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比翼の天使  作者: 魚勝ソニ
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3、恋に関する一考察 後半

    †

 バイクに目を止めたのは、フジタ少年だった。シュウシャ自治区の中では最も人口の多い、C‐2地区でのことだ。とある食堂と思しき小さな家の前。キーを差したままのバイクが一台。流線型のフォルム。旧型。400cc。色は黒。見た限り、なかなか良いバイクだ。

 盗難の恐れがある。小さな盗難は大きな犯罪の呼び水になりかねない。そう判断し、シマは店に入ったのだったが。

「―――リン、あんたのだろう。行ってきな。」

 店の主はそう言って余所を向いた。

(・・・リン?)

 シマは無意識的に、茶色い頭と金色の瞳を思い返していた。

(いや、まさか。そんなはずがない。)

 リン、という名前などさして珍しいものではない。この自治区内にも、数人はいるはずだ。シマは、彼かもしれない、などという奇跡じみた可能性を排そうとしていた。しかしその努力は一瞬で無に帰すこととなる。

 店主につられて同じ方向を見る。1人の男がいる。何かが床を打つ音が2、3度鳴った。そして、

「シマっ!」

 自分とは違う。高温多湿で耳の奥に柔らかく入り込む声。

 その声に名前を呼ばれた瞬間、シマは柄にもなく硬直した。心臓が変な風に歪んだ気がした。息が刹那、ままならなくなる。すぐに元通りになったが、不覚にもパニックを起こしかけた。

(なんだったんだ、今のは。)

「シマ、なんでここにいんの?」

 問いかけられて、シマははたと我に返った。いつの間にか、すぐ傍に彼がいる。柔らかく跳ねる茶色い髪。少し毛先が傷んでいることに気付く。薄暗い屋内に浮かび上がるような金色の目。二重だった。自然な弧を描く口に、嘘やお世辞や媚と言った汚いものはみとれない。その代わり、みとれてしまった。―――見取れて? 見蕩れて?

「・・・おーい、シマ? シーマ。起きてるかー?」

 彼が目の前で手を振った。シマははたと我に返った。おかしい。これで2度目だ。今度はしっかと頷いた。

「あぁ、起きている。」

「あはは、びっくりした。ぼーっとしちまって、どうしたんだ?」

「いや、その・・・」

 シマはもっともな理由を探した。

「・・・戦場でしか会えないと思っていたから・・・少々、驚いた。」

 言った途端になぜか恥ずかしくなった。慌てて「それだけだ。」と突き放すように付け足し、カウンターの奥を見る。薄汚れた壁にかかっている調理器具を数える。素直に心情を吐露した自分が、まるで違う人物になったかのように思えた。焦る。

 シマは、早口で捲くし立てるように言っていた。

「それで、バイクの件だが。あれはお前の物か。そうならば早く鍵を抜いてこい。不用心にも程があるぞ、あれほど良いバイクを。盗まれでもしたら困るだろう。」

「うん。さんきゅーシマ。ちょっと待ってろ、すぐ行ってくっから!」

 そう言ったリンが隣を離れる。扉の閉まる音を背中で聞いた。聞いてから、扉の方を見た。いるはずのフジタ少年がいなかった。リンに付いて行ったのだろうか。

「ねぇ、」

 店主の婦人が話しかけてきた。

「あんたが・・・ヤヅキ、シマっての?」

「えぇ、そうですが。」

「ふぅん・・・。」

 と、婦人は、シマを試すように上から下まで眺め回した。シマは、かつて通っていた軍事学校の教官を思い出した。鬼教官と名高い女帝の仁王立ち。条件反射的に直立する。

「あんたさ、あの子のことはどう思ってんだい?」

「あの子、とは。」

「リンだよ。他にいないだろう。」

「・・・どう、とは。」

「言われなきゃあ分かんないのかい。」

 そう言われましても。シマは不満を訴えかけて、やめた。婦人の顔が真剣そのものだったからだ。だから、シマも真剣に考えた。

(彼のことを、どう思っているのか・・・。)

 知り合い。民間人。友人。商売敵。そんな言葉が浮かんだ。しかし、それらのどれもしっくりこなかった。では、いったい何なのか。

(・・・たった3回しか会っていないのに、関係性など表せるものか。強いて言うなら・・・―――言うなら、なんだ。)

