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黒い氷

「厄介なものを見てしまった……」


 湊はそんなことを呟きながら、夜道をとぼとぼと歩いていた。逢佳と祐樹に接触しないように裏門から出て、さらに遠回りして帰路についているのだ。

 午前五時、空が若干明るくなってきていた。電脳移住者にとってはまだまだ活動時間だ。湊が周囲に聞き耳を立てると、有蘭学園前の爆発事故についての噂話がちらほらと聞こえて来た。その噂話の中に、自分が居ないことを願いながら湊は歩く。

 突然、湊の視界に仮想ウィンドウが出現した。和馬からの電話を通知するものだった。右手で耳を被い、電話に出る。


『よう! 聞いたか! 校門前で爆発騒ぎに通り魔騒ぎだってよ!』

『知ってる。現場に居たからな』

『おう、そうだったか! って、オイ。大丈夫かよ』

『まあ、大体な』

『大体って、どういうこった。まァ何でもいいや。お前この後暇か? 自由層(オープンレイヤー)のゲーセン行かねえ?』

『悪い、また今度。この後用事が……』

『りょ。じゃ、また暇な時に連絡するわ』


 そこで通話が切れた。また、湊は歩きだす。はあ、と一つ溜息をついた。本当は湊もその誘いに乗りたかった。港面倒事に巻き込まれそうになって弱っていたのだ。気分転換の一つでもしかたったのだ。

 だが、湊には用事があった。かなり優先度の高い用事だった。

 湊は歩く。目的地は決まっていた。そこまで寄り道することなく、口を開くこともなく。

 やがて教育層の端の端、湊は一つの廃校舎にたどり着いた。かつては活気ある学び舎であったここは、学校機能の移転に伴って廃棄され、そのままになっていたのであった。

 周囲には人気は無い。ここは教育層だ。だから、機能していない学校周辺には人など来るはずが無いのだ。

 鍵の壊れた正門をくぐる。そして振り返らず、言った。


「……尾行してるのは分かってる。話はそこの校舎で聞いてやる。来い。三年一組教室だ」


 言葉が届いているかを確認せず、湊は進む。昇降口から入り、怪談を上り、三年一組教室へ。その間、湊に接触するものは現れなかった。

 湊は三年一組教室へと入り、適当な机に座った。机の中には薄汚れた上履きがねじ込んであった。廃校になる寸前に学校に捨てて言ったのだろうと湊は予想した。迷惑だった。鼻を押さえてそれを掴み、窓から投げ捨てた。


「こういうこともあるけど、適当な場所に座ってくれ。一之瀬祐樹」


 窓のほうを見たままやはり振り返らずに、湊はそう言った。


「……いつから尾行に気付いてたのかな」

「さあ、なんとなく気配を察しただけ。だからどのタイミングか、と問われると返答に困る。が、何らかの手段で接触してくるだろうなあとは思った。お前が校門前で戦闘してるとき、うっかり顔を出してしまったので」

「じゃあ、僕がここに来た理由わかるよね? あの現場にいた君なら」


 祐樹の右手にはあるハッキングツールが握られていた。スタンガンのような形だが、先端にはプラグのような突起がついている。それは電脳体に突き刺して使うものだった。

 記憶破壊装置(メモリークラッシャー)。名前の通り記憶を破壊し、忘却させるツールだ。そう言われている。


「まさか、幻視パルス範囲内で動ける人間がもう一人いたなんてね。君もハッカーかな? ――悪いけど、僕のやってるが誰かに知られるのは都合が悪いんだ。電脳警察にでも引き渡されたら、僕は監獄層に送られるだろうしね」

