第36話「再調査」
皆様、いつもお読みいただき、ありがとうございます。
人間、長く生きておりますと、忘れたい過去が増えてまいります。
若い頃は、好きな人に振られたことを思い出して眠れない。
年を取ると、好きな人の名前すら思い出せない。
昔の写真を見れば、懐かしい。
昔の通知表を見れば、親に申し訳ない。
昔の自分の発言を思い出せば、今すぐ記憶を消去したくなる。
ところが、消したい記憶ほど、なぜか鮮明に残っているのでございます。
さて、玲奈もまた、忘れていた過去と向き合うことになりました。
二十年前の出来事。
山に入る前の記憶。
そして、耳にしたという、知っている誰かの声。
人間、過去を振り返るのは大切ですが、振り返りすぎると前に進めません。
鏡を見るのも同じでございます。
若い頃は髪型を確認していたのに、今では生え際の後退を確認する時間が増えました。
人生、確認するものが変わっていくのでございます。
それでは、今回のお話をどうぞお楽しみください。
富田さんが、また、来た。
「少し、時間いい?」
「もちろんです」
よろずやの、テーブルに、座った。
玲奈と、健太と、美咲が、向かいに、座った。レオスは、玲奈の体の中から、聞いていた。
「前に、話した人なんだけど」
富田さんが、言った。
「私の、知り合いの、知り合いで。二十年前、あの山の、近くに住んでた、六十代の、男性なんだけど」
「はい」
「その人から、聞いた話があって。玲奈ちゃんが、山に入ったのは、自分から入ったんじゃなくて、誰かに、連れていかれたって、話してたって」
部屋が、少し、静かになった。
「……連れていかれた」
玲奈が、言った。
「そう。その男性が、見てた、らしくて。玲奈ちゃんみたいな女性が、誰かと、一緒に山に入っていくのを、見た、って」
「誰かと、一緒に」
「うん。その誰かが、誰なのかは、はっきりしないって。暗かったから。でも、一人じゃなかった、って」
「……そっか」
「玲奈ちゃん、覚えてる? 山に入る前のこと」
「あいまいやけど、少し。声が、してたのは、覚えてる。知ってる声が」
「知ってる声」
「うん。でも、誰の声か、はっきりしない」
「その人に、会ってみる? 玲奈ちゃんが、よければ」
玲奈が、少し、間を、置いた。
「……会います」
「いいの?」
「うん。知りたいから。ちゃんと、知りたい」
「わかった。じゃあ、セッティングしてみる」
「ありがとうございます、富田さん」
「ちゃんと、一緒に、来てくれる人いる?」
「います」
健太が、言った。
「全員で、行きます」
「よかった。じゃあ、日程、決めたら、また、連絡するね」
富田さんが、出ていった。
四人が、残った。
しばらく、黙っていた。
「……連れていかれた」
健太が、繰り返した。
「うん」
「自分で、入ったんじゃなかったんですね」
「そうかもしれん。あいまいやけど、なんか、そんな気がしてた」
「声が、してたって、言ってたやろ。知ってる声」
「うん」
「その声が、連れていった人の声、かもしれない」
「かもしれん」
美咲が、言った。
「警察には、相談した方がいいんじゃない?」
「うん。でも、まず、その人の話を、聞いてから、かな」
「まず、話を聞いてから」
「うん。情報を、集めてから、次を、考えたい」
「……わかった」
レオスが、頭の中で、言った。
「玲奈」
「ん?」
「怖い?」
「……少し」
「どんなことが、怖い?」
「知ることが、怖い、わけやない。でも、知ったら、誰かを、恨むかもしれん、と思って。誰かが、あたしをああいう目に、遭わせたなら。そいつのことを、恨みたくなるかもしれん」
「……それは、当然じゃないか」
「でも、恨みたくない」
「なんで」
「恨んで、どうにかなるものじゃないから。それより、ちゃんと、知って、終わりにしたい」
「終わりに、か」
「うん。あたしの死の話を、ちゃんと、終わりにしたい。終わらせたら、次に、進める気がするから」
「次、って、何?」
「わからん。でも、何かが、ある気がするから」
「……そっか」
「あんたは、怖い?」
「……うん。怖い」
「何が怖いの?」
「玲奈が、傷つくのが、怖い」
玲奈が、少し、黙った。
「……あんた、ほんまに、成長したな」
「成長じゃないよ」
「成長やって。一年前、あんた、そんなこと、言えんかったから」
「……そうかもね」
「ありがとな。でも、大丈夫やで」
「大丈夫?」
「うん。傷ついても、みんながいるから。大丈夫」
「……そっか」
「そっちやで。それが、答えやで」
健太が、言った。
「玲奈さん、一個、確認させてください」
「何?」
「本当に、調べていいですか。本当に、玲奈さんが、いいなら」
「いい。あたしが、決めた。一緒に、調べよう」
「……わかりました。じゃあ、始めましょう」
「うん」
「まず、富田さんから、連絡が来たら、その男性に、会いに行く」
「うん」
「その前に、できることが、あったら、やっておく。健太は、何か、準備できますか」
「俺は、採用試験の、勉強と、並行して、二十年前のこの辺の、情報を、もう少し、調べてみます」
「お願い。美咲は?」
美咲が、言った。
「……うちは、その男性が、どういう人か、分かる範囲で、調べておく」
「レオスは?」
「僕は、玲奈の、記憶の、断片を、整理するのを、手伝う。何を、覚えてて、何を、覚えてないか、整理しておいた方が、話が、しやすいから」
