おめでとう、19歳
ディオが戦場に出るようになって十日。少しだけダナの後ろに乗って機体をコントロールする事にも慣れてきた。
その日は天気がよかった。戦闘艦を撃沈させ、追っ手をふりきって戻ってきたのは太陽がのぼるのと同じくらいだった。
ふらふらとしながらディオは食堂へと立ち寄る。温かいお茶を一杯だけ飲んでそのまま自分に与えられた部屋へと戻った。
戦闘艦内の部屋は狭い。艦長室なら机なども置かれているのだが、ディオのいる一般の乗組員の部屋は寝るためのベッド――それも普通のベッドよりは幅が狭いもの――が大半を占めている。
ベッドの足下には着替えなどを入れるための棚が置かれている。後は上の方にコートなどをかけるためのフックが何カ所か設置されているだけだ。窓は小さく、外の様子をうかがうことは難しかった。
本当に寝るためだけの部屋だ。食事はすべて食堂ですませることになっている。
起きたら朝食と言うよりは昼食の時間になっているだろうか。ディオは服を脱ぎ散らかしてベッドに潜り込んだ。
近頃では夢を見ることもない。この戦争が終わったら見ることになるのだろうか――悪夢を。
夢一つ見ないままディオが目覚めたのは昼食の終わった時間帯だった。
空腹を覚えて、ディオはベッドから起きあがる。寝る前に床の上に放り投げた服を広い集めて、棚に置いてあるかごの中に放り込む。それから洗濯済みの服に着替えて部屋を出た。
食堂はいつでも開放されているから、行けば何か食べることができるだろう。
「目が覚めた?」
食堂の隅からダナが笑いかける。その前に座ったルッツは、ココアのカップを両手で抱え込んでいた。
ダナの目の前の皿には目玉焼きとフライドポテト、それに焼いたベーコンにサラダが山盛りにのせられている。添えられた厚切りのトーストにはたっぷりバターを塗ってあった。
大きなマグカップに並々と注いだコーヒーを、ダナは息吹きかけながら飲んでいる。
「同じ物をもらおうかな」
ディオは厨房にいるコックに、ダナと同じ品を注文した。ただし、パンは厚切りトーストではなく、ロールパンで。
「一度後方基地に戻るんだって。 ずっと船にいるっていうのも体がもたないから。あたしはぜんぜんかまわないんだけど」
料理の皿を抱えて戻ってきたディオにダナは言った。ディオはコーヒーにミルクだけ注いで、一口飲む。
「ダナが例外なんだよ。ずっと空にいると集中力持たないしな、あ、食事終わったら機体の調整するから格納庫に来てほしいんだけど」
「りょーかい」
空になったココアのカップを厨房に返して、ルッツは食堂を出ていく。
それを見送って、ディオは目玉焼きにフォークを入れた。固く焼いてもらったから、黄身があふれ出すようなことはない。
「だいぶ慣れた?」
いさぎよく大きな口をあけてトーストにかじりついたダナがたずねた。
「そうだね、だいぶ慣れてきたと思う」
戦闘機の後部座席はお世辞にも居心地がいいとはいえない。その中で瞬時に周囲の気象情報と機体の状態から最適の数値をはじき出して、フォースダイトの制御装置を適切な状態に保つというのは、神経のすり減る作業だった。
そんな弱音を吐くつもりはぜんぜんないのだけれど。
「そう言えば、そろそろ誕生日じゃなかった?」
ふいにダナの質問の方向が変わった。
「……ああ、そうだね。言われてみればそうだったかも」
食堂の壁にかけられたカレンダーにディオは目をやった。意識はしていなかったが、明日だ。
去年はとロールパンをちぎりながらディオは考える。去年の今頃は大学にいた。大学の寮生たちがケーキを買ってきてくれて、ビールやワイン――安物だったけれど――に大量のつまみも用意されて、皆で大騒ぎをしたのだった。
今年は何もないまま終わるだろう。ここは最前線でそんな余裕はないし、自分の誕生日を吹聴するつもりもない。
「何歳になるんだっけ?」
「十九」
