第37話「証人」
皆様、いつもお読みいただき、ありがとうございます。
人間、長く生きておりますと、誰にも言えない秘密のひとつやふたつ、あるものでございます。
若い頃は、好きな人に言えなかった秘密。
年を取ると、健康診断で言いたくない数値。
若い頃は、恋人に隠し事。
年を取ると、家族に隠れて食べる夜食。
隠すものは変わっても、隠したい気持ちは変わらないのでございます。
さて、玲奈の過去にも、まだ明らかになっていない秘密がございました。
二十年前の夜、山に入っていった男女。
そして、しばらくして戻ってきたのは、男ひとり。
いやあ、普通に考えれば、気になりますね。
男女が一緒に出かけて、帰りは男ひとり。
デートなら振られた可能性もございますが、山となると話は別でございます。
しかも、帰ってきた男は落ち着いていたという。
人間、本当に怖いのは、慌てている人より、何事もなかったような顔をしている人なのかもしれません。
もっとも、夫婦喧嘩の翌朝、何事もなかったように朝食を食べている人もおりますが、あれはあれで、別の意味で怖いのでございます。
それでは、第37話「証人」。
玲奈たちが聞いた証言を、どうぞ最後までお読みください。
週末。
富田さんが、連絡してきた。
「明後日、会えるって。場所は、あの山の近くの、喫茶店でいいかって」
「わかりました。行きます」
四人と、富田さんで、出かけた。
古い、喫茶店だった。木の、テーブル。古いコーヒーのにおい。
田島さん、という男性が、待っていた。六十代。がっしりした体型。でも、表情は、やわらかかった。
「来てくれて、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「富田さんから、聞いたよ。事情は、大体」
「はい」
「信じられないような話やけど。でも、富田さんが、言うんやから、信じる」
「ありがとうございます」
「で、あんたが、玲奈ちゃん、本人?」
「そうです。今は、こういう姿ですけど」
「そっか。まあ、色々あるんやな、人生」
「色々あります」
「俺も、色々あったから。まあ、聞いて」
田島さんが、コーヒーを、一口、飲んだ。
「二十年前の話やけど。あの頃、俺は、あの山の、近くに住んでた。毎日、犬の散歩で、山の麓を、歩いてた」
「はい」
「ある夜。遅い時間やった。夜中の、一時とか、二時とか。いつも、夜中に、散歩してたから」
「夜中に」
「犬が、夜行性やったんよ。夜中に、騒ぐから、仕方なく、夜中に、散歩してた。それで、その夜も、山の麓を、歩いてたら」
「歩いてたら?」
「人が、いてん。山に、入っていく、人が」
「どんな人でしたか」
「女の人と、男の人が、一緒に、山の中に、入っていくのが、見えた」
「女の人と、男の人」
「うん。女の人の方が、なんか、ふらふらしてる感じがして。男の人が、支えてる、みたいな感じやった」
玲奈が、少し、前のめりに、なった。
「その女の人が、あたしかもしれないです」
「そうかもしれない、と思って」
「男の人は、どんな人でしたか」
「暗かったから、よく見えへんかったけど。若い男やった気がする。三十代くらいか、二十代後半か」
「若い男の人」
「うん。背は、そんなに、高くなかった。中くらいやった」
「顔は?」
「見えへんかった。ごめんな」
「いえ。続けてください」
「その二人が、山の奥に、入っていって。俺は、なんか、変やな、と思ったけど、ただの、山歩きかな、と思って」
「そのままにしたんですか」
「そのままにした。でも、気になって、十分くらい待ったら、男の人だけが、出てきた」
部屋が、静かになった。
「男の人だけが」
「うん。女の人は、出てこんかった。男の人は、一人で、足早に、どこかに、行ってしまった」
「……そっか」
「それが、ずっと、気になってたんよ。でも、次の日、何かニュースがあるとか、警察が来るとか、なかったから。まあ、大丈夫やったんかな、と思ってたけど。でも、何年か後に、あの山で女性が行方不明になってたって、聞いて。もしかして、と思ってた」
「なんで、その時、警察に、言わなかったんですか」
美咲が、言った。
