祭葉湊の回想
祭葉湊は、自分の人生が散々なものであったと評価している。
祭葉湊、二○七〇年九月二〇日生まれ。つまりクリスマスに仕込まれた子供である。
湊の両親は無職で、父親は家族よりも酒とパチンコを愛した。母親は昼まで眠り、湊が学校から帰ってくる頃に街に繰り出してはお金持ちの遊び相手をしていた。
そんな中、湊が無事に義務教育課程を修了できたのは祖父母の存在があったからである。蛙の子は蛙の子という話は嘘だ。湊の祖父母は人格者であった。どうしてこの祖父母からあの父親が生まれるのだろう、と湊はずっと疑問であった。一方で祖母がたまに「あのロクデナシからミナトみたいないい子が生まれるなんてねえ」と呟いていたのを聞いていたこともあり「まあ人間そんなものなのだろう」と湊は勝手に納得していた。
また、祖父は湊にとって憧れの人物だった。祭葉宗一は情報工学の権威だった。地球を覆うインターネット、そこに新たな世界を見出した人物だ。
その名は電脳世界――インターネットという情報の海、そこに自然発生した仮想世界だ。
今やそこは拡張された世界として役割を果たしていた。学校があり、企業があり、公的機関があり、街が有る。その世界を発見し、さらに電脳世界への接続技術を確立したのが宗一だ。
『俺は元々、ヒトを一つの機械とみなして脳とネットを繋ぐ研究をしていた――その誤算が、電脳世界だ。精々記憶をコンピューターにバックアップできればいいくらいに思ってたんだがな。俺は天才だ。だが俺とて、ネットの中に三次元的な空間が存在するなどとは思いもしなかった。……しかし考えてみれば当然かもしれん。現実世界とて、突き詰めればあらゆる現象、概念、物質は情報と捉えることが出来る。なら、情報の海たるネットに一つの世界が発生していたところでおかしく無かろうよ』
いやそれはおかしいだろ、と湊は思ったが、そういう時は大抵祖母である喜美が「ごめんねえミナトちゃん。おじいちゃんは説明がへたくそなのよ」と一言付け加えていた。祖母曰く、宗一はいきなり結果に飛んで、その思考プロセスを体系化するのが苦手らしい。宗一が論文を書くとき、それを校正していたのが喜美だという。そして明らかに説明不足な部分を喜美が一つ一つ宗一から聞きだして文章をまとめるのだという。
そういう二人であったから、湊はよく電脳世界についての話を聞いた。宗一の話は半分も理解できなかったが、それでも湊は心躍らせていた。
しかし、ある例外を除いて電脳世界に接続できるのは十六歳になる年からだ。肉体への負荷の問題があるからだ。湊が電脳世界に接続するのは高校入学を待たねばならなかった。
そうして湊は人と比べると少し違いはあれど、それなりに幸せな人生を送っていたのだ。
その人生が静かに終わったのが、湊が中学校を卒業した年のことである。
中学校三年生の湊は無事受験戦争を勝ち抜き、志望校に合格した。そこはそれなりに有名な進学校であり、宗一の出身校だ。その事を祖父母に告げると二人は大いに喜んだ。湊も一つ恩返しが出来たようで、嬉しかった。
そこが湊の絶頂だった。翌日、二人は同じ日に天寿を全うした。
湊にとってあまりに悲しい出来事だった。自分をわが子の様に可愛がってくれた祖父母の死に涙した。だが、いつかこの日が来ることを理性では理解していた。命がある以上、いつかは死ぬ。自分はこの死を乗り越え、生きていかねば成らない。そう決意を新たにして、生活費を稼ぐ為のアルバイトを見つけなくては、生活保護は申請できるだろうかなどと考えていた時、問題が発生した。
三月、湊は両親の元で過ごしていた。他に身寄りも無かったのだ。湊の両親は何故か機嫌が良かった。湊のためにケーキを買ってきたときは、薄気味悪さすらを感じた。
この頃から湊はひどい違和感を感じる様になっていた。まず時々時間の感覚が狂った。一日経過したと思ったら、二日経過していたということが三度ほどあり、他には走ってもすぐに息切れしてめまいを起こし、代謝は完全に狂って尿の排出が上手くいかなくなった。何より、毎日ぼーっとして生きてる心地がしなかった。しかし病院にかかるお金もなかったので、湊は気に掛けないことにしていた。だが食材を買いに出かけている際、湊はついに倒れた。次に目を覚ましたのは病院だった。事件はそこで起きた。
