第16話「秋」
さて皆さん、お立ち会い。
人は、生きている時よりも、
いなくなってからの方が、
その人を思い出すことが、ございます。
「あの時、ああ言えばよかった。」
「あの時、もう一度だけ、会いたかった。」
そんな後悔は、
いつだって、別れのあとにやって来る。
今回のお話は、
二十年前。
まだ玲奈が、
誰にも取り憑いておらず、
ただ一人の、どこにでもいる
コンビニ店員だった頃のお話でございます。
誰かの疲れを、
肉まん一つで少し軽くして。
誰かの涙を、
「気をつけてね」の一言で、
そっと送り出す。
そんな女が、
なぜ山へ消えたのか。
どうぞ皆様、
その最後の一夜を、
見届けてやってくださいませ。
深夜の、コンビニは、静かだった。
外は、暗い。車の音も、途切れた。冷蔵庫の、低い音と、有線放送の、くぐもった音楽だけが、店の中に、流れていた。
玲奈は、レジの前に、立っていた。
三十二歳。背は、低い方だった。髪は、短く、エプロンは、コンビニの、緑色の。少しだけ、よれていた。
何年も、着てきた、エプロンだった。
「いらっしゃいませ」
自動ドアが、開いた。
入ってきたのは、スーツの、男だった。四十代くらい。疲れた顔をしていた。目の下に、くまが、あった。
「あ、田中さん。今日も、遅かったですね」
「うん。もう、嫌んなるわ」
「何があったんですか」
「部長が、また、無茶言うてね。資料、全部、作り直し、やって」
「え、全部」
「全部」
「それは、きついですね」
「きついよ。もう、帰りたくて、帰りたくて」
「でも、帰れたじゃないですか。ここまで、来れたんやから」
「まあ、そうやな」
「何、食べますか。温かいもの、食べてください。夜中は、冷えるから」
「肉まん、あるか」
「あります。今日、さっき、補充したやつやから、熱々ですよ」
「それ、くれ」
玲奈が、肉まんを、取った。袋に、入れて、渡した。
「熱いんで、気をつけてください」
「ありがとな。玲奈ちゃん、元気ええなあ、いつも」
「元気が、取り柄やから」
「羨ましいわ。俺も、そんくらい、元気やったら」
「田中さん、十分、元気ですよ。こんな夜中に、まだ、歩けてるやないですか」
「歩いてるだけやて」
「歩けるうちは、大丈夫ですよ」
田中が、少し、笑った。
「なんで、そんな、元気なんや。こんな、深夜に」
「楽しいから」
「仕事が?」
「うん。こんな時間に、来てくれる人と、話せるから」
「変わった子やなあ」
「そうかな」
「そうやって」
田中が、肉まんを、持って、出ていった。出る時、少しだけ、振り返った。
「また、来るわ」
「待ってます」
ドアが、閉まった。
玲奈は、また、レジの前に、戻った。
少し、経った。
また、ドアが、開いた。
今度は、女の子だった。高校生くらい。制服ではなかった。私服。目が、少し、赤かった。
「いらっしゃいませ」
女の子は、何も、言わなかった。棚を、ふらふらと、見ていた。特に、何も、取らなかった。
玲奈は、見ていた。
しばらくして、女の子が、レジに、来た。チョコレートを、一つ、持って。
「百二十八円です」
女の子が、財布を、出した。手が、少し、震えていた。
「大丈夫ですか」
玲奈が、言った。
「……別に」
「夜中に、一人で、来てくれたから。なんか、あったかな、って、思って」
「べつに、何も、ないです」
「そっか。ならよかった」
玲奈が、チョコレートを、袋に、入れた。
「これ、どうぞ」
「……ありがとうございます」
「気をつけて、帰ってね」
女の子が、出ていった。
玲奈は、その背中を、見ていた。
絶対、何か、あったんやろな、と思った。でも、聞かなかった。聞くより、渡した方が、いいこともある。チョコレートと、「気をつけて」の言葉の方が、何かを、届けられる気がした。
そういうことが、この仕事では、わかるようになっていた。
何年も、やってきたから。
窓の外に、山が、見えた。
この辺では、有名な、山だった。心霊スポット、なんて、噂も、あった。玲奈は、気にしなかった。ただの、山だと思っていた。コンビニから、毎晩、見える、山だった。夜は、黒く、シルエットだけが、見えた。
