R.I.P.平穏
「さて、と」
この氷像をどうするか、と湊は考え始めた。
湊の能力によって全身氷付けにされたモノは、湊が能力を解かない限りは溶けない。もっとも、この世界の自動転送機能を誤魔化しきれず、一週間ほどで修復院送りになってしまうが。
このまま頭を吹き飛ばして、修復院に自動転送することも出来たが、それはやりたくなかった。自動転送を行うと、どこで電脳体が破損したかの位置情報まで送信されるからだ。いつもなら知り合いのハッカー――電脳体処理の偽装を専門とする――を呼んで処理をする。今回もそうしようとしたのだが、現在それは出来そうになかった。
「ッ!」
咄嗟に窓から外を確認した。見てみれば、青い閃光が校庭を走っている。湊方向に向かっており、そのスピードは時速何十キロ、何百キロで例えるのが適切だった。
「侵入者!」
最初はその閃光の正体を掴むことが出来なかった。バイクのテールランプの様にすら見えた。だが近づいてくるにつれて、その正体がだんだんと明らかになった。
人だ。青く発光している人間が走ってきているのだ。
「まさか、ちょっとまってくれ」
そう呟いた時には、既に遅かった。青い光は校舎の目の前にたどり着き、一度停止した。湊はそれの正体を、大体把握していた。
それと目があって、「まさか」と呟く。
「……跳ぶなよ」
跳んだ。
それは両足に力を込めて、真上に飛び上がった。危険を察知した湊は急いで窓から離れる。
「待て待て待て待て」
青い光は二階の高さまで飛ぶと、窓越しにその姿を湊に見せた。湊の予想は的中した。愛染逢佳だった。
逢佳は跳びながらにこりと微笑む、湊も何とか口角を上げて対応した。
次の瞬間逢佳は窓を蹴破った。床に割れたガラスが飛び散る。そのままの勢いで逢佳は教室に侵入し、まるでスーパーヒーローの様に着地した。着地地点のガラスは逢佳の力によって粉々に砕かれたので、怪我は無かった。
月明かりが散らばったガラスで乱反射し、綺羅星の様に輝いていた。その中で佇む逢佳は自身の美しさも相まって神秘的で、青いアルマイトの髪は夜空を写して揺らめいていた。もしもこれが闖入の末に生まれた景色で無かったならどれだけ良かっただろう、そう思わずにはいられなかった。
逢佳は能力を解除した。青い髪から熱が消え、元の白銀色に戻る。服装も制服に戻った。
「こんばんは」
「……ここは土足禁止だぞ」
「あなたも靴はきっぱなしじゃない」
「俺はいいんだよ。玄関マットで靴を拭いたから。それに……」
「それに?」
湊は教室前の黒板を指差す。
ただの黒板ではなかった。チョークには自動筆記プログラムが組み込まれており、黒板には学校の地図が書かれていた。一箇所に赤いチョークでバツ印が書かれており、そこは逢佳が学校敷地に侵入した地点だった。
どうしてこんなものが書かれているのだろう、と逢佳は疑問に思う。それに対して湊は、
「ここは俺のセーフハウスだ」
と、答えた。
セーフハウス。意味は秘密基地。拠点。
湊は廃校舎を勝手に改造して、自分専用のセーフハウスとしていた。有蘭の寮では作れないハッキングツールの作成。何らかの事情で寮に帰れない場合の一時的な場所。また、コンピューター教室には湊が改造したPCが設置されており、真の意味でのハッキングを行う際はそこからネットワークに侵入した。
「セーフハウス? なら、そこの人――えっと、イノセユキだったかしら。私の知ってる彼は氷付けじゃなかったけど」
「一之瀬祐樹」
「そうそう、それ。その人ここに連れ込んでよかったの?」
「こいつには教えてなから、ただの廃校舎だと思い込んでる」
「あらそう。じゃあ、私に教えても良かったの?」
「|どうせいつかはバレていた(・・・・・・・・・・・・)。お前が一之瀬祐樹のような三流ではないハッカーならな。その点はしょうがない。情報を暴くのがハッカーだから。俺も他のハッカーのセーフハウスを二つ知ってる。だがもしも、お前が俺の平穏を乱そうとするなら話は別だ」
「まさか、そんなはず無いわ。むしろ逆よ、逆」
「逆? 一体どういうこと――」