「君、臓器足りないんだけど……」
街中で突然気を失い、搬送された病院。そこの医者が湊にそう告げた。
「賢臓も肺も片方なくなってる。心臓――これ、多分最近だね。旧式の人工心臓に取り替えられてる。超旧型。十年前に滅んだと思ってたんだけどな……。……空想的な質問をするけど、まさか臓器売った? この人工心臓は認可されて無いお粗末なもの、つまりその手のブローカー以外は絶対に使わない代物だよ。うん、心臓を売って、代わりにこれをつける手術をしたとしてもそれなりのプラス利益がでるね」
自分が臓器を売った? そんな分けは無い、そう湊は否定した。だが犯人に心当たりはあった。両親である。これがきっかけで、時間間隔の狂いについて推理ができた。おそらく、臓器を取り出す手術のために麻酔で一日中眠らされていたのだろう、と。
その両親を問い詰めようと電話をかけた時には既に祖父母の遺産と貯金を全て持って、どこかに逃げ去っていた。
このことがショックで湊は生きることへ執着というものを忘れつつあった。せっかくの合格した高校にマトモに通える見込みは無く。身寄りもなく、新しい心臓を得るための治療費も無い。代替の人工心臓を借り受ける金も無い。
その時、湊は医者からはひとつのある決断を進められた。
実際のところ、湊が生きるにはそれしかなかった。それが出来なければ、死ぬ。――やがて湊は多くの物を望まなくなった。何もかも上手くいかないなら、せめて自分の手の届く範囲で、ただ平穏に過ごしたい――それだけを強く願った。
そして三月の最終日。一日でバッテリーが切れる心臓を充電しながら、湊は一つの決断をした。
肉体の放棄だ。
『電脳世界には二つの接続方法がある。一つは現実世界から体をネットに接続する方法。もう一つは、機能を停止した肉体、もしくは停止される予定の肉体から精神をデータとして取り出して、電脳世界に送る方法。前者は双方向的だが、後者は単方向だ。何せ、帰るべき肉体がないのだから』
湊が行うのは、後者だ。治る見込みの無い肉体を捨てて、電脳世界で新しい生活を始めるのだ。
これこそが電脳世界への接続に置ける例外、十六歳にならなくても実行できる接続だ。電脳世界には自分と同じ様な境遇の人が何人も居ることを宗一から聞いていた。
事故にあった人が、自殺した人が、潜在的犯罪者と認定された人が、殺された人が、病死した人が、経済的に不自由な一家が――
『電脳世界、あそこは拡張された世界だ。まだまだ可能性が埋まってる。しかし、電脳世界と現実世界を行ったり着たり出来る人間が居る一方で、あそこに無理矢理押し込められた人間もいる。裕福な人間は両方楽しみ、不幸な人間は電脳世界に押し込められる。知ってるか? 肉体のランニングコストよりも、体を放棄して電脳世界で生きるコストの方がはるかに低いのだ。……あの世界を見つけてから、意識の継続は保障された。それを『生』と呼ぶならば、もはや寿命以外の死なんて発生せん。今や前時代の死人は、肉体がないだけの生きた人間だ。幽霊じゃない、データだ。その代わりに肉体はぜいたく品だ。
俺は――俺が見つけたあの世界は、ヒトを幸せにしたのだろうか?』
宗一が過去にそう言っていた事を湊は思い出していた。滅多に暗い話をしない宗一が、酒に酔って口走ったのだ。
――もはや、どうでもいいこと。
湊はただ平穏に過ごしたいだけなのだ。誰にも邪魔されず、ただ自分の意思で生きたかったのだ。
祭葉湊は死んでしまった。悲劇的で残酷な死であった。
祭葉湊は目覚めた。ここは死後の世界。
祭葉湊は確認した。天国の名前は、電脳世界。
祭葉湊は二度目の生を得た。
祭葉湊は学んだ。電脳世界での生き方を。
祭葉湊は知っていた、だが驚いた。死後の世界にはちゃんと学校がある。
私立有蘭電脳学園。それが湊の通う学校。




