第72話 完璧な箱庭と、何もしないという贈り物 ~大砂漠の誇り高き民へ~
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他部族との激しい縄張り争いから数日が過ぎた。
村の戦士たちの傷も癒え始め、オアシスには再び穏やかな日常が戻っていた。
だが、この『砂渡りのオアシス』が地上に滞在できる「20日間」のタイムリミットが、すぐそこまで迫っていた。
泉の水位がわずかに下がり始め、周囲の砂がサラサラと微かな音を立てて中心に向かって崩れ始めている。地下の大精霊が、再び深い砂の海へと潜るための準備(結界の展開)を始めている証拠だった。
「……そろそろ、潮時だな」
俺は、ビークルのトランクに荷物を積み込みながら、ヤシの木が揺れる美しい緑の村を見渡した。
これまで俺たちは、立ち寄った街や村で、必ず何かしらの「錬金術の恩恵(お土産)」を残してきた。
雨の街の漁師には冷えを防ぐ魔道具を。孤独な灯台守には絶対に湿気らない火打石と極上のシチューを。彼らの生活が少しでも楽になるようにと、良かれと思って置いてきたものだ。
俺は無意識に、アイテムボックスの中に手を伸ばしかけた。
例えば、少ない水で大量の作物が育つ肥料。あるいは、外敵を自動で迎撃する防衛ゴーレム。俺の知識と力があれば、このオアシスの民が血を流すことも、ひもじい思いをすることもなくなるような「便利な道具」を、いくらでも作って渡すことができる。
だが、俺はアイテムボックスからゆっくりと手を引き抜き、何も取り出さなかった。
「……マスター。何か作り残したものでもありますか?」
荷物の積み込みを手伝っていたサフィが、小首を傾げる。
俺は首を横に振った。
「いや。……ここには、俺の錬金術は『不必要』だと思っただけさ」
俺の言葉に、サフィは眼鏡を押し上げ、そして静かに微笑んだような気がした。
「肯定します。このオアシスの大精霊、大砂駱駝、植物、そして村人たち。彼らの生態系は、すでに完璧な『循環型生活圏』として完成しています。マスターの強大すぎる錬金術は、この緻密な箱庭において……生態系を破壊する『外来の異物』になりかねません」
「ああ。便利すぎる道具は、彼らが命懸けで守ってきた『足るを知る心』や『誇り』まで奪っちまうからな」
非効率だからこそ維持できる泉の魚。
血を流してでも自分たちの力だけで守り抜く縄張り。
自然と共生するということは、便利さや効率化とは対極にある「不便さと痛みを甘受すること」なのだ。それを彼らは、誇りを持って実践している。
「出発の準備はできましたわ、ご主人様」
「お兄ちゃん! 村長さんたちが来たよ!」
アミィとルビィの声に振り返ると、包帯を巻いた村長をはじめ、村人たちが総出でビークルの周りに集まってきていた。
「クロウ殿。とうとう、行かれるのだな」
村長が、名残惜しそうに目を細める。
「ああ。あんたたちも、そろそろ潜行の準備に入る頃だろ。……いろいろと世話になった。美味い水に、見た目は凄いが美味い虫。それに、自然と共生するってことの『本当の厳しさと素晴らしさ』を教えてもらった」
「ワッハッハ! それはこちらのセリフだ。よそ者でありながら我らの掟を重んじ、手を出さずに見守ってくれた。あなた方のような誇り高き旅人を迎えられたこと、砂鯨の民として誇りに思うぞ」
村長が深く頭を下げる。
俺は、少しだけ照れくさそうに頭を掻いた。
「普通なら、世話になったお礼に『便利な魔道具』の一つでも置いていくところなんだが……」
俺は村長の目を真っ直ぐに見つめ、はっきりと告げた。
「今回は、『何も残さないし、何も変えない』。それが、あんたたちの完璧なオアシスに対する、俺からの最大のリスペクト(お土産)だ」
その言葉を聞いた瞬間。
村長の目がわずかに見開かれ、やがて、深く、深く皺を刻んで、これ以上ないほどの穏やかで誇り高い笑顔になった。
「……ああ。確かに受け取った。これほどまでに我らの生き様を理解し、尊重してくれた贈り物は、後にも先にもないだろう」
村長が差し出してきたゴツゴツとした手を、俺はしっかりと握り返した。
「……みんなぁ、バイバァイ……」
「……お水、おいしかったですぅ……」
「またねー! 今度は虫じゃないお菓子持ってくるねー!」
双子とルビィが手を振り、ダイヤとアミィが優雅に一礼する。
俺たちはビークルに乗り込み、エンジンをかけた。
「元気でな! 次の浮上の時も、その美味い泉を枯らすなよ!」
「道中気をつけてな、旅の錬金術師殿! 砂漠のダンジョンは、ここよりさらに過酷だぞ!」
ゴォォォォォンッ!
ビークルが力強い排気音を響かせ、緑のオアシスから、灼熱の黄色い砂漠へと飛び出していく。
バックミラー越しに後ろを振り返る。
俺たちが見えなくなるまで手を振っていた村人たちの姿は、やがて蜃気楼の向こうへと霞み……ドドドドォォォ……という微かな地鳴りと共に、オアシス全体がゆっくりと砂の下へと沈んでいくのが見えた。
彼らはまた、3日から5日の間、冷たい地下水脈の旅へと戻っていくのだろう。
「……素晴らしい人たちでしたわね」
「ああ。俺たちも、負けてられないな」
強大な力に溺れず、自然の掟を胸に刻んだ錬金術師一行。
身も心も一回り大きく成長した俺たちを乗せ、ビークルはついに、大砂漠の最奥に眠る目的地――『砂漠のダンジョン』へと向けて、一直線に熱砂を駆け抜けていくのだった。
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