「……ありがとな、みんな」
「お礼はいい」
美咲が、言った。
「お礼は、全部終わってから、にしといて」
「……そうやな。終わってから、まとめて、言う」
「それでいい」
よろずやの、窓から、外が、見えた。
冬の、空。
第三章が、本当に、始まった。
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(第37話へ続く)
その夜。
四人で、ファミレスに、寄った。
「作戦会議や」
玲奈が、言った。
「作戦会議って、大げさじゃないですか」
「大げさでええねん。なんか、そう言った方が、気持ち、引き締まるから」
「……まあ、そうですね」
ドリンクバーを、頼んだ。
「玲奈さん、コーラ、オレンジ、コーヒーの攻め方、ですか」
「今日は、コーヒーから、始める」
「珍しい」
「シリアスな時は、コーヒーから。それが、あたしのルール」
「そのルール、今、決めましたよね」
「今、決めた。でも、これから、ずっと、そうする」
「……わかりました」
レオスが、言った。
「玲奈の、記憶の整理、今日、少し、やってみようか」
「やろう」
「覚えてることを、言ってみて。どんな断片でも、いい」
「えーと。山に入る前、コンビニで、働いてた。帰り道、山の麓を、通った。いつもの道」
「いつもの道、ね」
「うん。何回も、通ってた道。だから、怖くなかった。でも、その日は、誰かがいた」
「誰かが、いた」
「うん。声を、かけた気がする。知らない人、じゃなかった気がする」
「知ってる人だった、可能性が高い」
「うん。でも、顔が、思い出せない。声も、あいまい」
「声の、印象は? 男か、女か」
「……男やった気がする」
「男の声」
「うん。でも、自信ない」
「自信がなくても、言って。今のところ、男の声が、した、可能性がある、ということで」
「うん」
「その後は?」
「その後が、ほとんど、出てこない。なんか、暗かった。山の、奥の方に、行ったような、気がする」
「自分で、行ったの?」
「……わからん。でも、怖かった、気がしてきた。さっきは、怖くなかったって、言ったけど。よく、考えたら、怖かった気がする」
「矛盾してるね」
「矛盾してる。でも、どっちも、本当な気がする」
「最初は怖くなかったけど、途中で怖くなった、ということかも」
「……そうかもしれない」
「それで、記憶が、そこで、切れてる?」
「切れてる。次の記憶が、山の中で、目覚めたら、もう、体がなかった、みたいな感じ」
「体がなかった、か」
「うん。幽霊になってた。いつから、なってたか、わからんけど」
「……そっか」
健太が、メモを、取っていた。
「男の声、山の奥に行った、途中で怖くなった、その後、記憶が切れた。それが、今、わかってること」
「うん。少ないな」
「少ないけど、前よりは、増えた」
「そっか。少しずつやな」
「少しずつで、いいですよ。焦らなくて」
「……健太、ありがとな」
「いえ。これが、俺の、やることやから」
「やること、か」
「うん。玲奈さんのことを、ちゃんと、調べる。それが、俺の、今の、やることです」
「……ありがとな、ほんまに」
「お礼は、全部終わってから、って言いましたよ」
「美咲と、同じこと、言うようになったな」
「……学んだので」
美咲が、ウーロン茶を、一口、飲んだ。
「まあ、始まったな」
「始まったな」
「やるだけやろ」
「うん。やるだけやで」
ドリンクバーの、コーヒーが、少し、冷めてきた。
玲奈が、また、一口、飲んだ。
苦かった。
でも、今は、苦いものが、飲める気がした。
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(第37話へ続く)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、玲奈の過去について、新たな手がかりが浮かび上がりました。
自分の意思で山に入ったのか。
それとも、誰かに連れていかれたのか。
たったひとつの証言で、これまで信じていたことが揺らぎ始める。
いやあ、人生というものは恐ろしいですね。
昨日まで信じていたことが、今日になって間違いだったとわかる。
若い頃は「この人こそ運命の人!」と思っていた相手が、数年後には「なんであんな人を好きになったんやろ……」に変わる。
あの頃の自分に教えてあげたい。
その恋、やめときなさい。
ただし、聞く耳はございません。
人間というものは、自分で失敗して初めて学ぶ生き物なのでございます。
玲奈たちも、これから少しずつ真実に近づいていくことになります。
大切なのは、焦って答えを決めつけないこと。
曖昧な記憶も、誰かの証言も、ひとつずつ確かめていくこと。
そして、つらいことに向き合うとき、そばにいてくれる仲間がいること。
それだけでも、人は少し前に進めるのかもしれません。
……もっとも、ファミレスのドリンクバーだけは、何杯飲んでも真実を教えてくれません。
コーヒーを飲んでも謎は解けない。
オレンジジュースを飲んでも記憶は戻らない。
それでも仲間と話し合う時間には、きっと意味があるのでしょう。
引き続き、玲奈たちを見守っていただければ嬉しいです。
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今回もありがとうございました!