 黙り込むシマ。

 無言の時間があまりにも長いものだから、婦人が匙を投げようとした時。ようやくシマは口を開いた。

「腹立たしいほど・・・―――」言いかけて、ほど、の後に繋げるべき言葉が思い当らないことに気付いた。だから、訂正した。「―――・・・いえ、腹立たしく、思います。」

「嫌いだってことかい?」

「きらい・・・?」

「そういうんじゃないのかい。見てるとムカつくんだろう。」

「そうではなくて・・・」

「じゃあ、何なんだい。ハッキリお言いよ、潔く!」

 厳しい口調で急かされ、シマは口走った。

「・・・死に急いでいるように見えるのが気に入らない。」

 不躾に言い切ってしまってから、「・・・と、思います。」と付け加えた。おそらくこれが、偽らざる本音だろう、と思う。

「・・・あぁ、そうかい。なるほどねー・・・。」

 まったく、難儀なことよ。と、婦人は言った。

 シマは、その台詞が誰の何に向けたものなのか理解できなかった。問うように婦人の眉間のしわを見る。しかし、婦人は一瞥すらしてこなかった。

 それから再び、扉の音を背中で聞くまで、余計な言葉は一片たりとも流れ落ちなかった。

    †

「すぐ行ってくっから!」

 リンは思い切りにやけたまま、扉へ突進した。進行方向を塞ぐように立っていた若い軍人が敏捷に飛び退いたが、そんなもの目に入らなかった。

(戦場でしか会えないと思ってた・・・俺もだよシマ! 俺もそう思ってたよ! あー、もー・・・っ!)

 リンは確信した。

 ―――これは、恋だ。一目惚れから始まった、止めようのない恋だ。

 にやけた口元を引き締めようともせず、リンはバイクからキーを抜いた。『交通安全』と書かれた古びたお守りがぶら下がっているそれを、ポケットに無造作に突っ込んで、さぁ戻ろうと踵を返すと、

「・・・何?」

 どこか怖い顔をした坊主頭の少年が正面に立ちはだかっていた。

 少年はピッと直立不動になると、リンを睨んだまま言った。

「自分は、国営正規軍シュウシャ支部所属、一等兵のフジタ セイヤと申します。」

「あぁ、そうっすか。」

 そしてお互い沈黙。

(何、コイツ・・・俺、早くシマんとこ行きたいんだけど。)

 リンは露骨に嫌な顔をしてフジタ少年を睨み返したが、彼はまったく動じなかった。動じないどころか、

「あなたは、ヤヅキ中佐のことを好いていらっしゃるのですか?」

「へぁっ?」

 不覚にも素っ頓狂な声が出た。顔が一気に熱くなる。まさかこんな初対面の第3者に指摘されるとは思ってもみなかった。とんだ伏兵もいたものだ。ちょうど想いを確信した直後に、不意打ちをもろにくらってしまったリンは、隠すも何も出来るわけがなく、きょどきょどと視線を散らした。

「やっぱり、そうなのですね。」

「・・・。」

「中佐の、何が好きなのですか?」

「え、なに、が?」

「えぇ、何が。・・・全部、などというくだらない答えはしないでくださいね。」

 なかなか辛辣な奴だ。リンはもうこの時点でフジタ少年のことを嫌いになりつつあったが、少年の強情な面持ちには『答えなければ通さない』と、でかでかと書いてある。

 リンはしばし迷った。それから、シマの好きなところを1つずつ脳内に並べ上げていき―――考えれば考えるほど頬が緩んでにやけてしまう。

 そんなリンをフジタ少年は気色悪そうに見ていたが、リンはまったく気が付かなかった。指折り数えて言い募る。

「まぁまず、目が好きだろ。アイスブルーの、めっちゃ奇麗な目。それから、強いところが好きだろ。それに、あの声も好きで、ずっと聞いてたいって思うし。それに何より、シマは優しいしな。けっこう素直で正直だし。俺の口笛、褒めてくれたし・・・って、さ。具体的に言おうと思えば、もっとたくさん言えんだけど。」

 リンは真正面からフジタ少年を見据えた。

「こんなもんは、後付けの理由でしかねぇんだよな、本当は。好きになったきっかけとは程遠いんだ。もちろん、気持ちを増幅させるファクターではあんだけどよ。――あんたなら、分かってんじゃねぇの?」

「・・・。」

「きっかけは分かんねぇよ。でも、目が合った瞬間に、どうしようもなく惹かれたんだ。こう、心が、ぎゅって縮まって、アイツ以外に向いてた想いを片っ端から捨てちまったんだ。それから、何日経っても忘れられないし、それどころか、むしろどんどん気になってくし・・・今どこで何してんのかな、とか、どんな奴と仲いいのかな、とか、そんなことばっかり考えててさぁ。あ、もしかしてこれ、恋してんのかな、って。」

「・・・。」

「分かるだろ? ――・・・なぁ、あんたも、シマのこと好きなんだろ。」

 フジタ少年は何かが突っ掛かったように喉を鳴らした。

「・・・よく、分かりましたね。」

「そうでもなきゃ、こんな質問しねぇじゃん、普通。」

 リンはニヤリと片頬を吊り上げて、少年に近付くと、真っ向から睨付けた。金色の瞳は、こう言う時に非常に役に立つ。異様な色彩に、人は畏怖の念を抱きやすいものだ。案の定フジタ少年は肩をすくめて上体を反らした。

「悪ぃけど、あんたには負けねぇから。」

 脅すつもりでそう凄んで、リンは彼の横を颯爽とすり抜けた。シマがいる(ここが重要だ。もう1回言うが、)シマがいる店内に直行する。

 リンはもう愛しい人のことしか頭になく、雑魚を相手にするような余裕はなかった。だから、残された少年が空気に溶かすように囁いたのを、聞いた者は誰1人としていなかった。

