4、挙動不審
【4、挙動不審】
シマが、右手をぼんやりと眺めて『心ここにあらず』な顔を晒すようになっていたある日、基地に警報が鳴り響いた。
『C‐12地点でXの出現を確認。数40。繰り返します。C‐12地点で―――』
聞きながらシマは走る。タケガワ少将を探す。だいたい彼は、探している時に限って見つからない。無駄な時は無駄な場所にいるというのに。警報から約1分。ようやく見つけた。
「少将。」
「やぁ、ヤヅキ中佐。出たみたいだねぇ。」
「第1分隊の出動許可を願います。」
「ようし、許可しよう。健闘を祈る。くれぐれも、気を付けたまえ。」
シマは黙って敬礼をし、踵を返した。無線機で指示を飛ばしながら廊下を歩く。自分の足音がいつになく大きく聞こえた。攻撃的な歩き方になっている。気付いてはいたが直せない。
自分の装備を身につける。2分後には外に出た。隊員全員が揃い、武器を積み、出発に至ったのは、それからさらに3分後。
「第1分隊、出動。」
シマの号令にトラックが動き出す。
東門が開く。動きがやけに遅い。もう警報から7分経った。いつもと比べてどうなのだろう。いつもは何分で出動していたのだろうか。
「・・・中佐、大丈夫ですか?」
ハンドルを握る曹長が尋ねてきた。シマは前だけを見ていた。
「なにがだ。」
「いえ、その・・・何か、焦ってらっしゃるように見えたので。」
シマは言葉の意味を咀嚼した。そして困惑した。
「・・・なぜ、私が焦る必要がある。」
「え、いえ、ただ、そんなように見えたと、そういうだけです。どうやら、私の気の所為だったようですね、すみません。」
「そうか。気にするな。――ところで、いま何キロで走っている。」
「60キロです。それがどうかしましたか?」
「いや・・・。」
シマは言葉を濁した。なぜその質問をしたのか分からなくなった。さっきまで、いつもよりも遅いような気がしていた。言われてみれば普段と変わりない。
「やっぱり、」躊躇いがちに曹長が言った。「焦っている、ように見えますよ、中佐。」
シマは答えなかった。
無線機が『レジスタンスが1名、Xと交戦を開始しました。』と、2度繰り返した。
沈黙を気まずく思った曹長は
「また、彼ですかね?」
と陽気に言いながら横を見て、大いに動揺した。すぐさま、何も見なかったふりをしてハンドルを握り直す。
―――資料映像。耳慣れない旋律。茶色い毛玉。金色の目。暢気な声。
シマはただ、前だけを見ていた。
―――細い体躯。鋭い警告。銀色の武器。弱々しい手の平。
そうすれば早く着くような気がした。
―――笑顔。
ただ、どうして早く着きたいと思うのかは、分からなかった。
†
シューベルト『鱒』
リンのお気に入りの曲の1つだ。ちょうど吹きやすい音程と、付点が入り混じる陽気な調子。本当はきらきら光る川面のような繊細な前奏が一番好きなのだが、さすがに口笛であの部分を再現するのは難しかった。歌が付いていたという話も聞いたが、どんな歌だったのかということは誰も知らない。
テーマだけを延々繰り返し吹きながら、西洋刀を振るう。その度に、まるで音楽に合わせるように、怒りの咆哮や断末魔の叫びや、そんな汚い、音とも言えないような音どもがリンに突き刺さった。
目の前にあったウシの頭を一突きのもとに絶命させ、抜いた反動でバックステップしダチョウの蹴りを躱すと、すかさず踏み込み、細い首の上で揺れるブタの頭を鼻から後頭部へ一刀に両断した。上手く骨の隙間を狙えれば、誰でも簡単に出来る技だ。リンは自分の腕を誇ることなく、次の獲物へ飛びかかった。
7体目を倒したところで、リンは待ち望んでいた音を聞き拾い、曲を中断して喜びに唇を震わせた。
トラックの重低音と警告サイレン。
ひゅうっ
(来た来た来た来たぁ〜! どうかあれが、シマの部隊でありますように!)