「そっか、あたしの一歳上なんだっけ」
ダナは今年十八になったところだ。一歳二歳なんて、たいした違いではないのだけれど。
ダナはそれ以上はたずねず、猛然と目の前の朝食へと取り組み始める。旺盛な食欲に感心しながら、ディオはベーコンを一口サイズに切り取った。
食後はルッツに言われたように格納庫へとむかう。二人の使っている戦闘機は戦闘艦の後部に置かれている。他の戦闘機は前方の格納庫だから、特別扱いだ。
「ほい、照準合わせるから。ディオ君の方は俺の守備範囲外だから勝手によろしく」
「わかってるよ」
ディオは戦闘機の後部座席に潜り込む。何度やっても一人で乗ることはできずに、ルッツに尻を押し上げてもらわなければならないのは少々情けないと思う。
ディオは抱えてきた手順書を広げる。自分で作った手順通りに精密な機械を一つ一つ確認していく。この作業ももう何回繰り返したかわからない。
「今までの出撃で機体には損傷がないのがありがたいわよね。この機体しか使えないんだし」
自分の席に収まってダナはルッツと確認しながら、一つ一つの機器を設定していく。
「休みがもらえるのはありがたいよな」
「そうねー。何しようかしら」
短く切りそろえた髪をかきあげながらダナは言う。
それから前方の座席から、ディオの方をふりかえってたずねた。
「ディオは?」
「……さあ」
ディオはやりたいことも思いつかない。空にいようが、陸に戻ろうが、きっと部屋にこもったまま一日を過ごすだろう。
艦の食堂は解放されないから、食事はきっとどこかへ出かけなければならないだろうけれど。
「さて、と」
作業を終えたディオはのびをして、座席から転がり落ちるようにして地面へと飛び降りた。
「僕はもう行くよ。また後で」
「夜に食堂で会いましょ!」
戦闘機の座席からダナがひらひらと手をふる。ディオはそれに手をふり返して、自分の部屋へと戻っていった。
ディオの乗っている戦闘艦は、最前線から後方基地へとさがっていく。ほぼ毎日出撃しているのだ。休息が必要だ。
ディオは自室に戻ると鍵をかけた。整備を終えると、とたんに眠気がやってくる。靴を脱ぎ捨てて服のままベッドへと転がった。
頭の下に両腕を折り込む。夕食まで一眠りのつもりが、気がついた時には夜があけていた。
「結局夕食食べなかったわけ?」
食堂に行こうと部屋を出るとちょうどダナとはち合わせた。
「ぐっすり寝ちゃったみたいだ。一晩起きなかったよ」
「疲れてたのね。あたしとルッツは街へ行くけどどうする?」
「いや、残るよ。やらないといけないことがあるから」
出ていくダナとルッツを見送って、ディオは朝食を食べて自分の部屋へとひきこもった。
部屋中に紙を広げて、ディオは計算式を解き始める。彼にとっては、時間をつぶすのにはこれが一番だった。
それから部屋を出ないままでいると、夕方になって部屋のドアがノックされた。開けるとダナが立っている。
紙のボックスと皿が二枚それにコーヒーの載った盆を目の前にかかげて、ダナは笑った。
「何、これ?」
「ケーキよ、ケーキ」
ディオの承諾も得ず、彼女は部屋の中に入り込み、ベッドの上に盆を置くと、その横に腰をおろす。そしてベッドを叩いた。
「誕生日、おめでとう」
「あ……、ありがとう」
確かに今日は誕生日だ。しかし、今は戦争中だ。誕生日を祝うようなことをしていいのだろうか。
「……何よ? 気に入らないわけ?」
「そうじゃなくて、ほら、今は戦争中だしさ……」
「……せっかくルッツと買ってきたのに。じゃあいいわよ、持って帰るから」
ダナは、盆を持って立ち上がる。ディオは慌ててダナを引きとめた。
「待って! 食べるよ、食べるから」
「そーよ、せっかく買ってきたんだから。ルッツお勧めだしおいしいと思うわよ?」
箱の中には、リンゴを使ったケーキが二つ。ダナはそれを取り分けると、ディオに向かってもう一度
「誕生日おめでとう」
と言った。