「お前も自分は犯罪者(ハッカー)である、悪事を重ねている。という自覚はあるようだ。夢泉高校の謎の傷害事件、アレも恐らくお前だろ」


 湊はそう指摘した。根拠は無かった。和馬の伝聞と、今回の状況を重ねて『似ている』と思っただけだった。

 祐樹は返事をしなかった。港はその態度を『肯定』と受け取った。


「……ま、運が悪かったな。愛染逢佳がハッカーだなんて俺も知らなかった。俺の友人に地獄耳が居るけど、そいつもおそらく知らないだろうさ」

「一つ言わせてくれないかな」

「構わない」

「確かに僕は、現在の法に照らせば犯罪者だ。けど、僕は悪事を働いていない」


 ――ああ、これはくさい台詞がくるな。


 湊はそう予感し、耳を塞ぎたくなった。しかし、ここで会話を切っても何も生産的では無いと判断し、耳を傾けることにした。


「――正義だ。僕は自分の正義に従って行動した」

「そうか」


 予想通り過ぎて返す言葉もなかった。


「僕が攻撃していたのは、不良生徒だけだ」

「制服を見るに、お前はうちの生徒じゃない。何を持って不良と断定した? どうして彼らを攻撃したんだ。あれじゃ一週間は修復院から出られないだろうに。知り合いか?」


 その言葉を聞いて、祐樹はひどく顔を歪ませた。屈辱、悲嘆、怒り、苦しみ。憎しみ。そう言った感情がうずまき、醜い表情を作っていた。


「そうだよ! あいつらと僕は知り合いさ! 夢泉の連中も――みんな! 僕のことを中学でいじめていたのさ!」


 祐樹は突然声を荒げる。その尋常で無い様子から湊は、祐樹の動機を悟った。


「ああ、成程。復讐か」

「ああそうさ! クラスの連中はみんな僕のことを居ないものとして扱った! 先生すら僕を無視した! どうして教育者っていうのはどいつもこいつも保守保身が大好きなんだ? そしてトラックに引かれて電脳世界に意識を移され――あの力を得たんだ! ハハハハハ! 僕の復讐はまだ終わらない……! まさか卒業アルバムを暗記していたことが役に立つなんてね……! まだまだだ。クラスメイト、いいや! 同輩全員に復讐してやる……!」

「何を言ってるんだお前は」

「だから」

「|その復讐に正当性は無い(・・・・・・・・・・・)」


 振り返って、言った。

 ついに口が出てしまった、自分から面倒事に首をつっこんでしまったと湊は後悔した。実際のところ、湊は口を出すつもりなど無かった。意味が無いからだ。少なくとも湊は祐樹の復讐範囲の外にいて、目下の脅威は記憶破壊装置のみ。交渉、強行、なんでもいい。記憶破壊装置を取り上げ、湊はこのことを口外しない。祐樹は湊とこれ以上接触しない。この二つを確約させればよかったのだ。祐樹を刺激するような言葉など、意味が無い。


 ――まあ、ちゃんと説明すればこんなことやめるかもしれない。


 そんなことを考えて、湊は自分の反射的発言に合理性を見出した。


「……どういうことだよ! 僕はこんなに苦しいのに! 正当性がない? そんなはずは無い!」


 後悔しつつも、湊は指摘する。その理屈はおかしい、と。


「本当にいじめがあったなら、お前がここの教育層にいるはずが無い」

「説明しろよ!」

「するさ。電脳移住者は、その意識を電脳世界に移す前に身辺調査が行われる。全員じゃない。経歴に傷がありそうなヤツだけ。が、例外がある。未成年だ。未成年は必ず身辺調査が行われる。特に事故死と自殺は入念にな」

「それが?」

「分からないのか? そこでほぼ確実にいじめの被害者と加害者が判明する」


 そう言った瞬間、湊は空気が張り詰めるのを感じた。そして続ける。


「文科省には教育監査機関という部署がある。名前のとおり、教育現場の監視者だ。そこの役員は、身分を隠して学校に潜入してる。有蘭にも、お前の学校にも最低一人はいるはずだ。あいつらは校内の問題を見逃さない。特にいじめなんて最悪のイベントはな。なにせ、法に照らせば犯罪になるから。――あいつらは怖いぞ、特別司法警察職員として逮捕権を持ってる。一之瀬祐樹、現在この国に電脳世界はいくつある?」


 最後に突然話題が変わり、祐樹は戸惑った。だが、答えなければ話しの続きが聞けそうに無かったので、答えた。


「……四十七。公務層、自由層、教育層、監獄層その他未開拓の迷宮層を一つの束として、都道府県の数だけある」

「正解。各都道府県の電脳世界はほとんど同じ性質を有し、それぞれ分かれている。オンラインゲームのルームの様にだ。この境界を『緯電脳』と呼ぶ。横に並んだ電脳世界、の意味だな」

「そんなの常識だ! 今更なんだよ、関係ないだろ!」

「ある。結論を言うと、いじめの被害者と加害者、その因果関係が認められる場合、被害者は加害者と同じ緯電脳には送られない。さらに、いじめ加害者は緯電脳の移動を制限される。出所したての元犯罪者と同じ待遇だ。中々重いぞ、これは」

