4、本当の心残り
一度も訪問したことのなかった彼の家は、セキュリティーのしっかりしたマンションだった。
住人以外は自由に出入りできないようになっており、中に入るのには自分で暗証番号を押すか、中の住人にロックを解除してもらうかしなければいけないらしい。
私は優輝先輩に教えられた通りに五階のインターフォンを押した。
『はい、黒部ですが……』
「すみません。私、優輝先輩の後輩で、塚本と言います。先輩に貸していたものがありまして、それを引き取らせてもらいたいのですが」
『そうなんですか。あの子ったら……ご迷惑をおかけして、ごめんなさいね。でも、どこにあるのか私ではちょっとわからないから、よければ上がって探してもらえるかしら?』
「はい」
音がしてガラス張りの扉が開く。私は滑り込むように中に入ると、右側に設置されたエレベーターに乗る。五階のボタンを押すと鈍い音を立てて上に動き出す。五階で止まったエレベーターから出ると、先導する先輩に付いて行く。
「……ここだ」
部屋番号には503と書かれていた。5階の3番目の部屋という意味だろう。私は再びインターフォンを押す。
するとすぐに玄関が開かれた。出迎えたのは細い女性だった。疲れの滲んだ顔で、肩までの髪を簡単に纏めて結っている。しかしその髪には艶がなく随分と乱れていた。
中に通されて、奥の部屋に案内される。初めて入る優輝先輩の部屋は雑然と片付いていた。ベットの上に無造作に置かれた週刊漫画や、バスケ雑誌の類。壁にかけられた私服と海外のバスケ選手のポスター。勉強机には英語の辞書が置かれていた。そこは今にも主が帰ってきそうな部屋だった。
「まだ何も手につかないの。もっとしっかりしなきゃいけないのにね」
「母さん、ごめんな……」
すぐ近くに息子がいて絢待っていることには気付かず、彼の母親は悲しそうに微笑んだ。
「自由に探して頂戴。ごめんなさい、私はまだこの部屋に長くいられないの。ここにいるとね、あの子が、ただいまって帰ってくる気がするのよ。そんなこと、もう二度とないのにね」
「……あの! 気持ちの整理は焦ってしなくてもいいと思います。だって、そんな簡単につけられるものじゃないですよ。それに先輩もお母さんのことは心配してると思うから」
「そう、かしら……情けないって、思わないかしら」
「はい。絶対に」
「……ありがとう、塚本さん」
きっぱりと言い切ると、優輝先輩のお母さんは涙を隠すように部屋を出て行った。私は遣る瀬無さそうに口元を強張らせた彼に、私は謝る。
「ごめんなさい。勝手なことをして」
「いや、助かった。オレじゃもう、母さんに声を届けることも出来ないからさ」
「先輩の声に、私がなります。手にだって足にだって、いくらでもなります。だから、そんなこと言わないで、諦めないでください。心残りがあるんでしょ? へこんでる時間がもったいないですよ!」
我ながら可愛げの欠片もない、きつい言葉だ。けれど縮こまる彼の背中を真っ直ぐにさせる力はあったようだ。
「そうだよな。千佳には格好悪いとこばかり見せてるな。先輩なのにほんと、情けない」
「え? 先輩が格好良かった時なんてありましたっけ?」
「な、なかったか?」
私がいかにも不可解なものを見る目を先輩に向ければ、自信なさそうに彼は肩を落とす。冗談を真に受ける彼を笑う。
「嘘ですよ。バスケしてる先輩は、まぁ、格好いいんじゃないですか?」
「そこは素直に褒めてくれよ。唯一の取り柄だぞ。自慢できるほどの腕じゃなかったけどさ」
上手下手だけがすべてではない。ボールを投げる真剣な横顔を見て、私は先輩を好きになったのだから。心の中でそう思いながら、口では別のことを言う。
「ここまで来たんです。そろそろ先輩の目的を話して下さい。どうして自宅に戻りたかったんですか?」
「千佳は気付いてたんじゃないか? オレの心残りが、本当は別にあったことに」
「……やっぱりそうだったんですね」
再会してから今日までに、祐樹先輩が心残りとして私に伝えてきたものは、どれもささやかなものばかりだった。だから、本当は別に簡単に口に出来ないような大きな心残りがあるんじゃないかと思っていたのだ。だって、漫画やDVDに幽霊になって現れるほどの執着は感じなかったし、それが心残りとは思えなかったから。
「千佳はオレを過去にはしないから、お前と一緒だとまるでまだ生きてるみたいでさ。間違ってるとわかっていても今が楽しくて、辛い現実を忘れられた。存在を認められていることが嬉しかった。だから、それに甘えて本当のことをずっと言い出せなかったんだ。最後を伸ばし伸ばしにしてここまで来ちゃたのは、オレ自身に迷いがあったからだな」
先輩は部屋の中を真っ直ぐに歩き出した。ベットの傍を通り勉強机の前に立って私を振り返る。
「この机の右側の引き出しを開けて、財布を出してほしい」
私は先輩の傍に行くと、言われた通りに右側の引き出しを開けた。中には黒い細長の財布が入っていた。これが先輩の心残りに関係しているの?
私の疑問が伝わったのか、優輝先輩は何かが吹っ切れたように静かに言葉を続けた。
「財布の中にジュエリー店の紙が入ってる。その店に行って注文してたものを受け取ってくれ。──明日、雪菜の誕生日に、渡すつもりだったんだ」