「それ、あなたがやったの?」
氷付けの祐樹を指差して言った。
「……そうだ」
逢佳は興味深そうにそれに近づく。何度かつついてみたり、叩いてみたりして、じっと見つめたりと色々していた。
逢佳は視界に仮想ウィンドウを出現させ、祐樹の状態を調査した。結果を確認して、目を丸くする。
「電脳体の処理が最低レベルまで落ち込んでるわね。まるで冷凍保存。修復院には送られないの?」
「一週間は誤魔化せる」
「これがあなたの六骸機能?」
「さあな」
「そうね、普通教えないわよね。自分の能力を勝手に話したこの人がちょっとお馬鹿さんなだけよね――決めた」
何を、と湊が問おうとした瞬間、逢佳は人差し指を湊鼻の前に突きつけて言った。
「あなた、私と手を組みなさい」
湊は思う。もしも今日、あの教室で、逢佳がハッカーであることに気がつけていればこんなことにはならなかったに違いない、と。
「ちょっと待て。どういう流れでそうなって、一体何を言ってるかわからん」
「私の平穏、そしてあなたの平穏のために戦うのよ」
「……は?」
それしか言葉が出なかった。
ほとんど初対面で、素性の分からないハッカー同士で、手を組む。平穏のために。そう逢佳は提案したのだ。湊は理解が追いつかず、補足説明を求めた。
「ちゃんと説明してくれ……」
「言葉足らずだったかしら? 私はね、高校に入学してからずっとあなたを見てた。絶対この人には何かある、そう思って」
「正解だよ畜生」
「それで、あなたはやっぱり何かがあった。だから手を組みましょう。組むべきだわ! それがあなたにとっても、私にとっても一番よ! 絶対そうよ、間違いなく!」
「おいキャラ変わってるぞ」
「あら、これは失礼。私にはね、一つ大きな目的があるの」
「聞かなくてもいいか?」
「ダメよ」
「無視してもいいか?」
「それも不可能」
「帰っていいか?」
「寮まで殴って飛ばしてあげましょうか? 私なら出来るわよ」
「話を聞こう」
「その決断に敬意を表するわ!」
両手を広げ、満面の笑みでそう言った。完全にペースを握られ、湊にはどうすることも出来なかった。
「この電脳世界から出来るだけ、私の脅威を排除したいの。そのために、協力者が欲しい」
「ヒーローにでもなるのか?」
「いいえ。そんな素敵なものじゃないわ。言ったでしょう? 排除したいのは『私の』脅威よ。むしろ、ヒーローなんかとは真逆の低俗な動機。――私はね、ただ私のためだけに転生者を叩き潰すわ」
湊は耳を疑った。
転生。死して輪廻を巡り、また蘇るもの。転生者。蘇った死者。祐樹が口にした謎のワード。
湊にとっては、初めて聞く謎めいた言葉。だが、逢佳にとってはそうではなかった。
「転生者……」
「そう、転生者。ハッカーのようで、ハッカーでない存在。私は転生者と、転生者を生み出してる何かを探してるわ」
そう言って、逢佳は視界に仮想ウィンドウを表示する。時間を確認して、「もうこんな時間」と呟いた。
「帰るわ。時間が経つのって、どうして早いのかしらね」
「ちょっと待て! 転生者って……」
「また連絡するわ」
突然、逢佳の体に線が走った。格子に包まれた逢佳の体は積み木の様に崩れていき、消えた。これは、ある特定の電脳体のみが行う処理だった。
「あいつ、現実世界からの接続者だったのか……」
現実から電脳世界に接続してる者は、その接続を解除する際にあのようなエフェクトが発生する。湊には見慣れた光景だったが、今回は驚いた。湊の知るハッカーは全員、電脳移住者だからだ。
ハッカーの目的は様々だ。自警。自衛。攻撃。防衛。破壊。潜入。強盗。複製。剥奪。奪取。操作。不正。荒らし(トロール)……
いずれにせよ、現実に住まう人々が電脳世界でハッカーを気取る必要などほとんど無かった。この二十一世紀が終わろうとしている現在、現実で生きていけるような上流階級の人間にとって、ハッカーのやる事は金でどうとでもなるのがほとんどだからだ。それでもなおハッカーとなるのは専門家か、変人か、或いはオタクだけだった。
「一体何が目的だ……? っと」