「――!」


 祐樹は信じられない、と言った様子だった。祐樹は湊の言葉を理解していた。しかし、その理解は祐樹を混乱させた。

 湊の理屈が正しいなら。いじめの被害者と加害者が接触することはほとんど無い。有るとすれば、被害者が自ら加害者に接触を試みた場合のみ。

 その唯一の状況も、祐樹にはありえなかった。祐樹が通っているのは、解堂高校という言う。解堂も、有蘭も、同じ茨城緯電脳に存在するのだ。


「いじめは本当にあったのか?」

「だ、だからあったって……」

「お前、実際にどんないじめを受けたんだ。実害があるようないじめは受けたか?」

「クラスに無視されて――」

「本当か? クラスがお前を無視していたのか? 大体、日本でいじめが問題になって何年たってると思ってるんだ。教師が無視するような陰湿ないじめを、教育監査機関が見逃すわけ無いだろ。お前がクラスに積極的に関わろうとしなかっただけじゃないのか?」

「そん、な……」

「友達が居ない状況を、勝手にいじめられていると思い込んだんじゃないのか」


 祐樹の感情の変化は外見に表れた。真っ青な顔、瞳は焦点が合わず、体はバランスを崩して転びそうになっていた。情緒は不安定になり、発狂の寸前まで来ていた。


「……ま、そういうことだ。俺はこのことを誰かに口外するつもりは無い。俺は平穏が好きだからだ。ほとんど変化しない、一見つまらなそうな日々が。それは世間一般的な正義なんかよりも優先される。お前もこれからは悪させずに学生としての生活を――そこを動くな」


 湊は祐樹に対して不穏なものを感じた。何故か、祐樹の顔に失望の色が見られない。むしろ現状今日を楽しんでいるようだった。まるで仮面を変えたかのようにも思えた。港は――自分は間違いを指摘したのではなく、化けの皮をはいでしまったのではないか。そう感じずにはいられない。


「く、くく、くくくくかあはハハハハハハハハハハハハハハあァ!」


 突如として、祐樹は狂ったように笑い始めた。その変化に湊は戸惑う。そして、血走った目で湊を見据え、言った。


「あーあ、バレちゃったか。そうだよ、僕はいじめられてなんてなかった。アレは動機を問われたときに取り繕うための嘘さ。そう、僕は友達が居なかっただけ。論破して気持ちよかった?」


 打って変わって、冷めたように言った。


「でも、僕の学校では他のクラスでいじめがあった。僕は加担して無いけどさ。そいつアメリカ人とのハーフでさ、髪が金色で、そのことがきっかけでいじめられはじめた。やい、混ざり物めって。最終的そいつ自殺したよ。その時僕は思ったね。|僕ならもっと上手くやるって(・・・・・・・・・・・・)!」

「ああ、分かったよ。一体お前がどういう人間かが。このクズが」


 クズ、と呼ばれて祐樹はまた笑う。けたけたと腹を抱え、湊の反応を楽しんでいるようだった。


「でも、そのハーフをいじめてた連中、本当に楽しそうだったぜ? ずるいよなあ、僕もやりたかった! ……けど、僕には力が無かった。下っ端も、人気も、なーんにも。けどねえ! 今の僕には力がある! 人を制し、人を恐れさせる力が!」


 言葉をそこで切り、記憶破壊装置のスイッチを入れていた。突起が青白くスパークし、いつでも使える様になっている。真っ赤に染まった目は激しい怒りそのもので、開いた瞳孔は憎しみを示していた。

 その対象は、湊だ。


「俺の記憶を消すのか」

「そうさ! 僕はまだヤリ足りない! もっといじめて、もっと力を振う! 知ってるか? 人は力ある人間に群れるのさ。あのいじめっこのグループの様に! そして男は俺を崇める! 女は美少女だけ集めてハーレムを作ってやる!」

「大層な夢だ。整形したらどうだ?」

「藤代博の野朗みたいにか? あいつも馬鹿なヤツだ。欲をかくから失敗するんだ。俺ならもっと上手くやるね」

「なんだ、アイツを知ってるのか」

「もちろん。僕らの間でも、あいつは一番強欲だった。加減を知らない馬鹿さ。もっとも、だから俺は有蘭学園に興味を持ったのだけどね。有蘭学園がどんなものか味見するため、あいつの支配領域を掻っ攫うためにさ! ――それには、君は邪魔だ」


