どもは一掃され、町には平和が戻ってくるはずだ。

(・・・もう、いいかな。)

 シマは再び目を閉じて、今度こそ完全に意識を手放した。

    †

 リンが口笛を吹き出した瞬間、通信室は静まり返った。

 どんな楽器とも違う、細く儚げだが固い芯が入っているような音。リンはマイクに向かい、完璧な音程で旋律をなぞっていく。

 ノクターンOp9-2

 シマが『奇麗だ』と言ってくれた思い出の曲。

 スラーとレガートが多用されているために、1フレーズが長めで、とても一息では吹き切れないはずなのだが、リンは決して途切れさすことなく、滑らかなペダル使いを見事に再現していた。

「すっ・・・げー・・・。」

 誰かが呆然と呟いた。音楽の文化が廃れた世界で、リンが操る後進的な、自殺行為としか見なされない口笛が、かつての栄華を朗々と歌う。千年以上前の世界の人々が音楽を愛し、敬い、慕っていた理由を垣間見るようだった。

(シマには絶対、攻撃させない! 今のうちに逃げてくれ、シマ・・・!)

 スピーカー越しでも効き目があることは知っている。

 監視カメラの映像は、異形のものどもが、スピーカーに暴動の矛先を向けている様子を映し出していた。

 リンにはその様が、まるで嫉妬に狂っているように見えた。醜いものが奇麗なものを妬み、破壊する。自分の価値を下げられたくないから。自分より優れたものを認めたくないから。見たくない、知りたくない、聞きたくない。自分のみっともない小ささや、どうしようもない醜さを。

 その気持ちは分かる。きっと、誰にだってある感情だ。本性、と言ってもいいかもしれない。汚い部分は隠して、奇麗なものを汚して、安心したい、という思いは誰にだって持ち得るものだと思う。

(・・・でも、壊したら駄目だよな。)

 負けるのを恐れて逃げても良い。思い知るのが怖くて隠れても良い。

 でも、壊してしまったら、それが本当の敗北だ。

(俺は絶対、怪物のようにはならない。俺は小さくて、醜くて、汚い人間だけど、俺より凄い人を貶めることは絶対にしない。・・・シマは俺なんかより、ずっと優しくて、凄い奴だから。)

 その彼に褒めてもらえた事実がある。それだけで、リンはこの先ずっと、真っ直ぐ生きていけるような気がした。

 ノクターンが響く。

 そこに、ふと雑音が混ざって、間延びした呑気な声が通信室に木霊した。

『―――・・・うーい、こちら、正規軍中央本部、大将、トキタ。化け物どもを殲滅中ー。・・・あ、おい、誰か倒れてっぞ。保護しろー。』

    †

 中央本部のトラックの中で、トキタ大将はふんぞり返って言った。

「しっかしまぁー、これがマヒトの息子かい! へぇ、よー似てんなぁ、こりゃ。キレーな顔しちまって、ったく。モテんだろうなぁ。ムカつくぜこん畜生。タケガワのクズを閉じ込めたっつーのには笑ったけどなぁ、はっはっ!」

「大将、あんまりそういうこと、大きな声でおっしゃらないでください。」

「気にすんねぇ堅物よぉ! 告げ口されたって俺ぁ困んねぇしなっ!」

「そういう問題ではありません。というかそもそも、告げ口する相手がいないじゃないですか。」

「まぁな。」

 大将は愉快そうに、くつくつと肩で笑った。それから不意に笑いを収めて、

「マヒトの息子のくせに、思い切ったことやったよなぁ、コイツ。」

 しみじみと言った。見下ろした先では、まだ若い軍人が1人、傷だらけの状態でありながら、安らかに寝息を立てている。ブーツの先でつつくと、嫌そうに眉をひそめて、しかし目を覚ましはしなかった。

「ただの機械ってわけじゃあねぇんだな。」

「・・・命令違反に独断専行。さらに、上官に対する反逆行為を犯したとあっては、いかなヤヅキ総帥のご子息であろうと、懲戒免職は免れ得ないでしょうね。」

「免れるつもりもねぇだろうよ、この様子じゃあ。―――ほんっと、馬鹿だよなぁ。」

「・・・。」

「だが、」

 大将はゆったりと煙草をくわえた。すかさず従兵が火を点ける。真っ白い煙を気だるげに吐いて、彼は傲岸不遜な笑みを浮かべた。

「俺ぁ、嫌いじゃねぇぜ、こういう馬鹿。」

「・・・えぇ、存じております。」

「マヒトに言っとけ。お前の息子は俺の権限のもと懲戒免職。軍法会議はなし、ってな。」

「承りました。」

「あれぁ神経、磨り減るからなぁ。経験しねぇ方が幸せだ。ま、民間人の保護って点じゃあ、最善の策を取ったみてぇだしな。これくらいサービスしてやってもいいだろ。どーせ、会議なんかしようがしまいが、結果は変わんねぇんだし。」

 そう言って、空へ向けて煙を放つ。溜め息のように重たげな吐息は、荒廃した街並みにたちまちのうちに馴染んで、消えていった。

 従兵は表情を読まれないように顔を俯けた。大将は親切な上官を気取っているが、従兵には分かっていた。

(ヤヅキ中佐のためとかじゃなくて、絶対、自分が面倒臭いってだけだよな、この人・・・。)

「おい、何か言いたい事があんならはっきり言えよコラ。」

「落とし所としては最善だろうな、と思っていただけです。」

「ふんっ、どうだか。」

「本当ですよ。」

 トラックが速度を落とした。シュウシャ基地に入っていく。ホームに帰って来たのを感じたのだろうか、今回の最大の功労者にして加害者にして被害者でもある彼が、小さく呻いて目を開けた。

(あ、アイスブルー。)

 総帥と同じ色だ。だというのに、従兵は何故か、総帥より魅力を感じた。少し潤んでいる所為か、寝起きでぼんやりしている所為か、総帥のような刺々しさは微塵も感じられなくて。

(僕がもうちょっと若かったら、惚れてたかもな・・・。)

 目と目が合った瞬間に始まる恋を、信じられるほど従兵は若くはない―――その代わりに彼は、もっと確かで大切なものを知っていた。

「お? どうしたお前、あに見蕩れちまってんだよ。」

「おや、嫉妬ですか、大将?」

「は・・・はぁっ? なに言ってんだよこの馬鹿! クビにすっぞ!」

「あぁ、それは困りますね。」

「本当かぁ?」

「本当ですよ。」と、従兵は肩をすくめた。「大将のお傍にいられなくなったら、僕はショックで死んでしまうかもしれません。」

「ふんっ、バーロォめ。・・・そしたらてめぇ、一生死ねねぇじゃねぇか。」

「――それはつまり、一生お傍に置いて下さる、と?」

「一生こき使ってやんよ。覚悟しとけ。」

 照れくさそうにそっぽを向いて無愛想に言った大将に、従兵はにこりと笑いかけた。

「望むところです。」


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