立ちくらみだ。逢佳が帰り、気を抜いた瞬間湊に疲れが襲ってきた。
「幻視パルスを至近距離で受けた上に、能力を使わされたからな……電脳体への負荷が……」
旧校舎から寮までは、遠くは無いが近くも無かった。疲れた体を引きずるのは億劫だと感じる距離だ。
「……今日はここでいいか」
とぼとぼと一階保健室に移動した。ボロボロのベッドに腰掛ける。シーツは破れ、マットレスはシミだらけだが、湊はお構いなしだった。
「気持ち悪いと思わないわけじゃない……」
寮のベッドが恋しいと思いながら、視界に仮想ウィンドウを表示させて時間つぶしのブラウジングを行った。
――自由層では六十年近く前に世間を席巻したしたサイバーアイドルが復活ライブを行い、老人が喜んでいるらしい。有名カードゲームは新パックでバランスが崩壊し大炎上。アミューズメント施設では新作VRFPSが稼動開始して、盛況だそうだ。和馬がやりたがってたのはこれだろう。有名イケメン俳優の熱愛。どうでもいい。
つまりはいつも通り。湊は自分の観測外の平穏に安堵した。
太陽が姿を見せ、地上を照らし始めた頃、湊はすっかり眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
湊を叩き起こしたのは、一件の着信だった。
「……一体なんだよ」
視界に出現した仮想ウィンドウには名前が表示されていない。湊は番号を確認するが、見覚えが無かった。
「俺は知らない番号には出ないぞ……」
電話を無視し、起き上がる。窓の外には月が昇っており、時間は午後八時二十分。普段なら既に学校に着いている時間だった。
「ホームルームには間に合わないなこれは……まあ一時間目には間に合うだろ……」
保健室のロッカーを開け、着替えを探した。さすがに下着くらいは替えないとマズイだろう、という判断だ。
新品のパンツを取り出し、着替える。二本目の着信があったのは、その時だった。『香川和馬』という表示を見て、すぐに電話に出た。
『……よう、ミナト。お前今どこに居るんだ』
『おはよう。悪いけど、遅刻しそうだって東上先生に言っといてくれないか』
『遅刻なんて今の状況からすりゃ大した問題じゃねえ。いいからさっさと学校に来い』
尋常で無い様子だった。湊はなんとなく嫌な予感がした。
『何を焦ってるんだよ』
『愛染逢佳がなぜかお前の席を占拠してやがる。おかげで教室の空気が変なことになってて大変なんだよ!』
湊は電話を切り、すぐに着替えた。途中のコンビニで朝食を買う計画をを諦め、走った。
現在八時二十五分。ホームルームは四十分から。間に合うことを祈りながら、全身全霊全力全開で走った。
――何をしてるんだあいつは!
湊は走った。早く逢佳に会わねばならない。そうしなければ自分の平穏な学園生活にひずみが生まれることは明らかであったからだ。
勘違いした嫉妬の目。湊を値踏みする女子の視線。学園中に広まる嘘八百。想像しただけで頭が痛くなるようだった。それだけの影響力が愛染逢佳という女子生徒にはあった。
「俺は!」
足に力を込め、加速した。
「平穏に!」
仮想ウィンドウを展開、マップを開き、最適ルートを割り出した。そして加速した。
「過ごしたい……だけだ……!」
障害物を飛び越え。他の学校の校庭を突っ切りった。湊はパルクールなど練習したことがなかったが、何故か成功した。さらに加速した。
そうこうしているうちに、湊はいつの間にか有蘭学園にたどり着いた。上靴のかかとを潰して履き、階段を四段飛ばしで上り、二年四組教室に飛び込んだ。
「あら、おはよう」
「最悪だ!」
叫んだ。湊が座るべき席には、本当に逢佳が座っていたのだ。
教室は噂話と緊張感で包まれていた。逢佳の行動と、湊の反応が原因だ。話題は二人の関係で、その現実味の無い推測に湊は赤面しそうになった。
「遅かったじゃない。もうホームルーム始まるわよ」
「ああ一時間目から来る予定だったよ! お前が奇行に走ってるなんて連絡が来なければな!」
「ふぅん。じゃあ私のために急いで来てくれたんだ。少し嬉しいかも」