 駆け出す。湊の記憶を破壊するために。

 負の感情に振り切れた祐樹に迷いは無かった。ただ、目の前の脅威を排除する。それだけが思考を埋め尽くしていた。

 祐樹は、自分がここで負ける要素は無いと判断していた。

 攻撃を通さない体。

 いつでも呼び出せる光の剣。

 教室という閉所。二階であるから、逃げ道もほとんど存在しない。

 相手は窓際。

 血走った目は、湊を捉えて離さない。湊も動く様子は無い。

 仕留めるには絶好のチャンスであり、完全に勝利を確信していた。だが、それは自分の思い込みに過ぎなかったことを、祐樹はすぐに知る。

 祐樹には、相手の実力を測る能力が欠如していた。


「死ねっ! 死ねええええええ!」


 狂ったように叫んで、記憶破壊装置を湊の右胸に突き刺した。力を加えて、出来るだけ深く確実にくい込む様に。傷口から壊れたデータが流れ出る。電脳体に血液は流れていない、あるのは目が赤くなったり顔が青くなったりという現実世界の再現だけだ。

 祐樹はまた顔を青くした。


「嘘……どうして……」


 手ごたえが全く無かった。記憶破壊装置を突き刺された人間はもがき苦しむはずだが、湊は表情一つ変えずに平然としていた。


「お前は馬鹿だ。記憶破壊装置? お前情報収集が苦手か? そんな物は存在しない。それはハッカー、斑目多々良が素人ハッカーから小銭を集めるためだけに作ったただのガラクタだ」


 祐樹は恐怖した。『馬鹿』に最大限の侮蔑が込められていたからだ。

 湊は傷口から記憶破壊装置を抜き取り、教室の窓から投げ捨てた。遅れて、地面に叩きつけられた音が聞こえた。真っ二つに折れて使い物にならなくなっているであろうことは間違いなかった。


「はっきりいって、お前はクズだ。だが、そんなこと俺にはどうでもいい。問題はお前が俺の平穏を乱す人間か、そうでないかだ」


 祐樹には信じられない言葉だった。自分は悪人だ。そういう自覚があった。だからこそ記憶を消そうとしているのだ。それを、湊はどうでもいいと言い切ったのだ。

 祐樹の背筋に冷たいものが伝う。今目の前に居るのは、心ある人間なのか、と。


「俺はお前のことを口外しない。お前の言うとおり、俺もハッカーだ。電脳警察と積極的に関わることはしたくない。その代わりに、お前は悪させずに生活しろ。――いいや、辻斬りでもなんでもやればいい。俺の見える範囲でやらなければ、それでいい。俺はただ、俺の平穏が保障できれば良い。分かったら帰れ」

「う、うるさい! くそ! 開放(オープン)!」


 焦った祐樹は、光の剣を出現させて攻撃態勢を取った。剣、と言っても『条件反射(Exカウンター)』の効果が十分に現れていない今、それはナイフ程度の大きさしかない。だが、それでも祐樹は剣を振りかざした。

 目の前の脅威を排除しなくてはならない。

 目の前の恐怖に打ち勝たねばならない。

 強迫観念と化した絶望で、湊という大敵を取り除くために剣を振るった。


「お前に勝つ! 抵抗してみろ! 僕の体を傷つけてみろ! できるわけ無いんだよ! やってみろよ! できるならなあああああああ!」

「――そうか、お前は俺の平穏を脅かすのか」


 湊は祐樹の行動に、酷く失望した。復讐に関する正当性の不備は指摘した。そうすれば考え方を改めると思ったからだ。祐樹の行いを口外しないとも言った。その理由もだ。

 だが、祐樹はそんなことを置かない無しに湊を攻撃しようとしている。この瞬間祐樹は、湊の平穏を脅かす侵略者となった。

 湊は一つだけ言ってなかったことがあった。わざわざ言うまでも無いと思っていたからだ。追われる側でありながら、姿をさらし祐樹と接触した理由。それは、いつでも祐樹を排除することが出来るという保障があったためだ。


