3、恋に関する一考察 前半
【3、恋に関する一考察】
軍の日常業務の中には、町の警邏も含まれる。もちろん、シマも行く。この日の担当はC‐1から7地区。7番から南西方面へ、歩きで1番まで向かっていた。通常軍装。濃紺の制服が日を吸いこみ、背中が燃えるように熱い。
ちょうど6番地区に差し掛かったところだった。通りには人1人いない。通常通りの光景。侘しさなど感じない。この地区はかつてXの大群に襲われたことがあるらしい。家々のほとんどは半壊から全壊していた。
歩きながら、シマは密かに欠伸を噛み殺した。相変わらず、なんとなく眠れない日々が続いていた。いい加減まずいのではないかと思っている。病気かもしれないとも思い始めていた。不眠症だろうか。
隣を歩いているのは、一等兵のフジタという若者。今の欠伸、ばれなかっただろうか。さりげなく様子を窺う。彼はどこか違う方を向いていた。どうやら、ばれてはいないようだ。安心する。
「そういえば、中佐。」
突然、彼が切り出した。あまりの唐突さにシマは返事もできなかった。しかし、相手は構わなかった。18歳という若さを駆使した行動力で、他の誰にも出来ない質問を上官へぶつける。
「中佐は、おモテになりますよね?」
シマは、惚けるのでなく、本気で、
「・・・何の話だ。」
と言った。
「いえ、その、ヤヅキ中佐は実にイケメンでありますし、実力も家柄もありますし、良い声をしていますし・・・男女を問わず、モテそうだな、と、ずっと思っていたのですよ、自分。」
「・・・。」
「中佐は、同性愛についてどうお考えです?」
シマは、90度の曲がり角を時速80キロで曲がった時のことを思い出した。慣性の法則に内臓が限界を訴える感覚――つまり、話に付いていけない。
「軍って基本的に男しかいないではありませんか。」
「・・・。」
「女性に恋するのが正常なのだと言われましても、身近に恋ができる女性がいない、いるのは男だけ、となれば、女性に向かうはずの愛が男性に向かったとしても、何ら不思議はありませんよね。」
「・・・。」
「そもそも、たとえ男と言えども同じ人間。中には、女性以上の魅力を持っている者だっております。そうでなくとも、毎日顔を突き合わせて、一緒に飯食って、風呂に入って、寝て・・・と繰り返していれば、どうしてもその人の魅力って分かってきてしまいますし、いったん好きかもしれないと思ったら、もう堪えようがないと思うのですよ。」
「―――」
堰を切ったように話す彼の様子に、いかなシマといえども勘付いた。恐る恐る、坊主頭のやけに似合う少年の横顔を見る。
「・・・誰か、想う人でもいるのか。」
「・・・・・・。」
少年は頬を薄く色付かせ、前を向いたまま、はっきりと頷いた。それから俯いて、訥々と言葉を並べ始める。
「最初は、その、何とも、思っていなかったのです。それが、えっと・・・ちょっとした、ことが、きっかけで・・・話しかけて、いただいて。―――それから、ずっと、眠れないのです。その方のことばかり、考えてしまって・・・胸が、痛いのです。」
と、少年は、軍服の胸元を握りしめた。
「真綿で絞められているようなのです。胸の、奥の、奥の辺りを。お声を聞いたり、お姿を見かけたり、そのたびに、いったん緩んでは、夜になると、また絞め付けられて・・・お顔や、お身体の、一部一部を詳細に思い返しては、また、眠れなくなるのです。」
どこかで聞いたような話だ――誰かを思い出すようだ――と、シマは思った。しかし、深く追求しようとした途端、シマの中のブレーキが作動した。これ以上は駄目だ。何も考えてはいけない。都合よく少年の話が次に移る。それに意識を傾ける。
「・・・その方が、Xの討伐に向かった、と聞くと、心臓が破裂しそうになるのです。心配など、一等兵ごときの自分がしていいことでは無い、と、分かってはいるのですが・・・どうしても、心配になるのです。もし、万が一、帰って来なかったら、と思うと、居ても立ってもいられなくなって・・・関係ないのに、基地を、飛び出してしまいたくなるのです。」
「・・・。」
「これって、恋ですよね? 俺、どこか間違っているでしょうか?」
シマは返答に窮した。フジタ少年は至って真面目な面持ちでシマを見詰めている。何か言わなければなるまい。いや、しかし、何を。
(恋どころか友情すらも理解していないようなこの私に、彼はいったい、何を期待しているのだ・・・。)
シマは、期待に満ち溢れた目から顔を逸らして前を向いた。5年分の年の功など高が知れている。シマには経験も知識も無い。どうしたものか。シマは長々と狼狽し、困惑し、焦った挙句の果てに、ようよう口を開いたので、その頃には、口調はいつもの冷淡なものに戻っていた。
