第71話 交差する二つの緑と、手出し無用の掟 ~砂漠を生きる者たちの戦争~
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泉での素朴な漁から数日後。
俺たちは、砂渡りのオアシスでの穏やかな滞在生活にすっかり馴染んでいた。
昼間は涼しいテントで体を休め、夜になれば村人たちと語り合い、限られた資源を分け合う。過酷な砂漠のど真ん中であることを忘れさせるような、静かで豊かな時間が流れていた。
だが、大自然の厳しさは、突然に牙を剥く。
「……マスター! 地下から猛烈な振動! 先日の『浮上』に匹敵する巨大な質量が接近してきます!」
夜明け前、テントで休んでいたサフィが鋭い警告を発した。
直後、ドドドドォォォォ……ッ! と、オアシス全体を揺るがす激しい地震が起きた。
「な、なんだ!? また潜るのか!?」
「いえ、違います! マスター、外を!」
俺たちが慌ててテントから飛び出すと、信じられない光景が広がっていた。
俺たちのオアシスからわずか数百メートル先の砂丘が爆発するように吹き飛び、地中から『もう一つの巨大な移動オアシス』が姿を現したのだ。
こちらのオアシスがヤシの木と苔の緑だとすれば、向こうのオアシスは赤黒い岩肌と、鋭い棘を持つ巨大なサボテンに覆われた、凶暴な姿をしていた。
「カーンッ! カーンッ! カーンッ!」
村の監視台から、けたたましい警鐘が鳴り響く。
穏やかだった村人たちの顔色が一変し、男も女も、鋭く研がれた骨の槍や弓矢を手に、泉の前に陣形を組み始めた。
「村長! あれは一体どういうことだ!?」
俺が駆け寄ると、普段は温厚な村長が、まるで歴戦の猛者のような険しい顔で前方を睨みつけていた。
「……『水脈の衝突』だ。地下を移動する大精霊同士の進路が重なり、限られた魔力水脈を奪い合うための……オアシス同士の縄張り争い(戦争)だよ」
「戦争!? なら、俺たちが加勢する! ゴルドを出して、あっちのオアシスごと錬金術で吹き飛ばしてやる!」
俺が白衣のポケットから錬金爆弾を取り出そうとした、その時だった。
「ならんッ!!」
村長の激しい一喝が、夜明け前の空気を震わせた。
俺は驚いて手を止めた。村長は悲痛な、しかし決して譲れない強い意志を持った瞳で俺を見据えた。
「クロウ殿。あなた方の力が強大なのは知っている。だが、これは我ら『砂鯨の民』と、このオアシスの大精霊が、砂漠を生き抜く資格があるかを示すための神聖なる試練なのだ。……よそ者の力で退ければ、大精霊は我らを『守る価値のない弱者』と見なし、このオアシスは枯れ果ててしまう!」
「なっ……」
「お願いだ。あなた方は、決して手を出さないでくれ。これは、我々の『命と掟』の問題なのだ」
その言葉に、俺は奥歯を強く噛み締めた。
向こうの『棘のオアシス』から、荒々しい雄叫びと共に、武装した別の部族の戦士たちや、巨大な砂トカゲに乗った騎兵たちが雪崩れ込んでくる。
「迎撃ィィッ! 我らが泉を守り抜け!!」
村長の号令と共に、両陣営が激突した。
魔法の光が飛び交い、槍がぶつかり合う鈍い音と、戦士たちの怒号が響き渡る。
つい昨日まで、俺たちに笑顔で果物を分け、丁寧に魚を獲っていたあの穏やかな若者たちが、血を流し、泥にまみれながら必死に刃を振るっている。
「お兄ちゃん……! あのお兄さん、血が出てる! 助けなきゃ!」
ルビィが涙目でロケットハンマーを握りしめ、飛び出そうとする。
俺は痛む心をねじ伏せ、ルビィの小さな肩をガシッと掴んで引き留めた。
「……駄目だ、ルビィ」
「どうして!? お兄ちゃん、いっつも困ってる人を助けてきたじゃない!」
「今回ばかりは違う。俺たちが手を出せば、彼らの誇りも、このオアシスが明日を生きていくための『掟』も、すべて壊してしまうことになるんだ……!」
俺の声は、自分でも驚くほど震えていた。
アミィも鉄扇を握る手が白くなるほど力を込め、ダイヤは目を伏せている。双子は恐怖で身を寄せ合い、ただ震えている。
自分たちには、戦況を一変させるだけの圧倒的な力がある。
たった一発、錬金魔法を放てば済むことなのだ。
だが、それをすれば、彼らの生態系と信仰は永遠に失われる。
ただ見ていることしかできない。
己の力の強さが、これほどまでに無力で、歯がゆく感じたことはなかった。
「……負けるな。……負けるなッ!!」
俺は血の滲むような思いで拳を握り、祈るように叫び続けた。
◇
激闘は、太陽が完全に昇りきるまで続いた。
地下の大精霊同士の魔力衝突による地鳴りが収まった頃。
相手の『棘のオアシス』の戦士たちが、少しずつ後退し始めた。
「退け! 退けェッ!」
敵のリーダーが悔しげに声を上げると、彼らは自らのオアシスへと撤退していく。
そして、ドドドドォォォ……ッ! と再び地響きを立て、棘のオアシスは俺たちに背を向けるように地中深くへと潜り、砂漠の彼方へと逃げ去っていった。
「……勝った……。我らが泉を、守り抜いたぞ……!!」
血まみれになった村長が槍を天に掲げると、傷ついた村の戦士たちから、地鳴りのような歓声と安堵の嗚咽が漏れた。
辛うじての、本当にギリギリの勝利だった。
「……みんな……っ!」
戦いが完全に終わったのを確認し、俺たちはようやく村人たちのもとへ駆け寄った。
すぐさまアイテムボックスから大量の傷薬と包帯(錬金術で作った最高の医療品)を取り出し、手当を手伝う。戦闘行為には介入できないが、せめて事後の手当てくらいは許されるはずだ。
「すまない、クロウ殿……。見苦しいところを、見せてしまったな……」
肩を深く斬られた村長が、俺の包帯を受け取りながら苦笑いをした。
「謝るのは俺の方だ。……あんたたちが命懸けで戦っているのに、俺はただ突っ立って見てることしかできなかった」
俺が悔しさに唇を噛むと、村長は俺の血の滲んだ拳を、血だらけの温かい手でそっと包み込んだ。
「あなた方は、我々の掟を尊重し、手を出さずにいてくれた。……それがどれほど、我々の誇りを守ってくれたことか。真の強さとは、力を行使することではなく、力を持った上で『我慢すること』だ。あなた方には、その強さがある」
「村長……」
包帯を巻き終えた後、俺は血に染まったオアシスの砂を見つめた。
美しい緑と、澄んだ泉。
その裏側には、こうして血を流し、命を懸けて縄張りを守り抜くという、大自然の容赦のない「生存競争」が横たわっているのだ。
「砂漠で生きていくってのは……本当に、厳しいんだな」
俺の呟きに、村人たちは静かに頷いた。
どんなに錬金術で便利になろうと、どんなに美味しいものを食べようと、この自然界の過酷な掟だけは決して変えることはできない。
ただ見ていることしかできなかった歯がゆさと、彼らの強かな生命力。
その両方を深く胸に刻み込んだ俺たちは、砂漠という世界の厳しさを、本当の意味で思い知らされたのだった。
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