たとえば、そういう空想
「――はい。以上が電脳世界に来るまでの経歴。眠気覚ましにはなったか?」
有蘭学園二年四組教室。窓際の席に座る湊がそう言った。
五月。進級に伴うクラス変えによって、ぎくしゃくしていた生徒はいい加減打ち解け始め、新鮮さと緊張感が抜け落ちる月。湊は去年から同じクラスだった自称・変わり者好きの香川和馬とそんな話をしていた(湊は自分を変わり者と評したことについて追求したが、和馬には「鏡を見ろ」と言われるだけだった)
「お前の両親はクズだな」
窓枠に座る和馬が即答する。その点は湊も間違いなく同意だった。どうやったら実の子供の臓器を売り飛ばすなんて思考にいたるのだ、と今更ながら湊は思った。
「だけど、もうあの両親と会うことはない。ここは電脳世界で、あいつらは現実の人間」
「おいおいそりゃわからんぜ。もしかしたら電脳に接続してくるかもしれねえ」
金髪頭をぼりぼりとかきながら、和馬はそう言った。それに対して湊は即答する。
「あいつらに電脳に接続するための端末と、体の一部を機械化するサイバネティクス手術を受けられるだけの貯金は無いさ。頭の悪い連中だ。どうせ臓器売って得た金もパチンコでスったに違いない」
「お前の親が現実世界で事故にでもあえば、お前みたいに電脳移住者になるかもしれねえ」
「その時は――」
どうなるだろう、と一瞬考える。殴り飛ばすかもしれない。無視するかもしれない。そもそも親と認識できないかもしれない。様々な可能性が浮かんできたが、結論としては、
「ありえない」
と言わざるを得なかった。
「言い切るな」
「さっき言っただろ。あいつらは俺の臓器売り飛ばしてるんだ。れっきとした犯罪者だよ。もしもあいつらが何らかの手段で電脳移住者になる場合。まず精神を肉体から抜かれる前に経歴調査を受けることになる。その時にあいつらの悪事がばれる。そしたら、監獄層に入れられて終わり。……もしかしたら、俺が電脳移住者になるときにもう捕まってるかもな」
「泣く子がもっと泣くあの地獄の層か。関係者以外立ち入り禁止なんだろあそこ。あんなとこいきたかねーわ」
「なら、生活態度を改めたほうがいい。三時間目終わってからから学校にくるなよ不良少年」
「たまたまだよ、たまたま。現実世界で夜更かししちゃってなあ」
和馬は他人の目も気にせず大あくびをした。「ふあ」とまるでコミックのような声を出す。和馬は現実世界の住人だ。電脳移住者である湊と違い、現実と電脳を自由に行き来することができるのだ。
ふと湊は教室の時計を見た。示す時間は午前零時三十分。窓の外では星が瞬き、月が円を描いている。
真夜中である。湊らが夜中に学校にきているのは有蘭学園が定時制高校だからというわけではない。電脳世界では、夜に高校が始まるのが普通なのだ。
そこで湊は前々から思っていた疑問を和馬に聞いた。
「どうしてお前は真夜中に学校に来てるんだ?」
和馬は驚いて「は? 今更?」とでも言いたげだった。
「……あそっか、電脳移住者のお前は知らなくてもおかしかねーか。ミナト、現実世界の人間が何時から何時の間に電脳に接続してるか知ってるか?」
「知らん。というか、時間決まってたのか?」
「おう、電脳世界に入り浸らないように規制がかかってるんだぜ。答えは午後九時から次の日の午前九時までの十二時間」
そう説明を受けて、湊に新たな疑問が浮かんできた。
人間は太陽の出ている間に活動し、星の瞬く間に眠る。湊も十五歳まではそうやって過ごしてきた。常識である。
だが、今は逆だった。現実で肉体を捨て、電脳移住者となった湊は、仮想世界の天上に再現された月が輝くと同時に目を覚まし、夜空が昼空に切り替わると同時に眠る。最初は違和感があったものの、いつしか「そういうものなのだろう」と受け入れていた。だから、この昼夜逆転現象についてを、誰にも聞いていなかった。
