9
目が覚めるとベットに寝ていた。 しかし、そこは自分の蒲団でも部屋でもなかった。嗅ぎなれない匂いに天井から吊るされた淡いピンクのカーテンが目に入る。
「美鈴さん」
自分を呼ぶ声に視線を横に向けると、無精ひげを生やした裕助と目が合う。
驚いて体を起こそうとしたが肩に痛みが走り動くこともできず顔を思い切りしかめてしまった。
「動かない方がいい。肩にヒビが入っているんだ」
裕助の手が優しく自分の体をおさえる。
現状が理解できず黙ったまま裕助の顔を見ていると、裕助は言葉を続けた。
「大丈夫。ここは病院だ。
陸も同じ病院に入院している。さっきまでここにいたんだが看護師に叱られて部屋へ戻ったよ」
陸の名前に自分達に起きた事を思い出した。
「私達、崖から落ちたんだ」
「ああ、そうだ」
崖下で朦朧とする意識の中、裕助の声を聞いたのだ。
「裕助が助けてくれたの?」
裕助は自嘲するように笑う。
「俺は二人を見つけただけだ。怜が病院まで連れて来てくれたんだよ。
あいつも昨晩はいたんだが、今日は仕事があると言って帰って行ったよ」
「怜が?」
「ああ、後で詳しく話すよ」
ナースコールを押す裕助を目で追いながら美鈴はポツリと言った。
「記憶、戻ったんだね」
裕助はベットの横にある椅子に座ると美鈴を見た。
「ああ、心配かけてすまなかった。いろいろ迷惑もかけてしまったしな」
裕助の申し訳ない顔に美鈴は首を振った。
「そんな事ない。私のほうが謝らなくちゃいけない。早く探し出すことができなくてごめん。こんな時に『能力』が使えなくて困っている裕助を助けることも出来なかった。ここまで引っ張ってきてくれたのは陸だったし」
「力になってくれたんだってな」
美鈴は裕助を見上げる。
「陸、何か言ってた?」
「いや、特には何も言ってないよ」
そう言うと裕助は眉を上げただけであった。
美鈴の診察が終わると車いすに乗った陸が見舞いに来てくれた。顔にはガーゼが何か所もあてられており足にもギプスがつけられていたが、当の本人はいつもの調子で元気そうであった。
「別に車いすじゃなくても全然平気なんだけど、うるさいからさ」
陸は頬杖をつきながら文句を言った。
部屋で大人しく寝ていない陸に医師が仕方なく車いすで移動ならとオーケーを出してくれたのだがそれでも不満らしかった。
「陸も安静だろう。あまり動いていると治りが遅くなるぞ」
裕助が苦笑いして言った言葉に陸はため息をついた。
「足だけだよ」
美鈴は笑ってしまった。
裕助がいて陸がいてたわいのない会話をして…、以前のいつもの風景がそこにあった。
その日の夕方には神香月が仕事の合間にやって来てくれた。美鈴の顔を見ると安心したのかいつも見せる事のない優しい笑みを見せ美鈴を驚かした。しかし、あまり時間がないらしくすぐに二人が崖から落ちた時のことを話してくれた。美鈴も気になっていたあきのことを尋ねると神は眉間に皺を寄せ渋い顔をした。
「取り調べ中だ。これから詳しく調べていくらしいんだが彼女から聞きだすのは難しいな。以前から精神科にかかっていたらしく定期的に受診を受けていた事も分かった」
「そうですか」
神の言葉を聞きながらあきが今どんな気持ちでいるのか考えてしまった。あきは裕助の事が好きで幸せな生活を守りたかった。その為にした行為は許されるべきものではなかったのだが、あきを恨むという気持ちはおこらなかった。
「とにかくお前さんと陸は、早く怪我を治して元気になるこったな」
神は子供にするように美鈴の頭をがしがしと撫でると帰って行った。
神が言う通り自分が今出来る事は早く良くなって心配かけた人達を安心させる事であった。
