第9話「雨」
えー、本日もようこそお越しくださいました。
雨の日いうもんは、不思議なもんでございます。
晴れの日は先ばっかり見ますけど、雨の日は自分の心を見てしまう。
急いでる人まで、なんや歩くんがゆっくりになります。
せやから今日は、大事件もございません。
雨の音を聞きながら、人の心が少しだけ動く、そんな一日のお話でございます。
どうぞ、ごゆるりと。
雨だった。
朝から、ずっと。
よろずやは、定休日だった。健太の、バイトも、休みだった。四人は、アパートで、こたつに、入っていた。
何も、していなかった。
テレビが、ついていた。誰も、見ていなかった。雨の音が、窓から、聞こえた。
「……雨って、いつまで、降るんだろ」
健太が、言った。
「今日は、一日、雨の予報ですよ」
玲奈が、スマホを、見ながら、言った。
「明日は?」
「明日は、晴れる、みたい」
「そっか」
「雨、嫌い?」
「嫌いじゃないけど。なんか、ぼーっとするな。雨の日」
「わかるわ。山にいた時、雨の日は、特に、なんも、せんかったもん。ただ、降るの、見てた」
「二十年、それ」
「二十年、それ」
「……すごいな」
「雨、好きやで。音が、好きやねん」
「雨の音」
「うん。なんか、一個一個、違うやろ。雨粒って。ぱちぱちって、言う時と、さーって、言う時と。同じ雨やのに」
「確かに」
レオスが、口を、開いた。
「雨粒の、音が、違うのは、落下速度と、着地面の、材質による。アスファルトと、土では、音が、違う。あと、粒の、大きさによっても——」
「黙ってて」
「説明したら、面白いかと——」
「雨の音、聞いてる時に、説明は、いらん」
「……そうか」
「雨の音は、黙って、聞くねん」
「……わかった」
しばらく、みんなで、黙って、雨の音を、聞いた。
ぱちぱちぱち。さー。ぱちぱち。
「……なんか、いいね、これ」
レオスが、言った。
「でしょ」
「音が、変わるたびに、雨の強さが、変わってるのが、わかる。なんか、雨が、生きてるみたいな——」
「また、しゃべり出した」
「いや、今のは、いいかと思って」
「まあ、今のは、許す」
「許す、ってなんで、許可が、いるの」
「いるねん」
「……まあ、いいんだけど」
「美咲は、雨、好き?」
玲奈が、聞いた。
「まあ、嫌いじゃない」
「どんな時に、いい、と思う?」
「……洗濯、できない時以外」
「条件付きかい」
「当たり前やろ。洗濯、できひんのは、困る」
「現実的やな」
「現実的に、生きてるから」
「でも、雨の音、聞いてる時は、好きやろ」
「……まあ、嫌いじゃない」
「好きやろ」
「……うん」
「素直やん」
「雨のせい」
「レオスも、さっき、同じこと、言ってた」
「レオスと、一緒にしないで」
「同じやん」
「……まあ、いいんだけど」
「美咲まで、言い出した」
「移ったんやろな」
健太が、笑った。
「うつるんですね、それ」
「うつるよ、多分」
美咲が、お茶を、飲みながら、言った。
「健太、今日、なんか、元気ないな」
「そう? 普通やけど」
「普通の時より、黙ってる」
「雨やから」
「雨のせいにした」
「……まあ、ちょっと、考えてることが、あって」
「何」
「就活」
部屋が、少し、静かになった。雨の音が、大きく、聞こえた。
「来年、四年生やから。そろそろ、動かな、あかんのやけど。何がしたいか、全然、わからんで」
「そっか」
「みんな、なんか、やりたいこと、あって、就活してるのに、俺、ほんまに、何も、思い浮かばへんくて。なんか、焦るわ」
「焦るな」
美咲が、言った。
「焦ってないと、乗り遅れる」
「それは、そうやけど」
「まあ、でも、今日、考えることでも、ないか」
「それは、現実逃避では」
「雨の日は、現実逃避が、正しいから」
「……そういうもん?」
「そういうもん」
健太が、ため息を、ついた。
「玲奈さんは、コンビニで、働きたかったんですよね。ずっと」
「まあ、気付いたら、そうやったな。特に、意識して、なかったけど」
「それ、いいですよね。なんか、自然に、好きな場所が、決まってて」
「決まってた、というか。死んで、山おって、コンビニの灯り、見てたら、自然と、あそこに、おりたいなって。なっただけやから」
「死んで、山おって、っていう、前提が、すごいですけど」