「・・・まず、私は別に、誰かに好かれたことなどない。ただの1度も、だ。次に、同性愛についてだが。私がそれについて思っていることは、特にない。愛することは個人の自由だ、好きにすればいい。――最後に、君の想いについてだが。それが、恋であるのかどうかは、私には分からない。しかし、聞いた限りでは、君が間違っているようには思えなかった。君が、誰だか知らないが、本気でその人に想いを寄せているのであれば・・・それは、恋、と言っても、いいのではないだろうか。」
「・・・・・・。」
沈黙。ブーツの先がコンクリートの破片を蹴った。転がる音に侘しさを感じた。――フジタよ、貴様はなにゆえ黙る。愛だの恋だの、他人に慣れない言葉を連呼させておいて。気まずさと恥ずかしさに耐えきれず、シマは重ねて言った。
「・・・私からは以上だ。他に何かあるか。」
視界の端で、坊主頭が左右に振れるのが見えた。
「・・・ありがとうございます、ヤヅキ中佐。自分、今まで誰にもこのことは話していなかったのですが、やっぱり、勇気を出して中佐にお話しして、良かったです。・・・本当に、ありがとうございました。」
礼など、と言いかけて、シマはふと気にかかった。
「・・・なぜ、私などに話そうと思った。」
誰にも話してこなかった。それだけ大切に、そして内密にしてきた気持ちを、どうして、ほとんど接点も無い上に人情を毛ほども解していない上官なんぞに。
フジタ少年は吹っ切れたような顔で微笑んだ。
「中佐でしたら、絶対に笑ったり、からかったりしないで、真剣に聞いて下さると思ったからです。」
思った通りでした。そう言ったフジタ少年。シマは、くすぐったさのような、何とも言い難い感触を胸の内に覚えた。それで、一言だけを無愛想に返した。
「そうか。」
「はい。・・・中佐のことを、怖いという奴もおりますが、自分はそうは思いません。」
「・・・そうか。」
「はい。中佐は、優しい方です。」
少年がそう言った瞬間、心臓が変な音を立てて内側から肋骨を叩いた。シマは返答に窮し、左肩をさすった。少年が諭すように繰り返す。
「優しい方です。」
「・・・・・・そう、か。」
シマは無性に、誰か軍人以外の奴に会いたくなった――軍人でない知り合いなど、1人しかいないということに気付かぬまま。
†
「シマに会いたい!」
「あたしに言わないどくれ、リン。」
食堂のおばちゃんは『もううんざりだ。』という気だるげな口調で言った。
「あんたここ数日、それしか言ってないじゃないか。」
「だって、シマに会えねぇんだもん。」
「そりゃ、そうだろうよ。相手は軍人だよ。あんたみたいな暇人じゃないんだ。」
「あと1回なのにさぁー・・・。」
おばちゃんに言われた通り、3回会ってから判断しようと決めているリン。2回会って、2回とも心惹かれて、ほぼ確信しつつあるのだ。だというのに、あと1回。あと1回が、ひどく遠い。
「うーあぁー・・・・。」
煮詰まった溜め息を投下するリン。おばちゃんは鼻に皺を寄せて、冷たく叱責した。
「リン! いつまでぐだぐだしてんだい、だらしない! そんなに暇なら、外行って店の前掃いてきな!」
「うえぇ〜・・・?」
「とっとと行くっ!」
おばちゃんの怒号に負けて、リンは席を立った。「あーい。」と、気のない返事をしつつ店の奥の倉庫へ行き、掃除用具を引っ張り出す。埃まみれの倉庫は息苦しくて、
(外より先に、こっちを掃除するべきなんじゃないかなぁ・・・。)
とリンは思った。
どうにか使えそうな箒と塵取りを探し出したリンが店内に戻ると、『準備中』の札がかかっているはずの扉が外に開いていた。薄暗い店内に弱々しい光が射し込んでいる。そこに1人の坊主頭が立っていて、こちらを睨むように見た。おばちゃんがもう1人別の人物と話している。
「―――うちに、何か?」
「前に置いてあるバイクは、この店の物でしょうか? キーが差しっ放しになっていたので、持ち主の方がいらっしゃるようでしたら、ご忠告までをと思いまして。」
「あぁ、そういうことね。―――リン、あんたのだろう。行ってきな。」
おばちゃんがこちらを向き、続いて話していた男が振り返った。
リンは掃除用具を取り落とした。目がおかしくなったに違いない、いや、この際おかしくても構わない。照明の無い店内で、その人の周りは輝いて見えた。――恋は盲目だなんて、とんでもない! 見えなかったら意味がないじゃないか。ただちょっと、瞳孔がいつもより大きめに開いて、光がばんばん飛び込んできて、その人以外の姿をフレームアウトしてしまうだけだ。
3回目の邂逅は完全なる偶然となった。戦場以外の場所で、彼に会えるだなんて。きっと運命に違いない、とリンは思った。
「シマっ!」
自分でも驚くほど弾んだ声が上がった。どんだけシマのことが好きなんだ。狭い店内の椅子を華麗に避けながら駆け寄る。シマは薄青の目を軽く見開いて、こちらを凝視している。
おばちゃんがぼそりと呟いた。
「・・・こういうことって、起きちゃうから恐ろしいんだよねぇ・・・。」