美鈴と陸の傷は数十メートルもの崖下へ落ちた割には程度が軽かった。美鈴の骨折も肩だけであったし打撲と擦り傷も深いものはなかった。陸ほどではなかったが美鈴も二日後にはベットの上で起き上がることも許可された。美鈴の先輩である滝竜一がやってきたのは午後の受診を終えた後であった。ストライプのシャツにジャケットを羽織りパンツ姿のスマートないでたちで突然現れた竜一に美鈴は目を疑った。
「そんなに驚く登場だったかな? 翔には前もって行くっと言っておいたんだけどな」
竜一は可笑しそうに笑う。
「でも、元気そうで安心したよ。自宅で突然声を聞いた時は本当に驚いたよ」
美鈴からのテレパシーを受けた竜一は、怜に状況を伝えると急いでロスから来てくれたのだ。ベットを起こして座っていた美鈴は申し訳ない顔をした。
「本当にごめんなさい。正直あまり覚えていないんだ。意識が朦朧としているなかでWIの時の皆を思い出して気がついたら竜に呼びかけていたんだと思う」
「謝る事なんてないよ。俺に何かできたって訳ではないが、頼って来てくれたことは嬉しいよ。久々に昔の緊張感を思い出した」
竜一は笑って言う。
「竜と組んでいた頃は、まだ能力も安定していなかったし加減も分からなくて無茶ばかりしていたからね。でも怜に連絡してくれたから早く助けてもらえたんだし、竜にも助けられたのは間違いないよ。ありがとう」
「いいや。どういたしまして。だが本当に俺より怜の方がいろいろと必死になって捜して動いてくれてたんだよ。きっと口では文句しか言わないと思うが」
「うん。確かにたくさん文句を言われた」
美鈴は笑って頷いた。怜は口では文句ばかりだがいつも真っ先に動いてくれるのだ。
二人の会話が途切れたころ、扉がノックされ裕助が病室に入って来た。
裕助は竜一を見るといつもの人懐こい笑顔を向けた。
「滝さん、お久しぶりです」
竜一も笑顔を返す。
「本当にお久しぶりです。 WIでお会いした時以来だから6~7年は経っていますよね。いつも美鈴がお世話になっているみたいで、ありがとうございます」
竜一の言葉に美鈴は何か照れ臭くなってしまった。何か身内の人間に挨拶されているように感じた。裕助も同じように思ったのか美鈴の方を見て笑う。
「滝さんは、美鈴さんのお兄さんなんだな」
裕助の言葉に美鈴は照れながらも素直に頷いた。
「竜にはWIに入った頃から面倒見てもらっていたし、私もそう思っている」
嬉しそうに話す美鈴に竜一は照れたのか話を変えた。
「そういえば、高野くんは今週中には退院するそうですね。すごい回復力だ」
「ああ。正直なところ陸は病院にいるのが嫌で退院するので何ともいえないんだが…」
苦笑いしながら話す裕助だったが、美鈴は心配であった。今まで裕助の家に住んでいたのだが傷の完治もしていないのに裕助の家を出ると聞いていたからだ。
「陸、退院したらどこへ行くんだって?」
「ああ。実は海人が迎えに来たんだ。で、家に戻ることになった」
「そっか…」
頷きはしたが、二人のわだかまりがとけたのか気になった。しかし、これは二人の問題であり自分が口出しすべきことではなかったのでそれ以上は何も言わなかった。
「美鈴。そろそろ帰るよ」
竜一の声に美鈴は顔を上げた。
自分の荷物を持って竜一は美鈴を見ていた。
「あ…そうか。翔と約束があるって言ってたね」
竜一は頷くと裕助の方を向いた。
「お先に失礼します。美鈴をよろしくお願いします」
「ええ、気をつけて」
裕助は小さく頭を下げた。
「竜、ありがとう」
「また来るよ」
竜一は笑みを浮かべると再び裕助の方を向いて小さく頭を下げると病室を出て行った。裕助は、ベット横にあった椅子に腰を下ろすと息をついた。
「滝さんは、『TAKIコーポレーション』の副社長なんだろう。歳は30くらいだったかな?」
「私より7歳上だから29かな」