「・・・勝てるわけが、ないじゃないですか・・・あんな―――」

    †

「ただいまー!」

 戻って来たリンが後ろ手に扉を閉める。その様を見て、シマは小さな違和感を覚えた。彼が右手を使っていたからだ。

「お前は、左利きではないのか。」

「ん? うん、右利きだよ。」

「・・・戦闘の時は、いつも左手に剣を持っていなかったか。」

「おお、よく見てんな。」言いつつ彼はシマの前のカウンター席に座った。「ほい。ちょっと手ぇ出して。」

 素直に右手を差し出す。リンの左手が重なった。シマより一回り小さい。堅い。皮の破けた痕や、肉刺の潰れた痕が、いくつも感じられた。握りしめられる。圧力がかかる。関節の骨が軋んだ。

「これ、全力の半分くらいな。」

「これでか。」

「うん。リンゴ程度なら余裕で潰せるぜっ。んで、問題はこっちなんだけど。」

 と、リンは右手と入れ替えた。

 それはまるで別人の手のひらだった。汚れ仕事を知らない柔な手。握りしめようとしているみたいだが、左手と比べるとあまりに弱々しすぎて、ほとんど何も感じなかった。

「これで全力なんだ。」

「これで、か。」

「うん。」

 リンははにかむように笑った。

「言っただろ、この間。家族みーんな、CCに殺されたって。その時にさぁ、俺も死にかけて。右腕、取れそうになったんだ。」

「・・・。」

「偶然、正規軍に良い医者がいたらしくって、どうにか元通りにはしてくれたんだけどな。・・・握力は、もう、駄目になっちまったんだ。日常生活には支障ねぇんだけど、戦闘するには、どうしても、な。」

「・・・そうか。」

 頼むから、そんな状態で戦ってくれるな――そう言いたくなった。けれど、前回『復讐のため』と言った時の彼の顔がちらついて、結局、何も言えなかった。

「この目も、その時こんな色になったんだぜ。不思議だろ? んで、それからというものさぁ、俺、化け物どもの匂いが分かるようになっちまったんだよ。」

「匂いが。化け物の。」

「そう。」

 彼は仰々しく頷いた。顔をしかめて舌を出す。

「それがさぁ、くっっっせぇーのよ、アイツら。硫黄とオイルを混ぜたみたいな臭いすんだぜ。鼻が曲がりそうになる。」

「出てくる前でも分かるのか。」

「おう、分かるよ。数秒前っくらいにようやく、だけど。距離と規模もなんとなく分かるし、けっこう役立つんだよな、これ。」

「それは・・・凄いな。」

「だろ? ――まるで、復讐を遂げろ、って言われてるみてぇで、ちょっと気持ち悪ぃけどな。」

 小首を傾げて苦笑する。その顔がいやに寂しげに見えて、シマはやはり、何も言えなくなるのだった。敵前逃亡。誰か銃殺してくれ。

「シマ?」

「・・・勤務中だった。そろそろ、行かねば。」

「あぁ、そっか。そうだったな。」

 繋がれたままだった右手が、ごく自然に離れて行った。

「ごめんな、引きとめちゃって。」

「構わん。・・・とどまったのは、私の意志だ。」

 そう言うと、リンは顔中に笑みを広げた。『幸福』というものを具現化したような、それが幸福そのものであるかのような、温かく柔らかい笑顔。生まれてこの方1度たりとも見たことはないが、晴天に輝く太陽を連想した。平等かつ絶対的な温もり。

 どうしてこんなに嬉しそうに笑うのだろう。シマは疑問に思った。しかしそれ以上に、やはりこの方がいい、と思った。影を含んだ苦笑より、一点の曇りもない笑顔。その方が、彼にはよく似合う。

 シマは無理やり視線を引き剥がした。回れ右、とはこんなに労力を必要とする動作だったろうか。

「・・・では、失礼する。」

「うん、またなー、シマ!」

 シマは振り返らなかった。振り返ったが最後、この店から出ていくことが不可能になるような気がしたからだ。

 ドアを開ける。後ろ手に閉める。

「・・・遅かったですね、中佐。」

「すまない、待たせたな。――行こう。」

「・・・はい。」

 少年は寂しげに笑って、こちらを一瞥もしない司令官の後に付き従った。

   †

 扉が閉まる直前、フジタ少年が見えた。泣き出すのを必死に堪えている幼子のような顔に見えた。

 リンは両肘を突いた。

「ねぇ、おばちゃん。シマって、良い男だろ?」

「はぁ・・・まぁ、あんたの好みそうな奴だね。」

 おばちゃんは呆れた顔で、リンを見下ろした。

「で、結論は出たのかい?」

 リンはこくりと頷いた。

「うん、やっぱ俺、シマのことが好きだ。――確信した。」

 自信に満ち溢れた堂々たる口調だった。おばちゃんは、ゆっくり1つ瞬きをしてから、「そうかい・・・それは良かった。」と、何度となく、納得するように頭を縦に揺らした。


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