玲奈は、少しの間、それを、見ていた。
「玲奈さん」
同僚の、声が、した。バックヤードから、出てきた。
「上がりの、時間ですよ」
「あ、ほんまや。もうそんな時間か」
「お疲れ様でした」
「お疲れさま。あとは、よろしくな」
玲奈は、エプロンを、脱いだ。ロッカーに、しまった。鏡を、見た。自分の顔が、映っていた。
疲れてなかった。
不思議と、疲れなかった。どんな夜でも、この仕事が、好きだった。
なんで、好きなのか、うまく、説明できなかった。でも、好きだった。深夜に、来る人と、話せるから。みんな、素直だったから。夜中は、人間が、素直になる、と玲奈は、思っていた。余計なものを、全部、脱いだ後の、顔をしていた。
田中さんみたいに、疲れた顔で、来る人。さっきの、女の子みたいに、泣きそうな顔で、来る人。眠れなくて、来る人。何もないけど、なんとなく、来る人。
みんな、何かを、持って、来ていた。
それを、玲奈が、全部、受け取れるわけじゃなかった。肉まんを渡して、「気をつけて」と言うだけだった。それだけだった。
でも、それだけで、よかったんだと思っていた。
誰かが、夜中に、一人で歩いて、ここまで、来てくれた。それだけで、十分だった。
玲奈は、鏡を、見た。自分の顔が、映っていた。
笑っていた。
疲れているはずなのに、笑っていた。
こういう顔が、できるのは、この仕事のおかげだと、思っていた。
コートを、着た。店を、出た。
「お疲れ様でしたー」
「おつかれ。また、明日ね」
外は、冷たかった。秋の、夜だった。
玲奈は、歩いた。帰り道は、山の、麓を、通った。暗い、道だった。でも、慣れていた。何年も、通ってきた道だったから。
街灯が、ぽつぽつと、ある。光と光の間は、暗かった。でも、怖いとは、思わなかった。
この道を、何百回も、歩いてきた。
鼻歌を、歌いながら、歩いた。テレビで、よく、流れていた、曲だった。のだめカンタービレの、主題歌。のどかで、少し、切ない、曲。玲奈は、クラシックが、そんなに、好きではなかったけれど、あのドラマの、曲は、好きだった。
山の、空気がする、道だった。木の、においがした。
秋だな、と思った。
もう少ししたら、寒くなる。冬は、コンビニが、忙しくなる。肉まんと、おでんと、ホットコーヒー。あたたかいものを、求めて、来る人が、増える。それも、好きだった。
玲奈は、空を、見上げた。星が、出ていた。
きれいだな、と、思った。
明日も、仕事だな、と、思った。
明日も、田中さんが、来るかな、と、思った。
その時。
足が、止まった。
道の、先に、人が、いた。
「……あれ」
暗くて、顔は、見えなかった。
「こんな時間に、こんなとこで、どうしたんですか」
玲奈は、声を、かけた。
いつも通りに。
誰にでも、声を、かける、玲奈だった。
相手が、振り向いた。
玲奈は、もう、一歩、近づいた。
──
その夜、玲奈は、帰らなかった。
翌日、コンビニの、同僚が、気づいた。翌々日、警察が、動いた。山を、捜索した。
でも、玲奈は、見つからなかった。
ただ、消えた。
まるで、最初から、いなかったみたいに。
──
でも、いた。
玲奈は、確かに、いた。
田中さんに、肉まんを、渡した夜。星を、見上げた夜。鼻歌を、歌いながら、歩いた夜。
その全部が、確かに、あった。
そして、二十年後。
山から、宇宙船が、落ちてきた。
さて皆さん。
人は、不思議なものでございます。
事件の日よりも、
その前の日の笑顔の方が、
いつまでも心に残る。
「あの人は、昨日まで、普通やった。」
そう語る人は、
いつの時代にも、おります。
玲奈もまた、
肉まんを渡し、
笑って、
星を見上げ、
「また明日」と帰っていった。
それだけの夜。
けれど、その「それだけ」が、
もう二度と戻らない夜でございました。
ここから先、
物語は少しずつ、
山の闇へ足を踏み入れてまいります。
玲奈は、なぜ消えたのか。
そして、
レオスがまだ知らない、
二十年前の真実とは何なのか。
焦らず、急がず、
一歩一歩、歩いてまいりましょう。
それではまた、次のお話でお会いいたしましょう。