「それがな、見たのが夜中やったし、確信が、なかったから。暗くて、はっきり見えてたわけやないし。男女が一緒に山に入ったのを見ただけやから」
「そっか」
「でも、ずっと、心に、引っかかってた」
「今、話してくれて、ありがとうございます」
「富田さんから、聞いて。もし、その人が、玲奈ちゃんやったら、ちゃんと、話した方がいいと思って」
「ありがとうございます、ほんまに」
田島さんが、また、コーヒーを、飲んだ。
「一つ、言っていいか」
「どうぞ」
「あの男の人が、出てきた時の、様子がな。普通やったんよ」
「普通?」
「うん。慌ててる感じもなく、何かあった感じもなく、普通に、歩いて出てきた。それが、ずっと、引っかかってる」
「普通やった」
「そう。それが、逆に、変やと思って。連れてた人が、山の中にいたら、普通は、もっと、慌てるやろ。でも、普通やった。まるで、最初から、一人で、入るつもりで、行ったみたいやった」
健太が、メモを、取っていた。
「最初から、一人で、入るつもりで、行ったみたいやった」
「そう。だから、俺は、あの女の人を、山に、置いてきた、と思ってる」
「意図的に」
「意図的に、置いてきた、と思う」
玲奈が、少し、黙った。
「……その男の人の、他の特徴、覚えてますか。服装とか、持ち物とか」
「服装は、暗くて、よく見えへんかったけど。でも、一つだけ、覚えてる」
「何ですか」
「出てきた時、なんか、光るものを、持ってた。小さい、光。今で言うたら、スマホの、画面みたいな感じやけど。当時は、そういうのは、まだ、あんまりなかったから。ポケットベルか、携帯か、よく分からんかった」
「携帯を、持ってた」
「持ってた。当時、持ってる人、まだ、そんなに、多くなかったから、覚えてる」
「……覚えておきます」
帰り道。
「なんか、リアルに、なってきたな」
玲奈が、言った。
「そうですね」
「意図的に、置いてきた。それが、わかったな」
「わかりました」
「あたしを、置いてきた人が、いる」
「……うん」
「でも、まだ、誰かは、わからん」
「わかりません。でも、男の人で、携帯を持ってた人、ということが、わかった」
「二十年前に、携帯を、持ってた人」
「まあ、絞り込みとして、弱いですけど」
「でも、少し、形が、見えてきた気がする」
「……怖くないですか?」
健太が、聞いた。
「怖い」
「そっか」
「でも、続けたい。知りたいから」
「……わかりました」
レオスが、頭の中で、言った。
「玲奈」
「ん?」
「一個、確認していいか」
「何」
「あの男の声が、した、って、言ってたやろ」
「うん」
「今日の話を聞いて、何か、思い出したことは、あった?」
「……少し」
「何を」
「あいまいやけど。知ってる声やったって、思ってたのが、少し、確信になってきた気がする。全然、知らない人じゃなかった、と思う」
「知ってる人が、連れていった」
「そう。知ってる人が」
「……そっか」
「あんた、何か、わかった?」
レオスが、少し、間を、置いた。
「……わからない」
「ほんまに?」
「……ほんまに」
「……そっか」
玲奈は、それ以上、聞かなかった。
レオスは、また、少し、怖くなった。
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(第38話へ続く)
よろずやに、戻った。
店長が、迎えた。
「どうやった?」
「少し、わかってきた」
「そっか。まあ、ゆっくりやりな」
「はい」
「お腹、空いてる? おでん、残ってるで」
「食べます」
四人で、おでんを、食べた。
田島さんの話が、頭に、残っていた。
「なあ、みんな」
玲奈が、言った。
「ん?」
「今日、聞いた話。どう思う?」
「どう思うって、どういう意味?」
「あたしを、意図的に、置いてきた人が、いる。それが、わかった。そのことを、どう思うか」
「……怒りますよ、当然」
健太が、言った。
「怒るか」
「怒ります。玲奈さんを、そんな目に遭わせた人が、いるなら。怒ります」
「……怒ってくれるんやな」
「怒ります。でも、まず、ちゃんと、全部わかってから、怒ろうと思って。今は、まだ、情報が足りないから」
「そっか。美咲は?」