神に祈るように思ったが、神など全く信じていない上に、あれがシマの部隊であることはすでに確信していた。彼ほど早く現場に来てくれる軍人を、リンは他に知らない。ましてや今日など最高新記録と言って良いほど早い到着だった。
彼らの体勢が整うのを待って、リンはわざと大きく後ろに跳び、弾道を開けた。
間髪入れずに一斉射撃が戦場を蹂躙する。化け物たちがどんどん駆逐されていく様を見て、リンは何とも言えない感慨を味わいながら、軍人たちの背の陰に入った。
そこにシマがいる。
短い黒髪をきっちりと軍帽に仕舞いこみ、氷のような薄い青の瞳で戦場を睥睨している。部下たちの生死を預かっている厳しい顔は、リンを前にしても全く揺らぐことなく、一瞥だけして前を向いた。
(やっぱ、カッケーなぁ・・・。)
リンは邪魔にならないように後ろの方へ下がりながら、彼の凛々しい背中をじっと見つめていた。背中の筋肉がきゅっと引き締まっているのが分厚い軍服の上からでも分かる。シマは相当自分を鍛えているみたいだ。体格も良い。だからといって筋肉ダルマみたくなっていないのが、リンとしては高ポイントだった。しなやかで強靭。チーターみたいだな、と思って、慌ててその比喩を取りやめた。時代が時代の所為で、人によっては動物に例えられるのをひどく忌み嫌う。シマがそうでないとも限らない。
背丈は、180センチ近くあるのだろうか。自分との身長差はおおよそ10センチ。
(・・・そういや、カップルのベストな身長差は、10センチから15センチだって、どっかで聞いたっけなぁ・・・ちょうど肩に頭を乗せられる高さだから、って―――)
無意識のうちに、自分が彼にそうしている絵を思い描いていた。はたと我に返り顔が火照る。自分はいったい何を馬鹿なことを考えているんだろう。やめだ、やめ、別のことを考えよう。
と、冷静になって、再びシマの観察に戻ったリンだったが、数秒後にはその顔はさらに真っ赤に染まっていた。ふと、軍服の後ろ襟から彼のうなじが覗き見えることに――そしてその白さと美しさと色気に――気付いてしまったからである。
(やっ、べぇ・・・ちょ、待って・・・鼻血出そう・・・っつーか、俺、キモいな、くそうっ・・・。)
兵卒たちが、今日ほど自分が戦いに集中できたことを感謝する日はないだろう。間違って振り返りでもしていたら、普段通りの氷の司令官の後ろで、顔を真っ赤にして口元を押さえ、空と地面と住宅と司令官へと1秒おきに視線を投じては、そわそわと身をよじる、挙動不審の男が目に入っていたのだから。その瞬間、命がなくなることは避けられ得ない運命である。
†
「損害確認。」
「はいっ。―――損害、ありません。」
喜ばしい報告。シマは軽く頷いた。
「被害状況、確認。」
「はいっ。」
規則正しい駆け足が散開していく。指示を出せば後は待つだけ。去年までは自分も走り回っていたのだ。奇妙な感慨を覚えた。
振り返る。
「・・・どうかしたのか。」
思わず聞いていた。それほどまでに、彼――アザワ リンの様子はおかしかった。
「あ、やっ、別に、なんでもねぇよ、シマ!」
「そうか・・・。」
「うん、ぜんぜん大丈夫! まったく何にも問題ねぇから!」
と、言うわりにはずいぶんと顔が赤い。明らかに、虚言を呈しているように見えた。熱でもあるのだろうか。風邪をひいているのだろうか。
(・・・もし、そうだとしたら、そんな体調で交戦したのか。)
気に食わない。シマは厳然たる足取りで彼に近寄った。右の手袋を取る。無造作にポケットに突っ込む。金色の瞳を見下ろす。手を上げる。
「へ、あの、シマ? どうかした・・・―――ふおわっ!」
シマが額に触れた瞬間、彼は奇声を発した。熱い。次に手の甲で首筋に触れる。やはり熱い。戦闘が終わって気が緩んだのだろうか。さきほどまでより顔が赤くなっている。耳たぶまで赤い。風邪だ、どう見ても。口をいたずらに開閉させている。咳を堪えているのだろう。仕方のない奴だ。
判断を終え、シマは手を離した。手袋をはめ直す。淡々と告げる。
「なぜ、そんなに死に急ぐ。」
「えっ?」
「せめて、体調の悪い時くらいは戦うな。何かあったらどうする。今日は早く帰れ。それで、きちんと寝ろ。いいな。」
「あ・・・う、うん・・・わかった。」
彼は素直に頷いた。まるで幼い子供のようだ。宝石の目に林檎の頬。そして、それらがふわりと蕩けた。
「心配してくれてありがとなー、シマ。」
――角砂糖を一掴みぶち込んだ紅茶を無理やり喉に流し込まれたような感覚がシマを襲って心の奥底を揺り動かし困惑の極みに突き落とした。なぜか、彼の顔を直視できなくなる。視線を地に落とす。自己嫌悪の4文字が脳裏で点滅した。
「中佐、被害状況の確認、完了しました。」
「―――っ、」
シマは自分の爪先が回れ右をするのを見守った。それからようやく顔を上げる。自分より年上の曹長がいる。指示を下す。役割を果たす。
「只今より帰投する。」
「はいっ。」
歯切れの良い返事。曹長が先んじて踵を返し、兵卒を車に追い立てる。
「じゃあなー、シマ! またなー!」
背後で手を振る気配。足が止まる。身体が回転しかかる。45度ほどのところで、それ以上回るのを押しとどめることに成功。しかし視線はシマに逆らった。止める間もなく可動範囲の限界に挑んでいく。ちら、と、視界の隅に茶色い毛玉が映った。
それだけ。
シマは前を向いた。
†
軍隊が消え去るやいなや、リンは食堂に駆け込んで、おばちゃんに詳細をぶちまけると涙ながらに訴えた。
「いったいあれは何の拷問だったんだよおおおおっ! シマのばぁあーーかっ! その場で襲いかからなかった俺の理性を褒めてくれぇっ!」
「はいはい、よくできましたねー。」
「あぁ、もう、ったく・・・なんなんだよう本当にもー・・・シマ・・・っ、うわあああああああっ!」
「リン、うるさい。」




