第33話 五百年のカルテと、学習する悪意 ~名医は、いきなりメスを握らない~
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エルフの里に拠点を構え、世界樹の治療を任された俺たち。
目の前には、天井を突き破る巨大な主根があり、ドス黒い粘液が脈打っている。
「……さあ、クロウ。お前の『錬金術』とやらで、この病巣を焼き払うのか?」
プリムローズが焦燥感を含んだ声で問う。
彼女は一刻も早く、この苦しみから世界樹を解放したいのだろう。
だが、俺は首を横に振った。
「いいや。まだ触らない」
「な、なんだと? 何のためにここに来た! 早く治療を……!」
「落ち着け。医者がいきなり手術を始めるか? まずは『カルテ』を見るのが先だ」
俺は白衣の襟を正し、焦る彼女を冷静に見据えて告げた。
「プリムローズ、あんたと同じことを繰り返さないために必要な準備なんだ」
「……ッ」
プリムローズが息を呑む。
痛いところを突かれた顔だ。だが、これは事実だ。感情で動けば負ける。
「あんたはこの数百年、ただ指をくわえて見ていたわけじゃないだろ? あらゆる治療を試したはずだ」
「……ああ。もちろんだ」
「そのデータを全部見せてくれ。いつ、どんな薬を使い、どういう反応があったか。全ての記録だ」
プリムローズは唇を噛み締め、それからゆっくりと頷いた。
彼女がラボの制御盤を操作すると、空中に無数のホログラム――過去の膨大な研究データが展開された。
「これが私の戦いの記録だ。……全て、敗北の歴史だがな」
◇
俺とサフィは、膨大なデータに目を通した。
そこには、彼女の血の滲むような努力と、絶望的な結果が刻まれていた。
* 300年前: 『高濃度火炎魔法』による焼却実験。
* 結果:一時的に縮小するも、3日後に「耐熱性皮膜」を獲得して再生。
* 200年前: 『絶対零度』による凍結保存。
* 結果:細胞活動が停止せず、逆に「不凍液」を分泌して活動継続。
* 100年前: 『聖属性魔力』の過剰投与。
* 結果:ウイルスが聖属性波長を模倣し、魔力を「吸収」して巨大化。
「……なるほどな」
俺は腕を組み、唸った。
「サフィ、分析結果は?」
「報告。……この病原体は、極めて高度な『適応学習能力』を有しています。外部からの攻撃パターンを解析し、最適な防御形態へ自己進化しています」
「やっぱりか」
俺はプリムローズに向き直った。
「あんたの負けパターンは決まっている。強力な攻撃をすればするほど、奴はそれを学習し、強くなって帰ってくる」
「……っ! その通りだ。だから私は、もう打つ手がないと……」
「打つ手がなかったのは、『本体』で実験していたからだ」
俺は世界樹の根を指差した。
「世界樹は巨大なネットワークだ。根っこに薬を打てば、その情報は瞬時に全体に共有される。奴らは『総力戦』で解析を行い、対策を練ってくるんだよ」
医者が患者に新薬を試し、失敗して耐性菌を作る。それを何百年も繰り返せば、最強のモンスターが生まれるのは当然だ。
「……では、どうすればいい? 何もしなければ、世界樹は死ぬぞ」
「だから、戦場を変えるんだ」
俺はアイテムボックスから、ガラス製のシャーレ(培養皿)を大量に取り出し、実験机に並べた。
「今後、世界樹本体への直接介入は禁止する。代わりに、病巣からごく一部の細胞だけを切り取り、この『ガラスの中』で戦う」
「ガラスの中……?」
「そうだ。本体から切り離された細胞なら、情報を共有できない。つまり、ここで俺たちがどんな実験をしようが、どんな失敗をしようが、本体のウイルスには『学習』されない」
これが現代医学の基本、『in vitro(試験管内)』実験だ。
「この隔離された環境で、何千、何万通りの薬を試す。奴が『耐性』を持つ暇もないほどの速度で、確実に息の根を止める『必殺のレシピ』が見つかるまでな」
「……なるほど! 敵に情報を与えず、こちらだけが一方的に解析を進めるということか!」
プリムローズの目に、理知的な光が戻った。
彼女も賢者の端くれ。理屈が通れば、理解は早い。
「ダイヤ、メスだ。世界樹からサンプルを採取しろ。絶対に本体に気づかれないよう、最小限にな」
「承知いたしましたわ。……髪の毛一本分だけ、頂きます」
ダイヤが慎重に組織片を採取し、シャーレに移す。
俺は顕微鏡をセットし、その小さな「戦場」を覗き込んだ。
「ここからは地味な消耗戦だ。だが、これしか勝機はない」
「分かった。私も手伝おう。……過去のデータなら、いくらでもある」
こうして、俺たちは「いきなり手術」という愚行を避け、「徹底的な解析とシミュレーション」へと舵を切った。
数百年のカルテが示す絶望を、希望のデータへと書き換えるために。
静かで、しかし熱い研究の日々が幕を開けた。
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