昔祖父から同じ説明を受けた気がする。湊はそう思ったが、どうでもよかった。電脳世界に対して憧れを抱いていたのも、もはや昔の記憶だった。今湊にあるのは目の前の現実、それを精一杯受け入れるという、擦り切れた達観だけだった。
「いつ寝てるんだ? 現実での生活だってあるんだろ?」
「今」
「は?」
「だから、今だってーの。俺らみたいな現実からの接続者は、電脳世界にアクセスしている間、現実世界の体を眠らせてる。意識を電脳世界と同期するためにな。そのせいで電脳に繋いでる間現実世界じゃなにもできねー。が、逆に現実世界で何も出来ない時間――つまり夜眠ってる間に電脳世界に繋げば、肉体を休ませてる間に活動ができるってわけ。人間の活動時間の延長。それが電脳世界の意義の一つだろ? こういう言葉知ってっか? 『電脳世界は――」
和馬がそこまで言って、湊が不意に口を挟んだ。その言葉の続きを、湊は知っていたのだ。
「――拡張された世界である。あらゆる可能性を内包した、最新の開拓地だ。遥か彼方まで広がる世界。情報流動の中で生まれた概念的世界。人間の活動時間の延長は、新たな可能性の開花させるだろう』」
「よく知ってんな。俺は中学時代に耳にタコができるくらい担任に聞かされたんだけどよ」
「俺は爺さんに良く聞かされたよ」
和馬はふーん、と興味なさげな反応をする。まさか湊の祖父が――祭葉という珍しい名字であるとはいえ――電脳世界の発見者である祭葉宗一だとは思いもしなかったのだ。
ふと、湊は視線を窓の外に向けた。真夜中にもかかわらず、外は明るかった。
教育層は高等学校以上の教育機関が集まった階層だ。見渡す限りの建物は、全て学校だ。新設校もあれば、古い伝統を良さとして主張する学校もある。それぞれ学力や性質に応じた学校が立ち並び、学校設置者も別だ。国が設置した大学があれば、都道府県が設置した学校もある。かと思えば、私立の学校も一緒に並んでいる。同じ空間で、こんなにも近くに別の学校ある。その感覚に湊は一年たっても慣れなかった。
電脳世界は、湊の想像以上に広かった。
港湾層、公務層、自由層、教育層、監獄層。未開拓地であり、整備が急がれる迷宮層。
役割によって分けられた世界は、役割がある限り広がっていくのだろう。そして、さらに世界は広がっていくのだろう――湊はそう思う一方で、電脳世界の限界を計れるような気もした。地球以上の容量にはならない。人間がこの星よりも大きなものを作るなどと、湊には想像できなかった。
「……ん? 隣、今日は休み?」
湊が一つの校舎を指差して言った。そこは夢泉高等学校という高等学校だった。今日は週真ん中の水曜日である。なのに、明かりが点いていないというのは奇妙なように感じられた。
創立記念日、もしくは代休。そう湊は予想したが、和馬が「違うぜ」と真実を教えた。
「なーんか昨日、あそこの、あー……どこのクラスだっけか。まあ一年のどっかのクラスの生徒が突然斬られてぶっ倒れたんだと。で、それが連鎖的に別のクラスでも発生して、これはやべえと休校。ウィルスか、はたまたか別の何かかって大騒ぎって話だぜ」
「大事じゃないか、それ。原因は? 不審者? バグ? それとも空間のエラー?」
空間のエラー、というのはたまにあることで、電脳世界特有の現象だ。電脳世界は高度な空間だ。高度であるがゆえに、何かの弾みでエラーが発生することがある。すると、空間情報に歪みが発生し、思いもよらぬ現象が発生することがあるのだ。
空間のエラーに関する事件では、とある女子高での事件が例えとして挙げられる。そのエラーにより『女子更衣室にいた生徒の服が弾け飛ぶ』という事件が発生した。幸い、そこに女子生徒は出なかったため、女子に被害はでなかった。被害を受けたのは、更衣室に盗撮プログラムを仕掛けようとした男子生徒数名である。後の調査で、更衣室全体をスキャンする盗撮プログラムを空間に割り込ませようとしたためにエラーが発生したと判明した。