「まあ、確かに」
「でも、その、なりたい、ってなった感覚、正直、うらやましいな」
「健太」
「はい」
「今、何してる時が、一番、楽しい?」
健太が、少し、考えた。
「……みんなと、こうやって、いる時、ですかね。なんか、変やけど」
「変ちゃうで」
「就活とか、将来とか、関係なく、今日、何食べよ、とか、そういう話してる時が、一番、気楽で」
「それで、ええんちゃう」
「でも、それって、何のスキルにも、なれへんし」
「スキルに、ならんでも、ええやん」
「就活では、なりませんよ」
「就活の話、してへんやん、今」
「……まあ、そうですけど」
「なんで、就活したいの」
「え」
「就活して、どうしたいの」
「……働かな、あかんから」
「働いて、どうしたいの」
「……お金、稼いで」
「お金、稼いで、どうするの」
「……生活、して」
「生活して、どうするの」
「……幸せに、なる、のかな」
「幸せって、何」
「……わかりません」
健太が、笑った。困った顔で。
「玲奈さんに、聞かれると、全部、わからんくなるな」
「ごめん」
「いや、いいんですけど。なんか、当たり前やと、思ってたことが、当たり前じゃなかったみたいな」
「そっか」
「就活って、なんで、するんやろ、って、急に、わからんくなった」
「まあ、する必要は、あるけど」
「そうなんですよね。でも、何のため、っていうのが、ぼやけてる気がして」
玲奈が、窓の外の、雨を、見た。
「あたしな、死んで、山に、おった時」
「うん」
「あの時間、無駄やったか、って、聞かれたら、わからんねん。二十年、何もせんかったし。でも、なんか、あの時間があって、今があるような、気も、するし」
「どういう意味ですか」
「わからん。うまく、言えへん。でも、何かを、してた時間だけが、大事なんちゃうかな、って。何もせんと、雨の音、聞いてた時間も、なんか、あたしの一部な気がして」
健太は、しばらく、黙っていた。
「……それ、聞いて、なんか、少し、楽になりました」
「そう? 何も、解決してへんけど」
「解決してなくて、いいです。なんか、ちょっと、楽になった」
「ならよかった」
美咲が、言った。
「玲奈、今の、うまいこと言った」
「そう?」
「うん。何も言ってないのに、うまいこと言った」
「意味、わからん」
「そういうこと」
レオスが、頭の中で、言った。
「玲奈」
「ん?」
「今の、データにない、言い方だったよ」
「どういう意味」
「言葉の、意味としては、何も、言ってないのに、何かが、伝わった。どういう、仕組みなんだろ」
「さあ。あたしも、わからん」
「……人間って、不思議だよね」
「あんた、今、素直やん」
「雨のせい」
「雨で、素直に、なるの?」
「……なるのかもしれない」
「面白いな」
玲奈が、鼻歌を、歌い始めた。
「何の曲ですか」
健太が、聞いた。
「東京ラブストーリーの。なんか、雨の日に、聴きたくなって」
「東京ラブストーリー?」
「知らん?」
「名前だけは。俺、生まれてないですよ、その頃」
「そっか。あたしの高校の時の、ドラマやから」
「それ、親の世代ですよ」
「……そっか。そっかあ」
玲奈が、少し、笑った。
「でも、曲は、ええで。ラブ・ストーリーは突然に、って。チュクチュクンって、イントロが、たまらんねん」
「チュクチュクン」
「そう」
「……いつか、聴いてみます」
「聴いたら、泣くで、たぶん」
「泣きますか」
「泣く。ええ曲やから」
雨が、少し、強くなった。
四人は、こたつの中で、ぬくぬくとしていた。
テレビは、まだ、誰も見ていなかった。
レオスは、雨の音を、聞いていた。
嫌いじゃない、と思った。むしろ。
好きかもしれない、と思った。
なぜかは、わからなかった。でも、今日は、それで、よかった。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
雨は何も解決してくれません。
せやけど、慌てていた心を、ちょっとだけ座らせてくれる日もございます。
答えが出ん日は、答えを探さんでもええ。
雨の音でも聞きながら、お茶でも飲んで、「まあ、ええか」と笑えたら、それも立派な一日やと思います。
さて、雨が上がれば、物語もまた少しずつ動き始めます。
また次のお話で、お会いしましょう。