「そうだよ! 違う! 誤解を招きそうな表現を使うな!」
「朝電話したのに」
「アレはお前か! どうして俺の連絡先を知ってるんだ!」
「この学校はデータベースを独立にすべきよね……生徒の個人情報がこんなにも簡単に流出するなんて。そう思わない? 祭葉湊くん?」
「こ、このトンデモ女……」
息切れで肩を揺らしながら、湊はひたすらに逢佳を追求する、しているつもりだった。
「はい、これ私の連絡先。登録しといてね」
湊の視界に仮想ウィンドウが割り込まれる。『愛染逢佳』と書かれた連絡帳ファイルだった。湊は今朝の着信と電話番号を照らし合わせ、番号が一致しているのを確認した。
「……したよ。登録」
「そ、じゃあ後で連絡するわ。ちゃんと返信してね。今朝みたいに無視したらダメよ」
「はいはい」
「絶対だからね」
「分かったよ」
「約束よ。次は寮に侵入するわ」
「やめろ!」
「じゃあ、私は席に戻るから……」
逢佳は席を湊に明け渡し、自分の席へ戻っていった。
「一体何だったんだ、全く……」
「お前と話がしたかったんだと。何したらああなるんだって話だよ、なあミナト?」
和馬が湊に話しかける。訝しげに、今目の前で起きたことが信じられないといった様子だ。
「俺だって知りたいくらいだ」
「だろうな。昨日まであいつのこと知らなかったんだろ? なあなあ、マジで一体何があったんだ?」
「変なヤツに絡まれたから二人で口裏合わせてごまかしたってだけ」
湊はそう説明した。嘘ではないが、重要な点はぼかした。まさかハッカーと遭遇したなどとは言えないからだ。
「ほほーう? まあラブコメの導入としては王道だな」
「なら俺は当て馬の道化か? 冗談じゃない。常日頃から俺はモブでありたいと願ってるんだ。ほら、東上先生が来る前に席に戻っとけ」
「まあまあ。ラブコメで思い出したけどよ、これ見てくれよ! 有名イラストレーターの実本形式のイラスト集! 昨日買ったんだぜ! いややっぱり本の形をしてると何故か安心感があるよな。なんつーか、データには無いぬくもり? みてえなのがよ……」
「ほう? 成程確かに美麗な絵だ。だが、ほとんど裸のイラストを学校に持ち込むのはどうなんだ、ん? 没収だ」
「東上メルカぁ!」
和馬が叫んだ。メルカが水着でピンクの髪の少女が書かれた本を取り上げ、教卓の中に放り込んだ。「もっと丁寧に扱えバカ女!」と和馬が叫ぶと同時にホームルームが始まった。
話題は昨日の爆破及び通り魔事件についてだった。メルカ曰く、原因は空間のエラー。湊はそれが嘘であることを知っているが、特に口を挟むつもりはなかった。その方が、平穏に過ごせると思っているからだ。犯人も今はセーフハウスで氷付けだ。早めに処分しなければ、と湊は思った。
クラスの一人が声を挙げた。「休校にならないのか」と。それをメルカが「事件性は無いから休みにはならない」と答えた。それは嘘である、とクラスの生徒全員が思った。しかし、先生がそう言う以上信じるしかなかった。
ふと、湊の視界にはメッセージの受信を知らせる通知が表示された。和馬からだった。
『ありゃ嘘だ。実際はPTA会長が圧力かけてたらしいぜ。休校は認めないってな。会長の愛娘様が吹聴してたから違いねえ。ったく、同じ現実世界の人間たぁ思いたくねえ。教育熱心なこった』
全くだ、と湊は思った。PTAは現実世界の住人が仕切っている。経済的に豊かで、PTAの集会に出席する暇のある彼らの声は当然の様に大きい。肥大化した保護者の権限は学校の運営にある程度影響を及ぼしていた。
彼らにとって電脳世界の傷害事件など知ったことではないのだ。現実世界の人々は何かしらのダメージを受けたところで痛覚をシャットアウトして電脳との接続を切るだけ。修復院に押し込まれる電脳移住者とはわけが違う。それよりも学校を動かして、子供に勉強をさせるほうが重要なのだ。
――ああ、お爺ちゃんの言っていた格差はこれか。
つくづく電脳世界は現実の下位にあるのだな、と湊は思った。この学校に居るはずの教育監査機関の役人は何をしているんだ、とも。