「まあそうなんだけどよ。原因が不明でなーんにもわかってねーんだと。変なバグが発生してるわけでもないらしいぜ……まあ泉夢の影響でうちも休みにならねーかなぁと淡い期待を抱いてたが、残念ながら休みの連絡は来ず。で、俺は今学校に来たってワケ」
和馬は困った様に頭をかく。
「ハッカーの仕業、なんて話もあるぜ」
「ハッカーぁ?」
胡乱な言葉を聞いてしまった、と湊は思った。
ハッカー、コンピューターの内側を除く者。改変を加える者。その中で、悪事を働く者は区別してクラッカーと呼ばれる。しかし、現在クラッカーという言葉よりは、ハッカーという言葉の方が流布している。
電脳世界での意味は異なってくる。電脳世界はデータの世界だ。この世界のルールはプログラムによって規定される。そこに改変を起こし、ルールを無視した現象を起こすものをハッカーと呼ぶのだ。それは何かしらのハッキングツールによって引き起こされることもあれば、
また特殊なパターンもある。電脳体に特殊なツールを仕込んでいるものだ。それはハッカーの間で『六骸情報』と呼ばれ『超能力』に例えられることが多い。触れただけでモノが凍る。逆に燃える。身体能力が異常に上がる。写真データから実物を生成する――そういった常識外れの現象を起こすものもまたハッカーと呼ばれた。
つまり電脳世界では通常のハッカーの意味に加え、異能力者という意味もあるのだ。
湊はそう頭の中で辞書を引いて、溜息をついて言った。
「侵入者はいないんだろ。じゃあ学園内部にハッカーがいたのか? 教師? 生徒?」
「おいおい本気にするなよ。噂だ噂。根も葉もねえ。……そういや知ってっか?」
「知らん」
「まあ聞けよ。実はな、うち学園にハッカーがいるんじゃないかって噂が流れてるんだと」
「はあ?」
「藤代博、知ってんだろ。あの有蘭史上最悪の生徒にして歴史。有蘭学園を我が物にして、教師まで巻き込んでハーレムを作ってた――が、何故か先週転校。アイツの取り巻きだった連中も大変だよなあ。今じゃ学園中から白い目で見られてら」
「そんなのいたか?」
湊はとぼけたふりをした。本当は知っていた。湊が知らないわけが無かった。
「いたわ。まあ忘れたいって気持ちもよーく分かる。あの変態め。せいせいするぜ」
「藤代博がハッカーだと?」
「ちげえよ。もういねえ人間の話をしたってしょうがねえ。ただ、あいつがいきなり転校してってのがポイント。いきなりすぎねえか? だからアイツを転校させた何かがハッカーで、そいつがウチの学園にいるって噂」
「そんなワケあるか」
いねーよ、と湊は否定する。
「あなたの学校には超能力者がいます、なんて言われて信じるか? 確かにいたら面白いとは思うけどな」
適当に返事をする。が、和馬はお構い無しに続けた。
「そうだな。まあ居るとして……」
「いないってーの」
和馬は無視して続ける。
「誰が一番ハッカーっぽいと思う?」
「あっちこっちの噂話を持ってくるお前が一番ハッカーっぽいわ」
そうか? と和馬が意外そうな反応をする。湊は常々思っていた。この地獄耳はどこから情報を仕入れてくるのだろう、と。
「ちなみに? 俺的にはアイツが一番ハッカーっぽい。ほら、愛染逢佳」
「誰?」
「他人に関心が無さ過ぎだろ……アイツだ、アイツ」
和馬が教室廊下側の席を指差す。愛染逢佳ちょうど湊と対の席に座っていた。
白銀色の髪の毛を腰まで伸ばし、その肌はまるで陶器。宝石のような切れ目で、つまらなそうに時計を眺めている。
――ああ、成程。美人だ。
有蘭学園には女神すら逃げ出すような美少女が居るらしい、という話を聞いた事があったような気がした。おそらくそれが彼女なのだろう、誇張表現では無い。そう湊は思った。
だがそれだけだった。それ以上の関心は持たなかった。愛染逢佳――和馬がそう呼んだあの女子生徒が、自分の平穏に割り込んでくることは無いだろう。そう思ったからだ。
「で、その愛染逢佳がどうしたって」