「ああああああああああああああああ!」


 そして湊は迫り来る光の剣を手で弾いて消した。湊が触れて、文字通り霧散したのだ。


「――え」


 祐樹は驚いた。光の剣を消されたこともだが、湊の姿が変わっていたことにもだ。

 湊は制服ではなかった。闇色の衣装。膝下まである長い外套。光の存在を許さない領域。緑色の縁取り。それが湊の六骸情報(マトリクスコード)だった。


「駄目だ。お前は格下だ。俺もハッカーだって言ってるだろ。お前が出来ることなんて、俺も出来るに決まってる。――ああ、俺にも固有の力がある」

「う、嘘だ! どうして剣が――まさか、無効化能力(キャンセラー)!」

「惜しい。結果的に相手を無力化することはあるが、違う」

「じゃあ一体――」

「自分で考えろアホ。誰がお前なんかに俺の力を教えるか。ああでも、一つだけ教えてもいい。藤代博を学園から叩き出したのは、俺だ」


 湊にこれ以上話すことは無かった。今問題なのは、祐樹が湊を平穏を脅かそうとしたこと、それだけだった。

 湊の外套から、黒い液体が漏れ出した。それが浮き出た血管の様に湊の肌を伝い、右手に集まる。

 間髪居れずに湊は祐樹の顔面を掴んだ。視界を塞がれた祐樹は、その手を引き剥がそうとした。無駄な考えであった。湊の右手に集まった黒い液体はやがて剣の形を成し、祐樹を突き刺した。


「力が……はいらない。さむい」


 祐樹は光の剣を出そうとした。しかし、上手く剣を形成できなかった。まるでガス切れのバーナーの様に弱弱しく発光するだけだ。

 祐樹は何故、とその理由を考えることすらできなくなってきていた。頭が回らないのだ。やがて祐樹の電脳体に変化が置き始める。肌に霜が折り始めたのだ。祐樹の電脳体が凍ったわけではない。異常に体温の低くなった祐樹の体が、大気中の水分を凍らせ始めたのだ。氷点下を下回る体温でも意識を保っていられるのは、電脳世界特有の性質だ。電脳体とは現実世界の体を『再現』したモノに過ぎず、『肉体』そのものではない。だから、時にこのような現象を起こすのだ。


「やめろ、やめろやめろやめろ! 僕の体、が! 僕の体があああああああああ! ああああああああ! どうして? どうして僕の能力が動かないんだ!? ダメージだろ! ダメージだろこれ! 動け、動け! 動けって!」

「お前が変換できるのは『受けた』ダメージ――外因だろ。俺の能力はお前の内側に侵入し、電脳体を狂わせる。お前の中の無意識が、お前を破壊する。状態異常といえば分かるだろ。この剣は俺の能力から溶け出し、形を成した剣。外傷はつけないが、刀身自体が強力な毒になっている」


 湊はあらゆる動くものに干渉(ハックし)し、過度なエネルギー鎮静を促して処理を低下させる。いわば、減衰作用、それが湊の能力だ。人に干渉すれば、その身体機能は低下する。機械に干渉すれば動作は遅くなる。能力に干渉すれば、機能が著しく低下する。そして、最終的に停止状態に至らせるのだ。

 それは『冷却』という(エフェクト)で現れる。


 この能力は、能力という無形のものまでも効果がある。エネルギーを完全に奪われ、その状態で停止した能力は二度と使うことが出来ない。

 藤代博の能力を封印したのは湊だ。

過冷却(クロックロスト)』それが湊の六骸情報(マトリクスコード)の名前だ。


「冷たいか。そうだろう。この力は強すぎる。だから、俺も極力使わないようにしてる。が、モノには大体例外がある。その例外の一つが、お前だ――俺の平穏を乱すな。お前の能力を、永遠に凍結する」


 湊は平穏を愛している。平穏を脅かすものは、力ずくで排除すると決めていた。

 湊は知っている。この世は理不尽だらけで、運命の女神は気まぐれで人を脅かすと。ならば、自分の観測範囲だけは徹底的に平穏にする。そう誓っているのだ。

 湊は自分の左胸に触れて、それをまた思い出す。


「ぼくの……僕の……神託機能(オラクル)は……む、てきなんだ。その……はずな…………の、に」


 全身に霜が下り、ほとんど動かない唇を震わせて、そう言った。


神託機能(オラクル)?」


 そういえば、と湊は思い出す。校門前でも、祐樹は不可解な言葉を発していたと。

 転生者。神託機能――やはり聞き覚えが無かった。

「一体何のことなんだ?」


 その事について祐樹に尋ねようとして「失敗した」と小さく呟いた。祐樹は今、湊の前で氷付けになっている。能力を解除すれば、祐樹は意識を取り戻す。しかし、


「まあいいか」


 二つの単語ついての興味は一瞬で失せた。湊にとっては、平穏を乱すものを打ち破ったという事実が一番の収穫だった。


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