「……怒るけど、今は、怒る前にやることがある」
「やること?」
「誰か、わかる前に、怒るのは、無駄やから。わかってから」
「……冷静やな」
「冷静じゃないよ。でも、感情は、後でいい」
「……ありがとな」
「お礼は——」
「全部終わってから、やろ。わかってる」
「……そう」
玲奈が、おでんの大根を、食べた。
「うまいな」
「うまいですよ、大根」
「こんな時でも、うまい」
「こんな時でも、ですか」
「うん。話が、しんどくなっても、ご飯はうまい。それが、ええな」
「……そうですね」
「こういう時に、おでんがあって、よかった」
「よかったですね」
「レオスは? どう思う?」
「おでん、うまいよ」
「そっちやなくて、今日の話」
「……難しいな。怒る、という感覚が、まだ、わかりきらなくて」
「わかりきらんでいいよ」
「でも、玲奈が、そういう目に遭った、ということは、わかる。それが、いいことじゃなかった、ということも」
「うん」
「それだけでも、わかったら、十分かな」
「十分やで。あんたが、そう思ってくれたら、十分」
「……そっか」
「うん。みんなが、いてくれたら、知れる、って思ってる。一人やったら、知れなかったと思うけど」
「一人じゃないから」
「一人じゃないから」
「……そうだね。一人じゃないね」
店長が、レジの奥から、言った。
「今日も、よかったな」
「どういう意味ですか」
「辛いことがあっても、みんなで、おでん食べてる。それが、よかったと思って」
「……そうですね」
「辛い時に、ご飯、ちゃんと食べられる人は、大丈夫やで」
「大丈夫ですか」
「大丈夫や。大丈夫じゃなくても、ご飯食べてたら、少しずつ、大丈夫になってくから」
玲奈が、笑った。
「店長、詩人やな」
「詩人やない。ただ、そう思うから、言っただけや」
「それが、詩人やって」
「そうかな」
「そうやで」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、二十年前の夜を知る田島さんから、重要な証言が語られました。
山に入っていった男女。
その後、ひとりで戻ってきた男。
そして、男が手にしていた小さな光。
少しずつ、過去の輪郭が見えてまいりました。
しかし、わからないことも、まだたくさんございます。
人間、情報が少ないうちは想像で補いたくなるものです。
噂話が広がるのも、だいたいそのせいでございます。
「昨日、あの人が誰かと歩いていた」
それだけの話が、翌日には「実は昔から付き合っていたらしい」になり、三日後には「結婚するらしい」になる。
人の口には戸が立てられませんが、想像力にはブレーキをつけていただきたいものでございます。
玲奈たちは、感情だけで答えを決めつけず、証言をひとつずつ確かめようとしています。
怒りたい気持ちがあっても、まず事実を知る。
言葉にするのは簡単ですが、実際にやるのは難しいことです。
腹が立つときほど、冷静になれない。
悲しいときほど、何も考えられない。
それでも、隣に一緒に考えてくれる人がいる。
それは、とても心強いことなのだと思います。
そして今回、もうひとつ印象に残ったのが、おでんでございます。
人生の重大な問題を話し合っていても、大根はうまい。
人間、どれほど深刻な状況でも、お腹は空くのでございます。
失恋しても、お腹は空く。
仕事で失敗しても、お腹は空く。
人生について考えすぎても、やっぱりお腹は空く。
悩みは一晩で解決しなくても、温かいものを食べて、少し眠って、また明日考える。
案外、それが人間の底力なのかもしれません。
皆様も、つらいときは無理をしすぎず、温かいものでも召し上がってください。
ただし、食べすぎにはご注意を。
若い頃は食べ放題が楽しみだったのに、年を取ると食べ放題の翌日の体重計が恐怖のイベントになるのでございます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
ブックマーク・評価・感想も、執筆の励みになります。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。