「あいつの雰囲気、ミステリアスだろ? そう思わねえか? アレがハッカーなら納得するね、俺は。絶対何か秘密がある。そうに違いねえ。あいつはサスペンスなら愛人の娘、ファンタジーなら世界を救う鍵、ラノベならメインヒロイン」
「あの子の容貌を見るに、藤代博の毒牙に真っ先にかかりそうだけど」
「あ? しらねえのか? アイツが学校に来始めたのは今週からだよ。藤代博が支配した一ヶ月の間は学校に来てねえ。だから、ますます怪しい。やっぱりあいつはハッカー――」
「――クラスメイトを犯罪者扱い、それどころか普遍的属性を勝手に付与するとはな。全く失礼極まりない。そういえば香川、お前は重役出勤なんてできる身分だったか? ところでその金髪はいつになったら染め直すんだ? ん?」
ドスの聞いたウィスパーボイスが和馬を呼んだ。
和馬がその声の正体に気がついた時――教室から逃げ出そうとした時とも言う――には既に遅かった。進路を塞ぐように、よれたジャージの女性が和馬の前に立った。
東上メルカ、二十四歳。二年四組の担任教師、担当は英語だ。
「廊下を歩いていたら、なにやら遅刻魔の声が聞こえたのでな? それも私が担当のクラスから。放課後、生徒指導室だ。保護者に連絡されたくはあるまい?」
「うるせ毒女。有給で婚活パーティー行ってろ。あとこれは地毛だってーの」
「香川、お前みたいな生徒が少なくなれば私の仕事も減って、出会いが増えると思わないか?」
「藤代博が転校してよかったな」
「ああ、残念だ。突然転校するなんて……」
「あいつの後始末でお前らはずっと残業だろ? 最近ずっと職員室の明かりが点きっぱなしになってら」
「ほら、自分の席に戻れ、休み時間は終わりだ」
メルカが和馬の襟を掴み、片手で引きずって席まで持っていく。その扱いを和馬は抗議したし、抵抗もしたが、美人ゴリラなどという不名誉なアダ名を付けられたメルカの前では無意味だった。
その様子を眺めながら、湊は次の授業の準備を行う。いつもの光景だった。和馬が問題を起こし、メルカが説教する。
――平和だ。
湊はこの日常のありがたさを噛み締めていた。
「……ねえ」
「うおっ」
声をかけられた。鈴のような、美しい声だった。湊は驚き、席からずり落ちそうになる。女子生徒に話しかけられただけでも驚きであるのに、先ほどまで教室の反対側に居た逢佳が突如として湊の背後に現れたから。
瞬間移動か、或いは高速移動か。などと湊が考えている内に、逢佳は言葉を続けた。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない……。さっき、私のこと呼んだ?」
「あ、ああ。さっき名前は出した。けど、呼んだわけじゃない。勘違いさせたみたいで、ごめん」
「そう」
たったそれだけの会話だった。逢佳は背を向けて席に戻った。湊も気にせず、次の時間の準備を始める。
湊は逢佳と関わるつもりはなかった。関心が無いからだ。
逢佳もそうだろう、教室の隅で隠れるように生きてる湊に関心が向くはずもない――そう思っていたのは湊だけだった。
「……ねえ」
「うおおおっ!?」
愛染逢佳は再び声を掛けた。
「……だから、そんなに驚かなくても。あなたは、藤代博って知ってる?」
「知ってる。もうこの学校にはいないけど」
「私が休んでる間に、なにかあったの……?」
うぐ、と口をつぐむ。女子に話すべき内容なのか、と思ったからだ。
「……まあ、学校が荒れてたよ。でもそれももう終わり、アイツがいなくなったから今は平和そのもの」
「どうして転校したのかしら?」
「知らない。心変わりでもしたんじゃないか?」
「そう……」
今度こそ逢佳は自分の席に戻った。
もしも、だ。
和馬が逢佳を『ハッカー』と呼んだ時、彼女がこちらを向いていることに気がついていれば、もしかするとこの平穏が続いていたのかもしれない――湊は後にそんなことを考えることになる。