「スゴイな」
美鈴も頷く。竜一の父がロサンゼルスで社長をしている会社に6年前に移り手伝いをはじめ、今では副社長の地位にいた。
「WIにいて一緒に仕事をしていたなんて信じられないよね。でも、竜はいつも冷静な対応でフォローしてくれていたし頼れる先輩だったからな。今では素敵な奥さんもいて立派な家に住んでいる。会うと変わらないけど、やっぱり遠くの人になったみたいで寂しいね」
いつも思う事はなかったのだが怪我をして弱っているせいか、つい口から出てきてしまった。少し寂しそうに笑う美鈴の頭に裕助の手が突然置かれた。美鈴が顔を上げると数日前まで生やしていた無精ひげを綺麗に剃った裕助が見下ろしていた。
「退院したら俺の所に来たらいい」
「…え」
突然の言葉に美鈴は戸惑い裕助の顔を見上げたまま動きが止まる。
裕助は笑って美鈴の頭から手をどけた。
「完治しない体で一人で生活するのも大変だろう。一人でいると凹みそうなかんじだし、前回と同じように家に来たらいいって言ったんだよ」
「あ…そっか、そっか。あーー、でも毎回甘えてしまっているし、親離れできていないみたいだよね」
美鈴の焦って誤魔化す様子に裕助は笑った。
「おいおい、滝さんは兄貴で俺は父親か?
まあ、いいが気を遣う必要はないからな」
「うん。ありがとう」
裕助は頷くとベット横にあるサイドテーブルの時計を見た。
「すまないが、俺も行かないといけないんだよ」
「仕事?」
「いや、仕事はしばらく休むつもりだ。海人と会うんだよ」
「そうなんだ」
表情を変えたが何も聞かない美鈴に裕助は小さく笑う。
「陸のこともあるし、いろいろな」
美鈴は頷いたが何も言わなかった。
裕助が部屋を出て行った後、窓の方へと視線をやった。外は雲一つない青空であった。冬の空とは対照的に気持ちは曇天で重たかった。
あの時美鈴に向かって言った裕助の言葉はいつもの言葉とは違い裕助の想いが感じられた。しかし、美鈴の表情をみて裕助はいつものように言い直した。きっと自が戸惑った表情をしていたからだろう。
あきと一緒にいる裕助にショックを受けたのは本当だった。自分は裕助の事が好きなのかもしれないとも思った。それなのに裕助の気持ちを知ることに戸惑ったのだ。
自分の事なのに自分の気持ちが分からず頭の中は絡まり重かった。
陸の退院の日は、うす曇りで朝から寒かった。
朝食が終わって暫くすると松葉杖をついた陸が部屋にやって来た。すでに私服に着替えており退院準備もすっかり終わっているようであった。顔にはまだ傷口を塞ぐ絆創膏がついていたが退院しても問題はなさそうであった。それに比べると自分はベットから起きて歩き回ることはできるが陸ほどまでに回復はしていない。
「やっぱり若さの違いじゃないの?」
いつもの陸の憎まれ口を聞きながら美鈴は反論をする。
「いや、そこはあまり関係ないと思う。それに私の方が陸よりは普段から動いているはずだし」
不満顔の美鈴を笑いながら見ていた陸は器用にベットの横にある椅子に座った。
立ったり座ったりの動作は流石に不便そうである。
「そういやあ、美鈴は退院したら裕助さんとこに行くんだろう」
「…裕助に聞いたの?」
「いや…前の時もそうだったから、そうかと思ったんだけど違うの?」
聞き返す美鈴に訝し気な表情で陸は尋ねた。
「そうだと思うけど」
「なにそれ?」
陸は美鈴の顔を暫く黙って見ていたがにやりと笑った。
「へー、もしかしたら裕助さんのこと意識してんだ」
気がついて欲しくない事に敏感に感じ取る陸に美鈴の顔が少し赤くなる。
「そんな事ないよ。裕助は友達だし」
誤魔化す美鈴を見ていた陸がぽつりと言った。
「『友達』枷になってるんじゃないの?」
「え…」
美鈴は何も言えなくなってしまった。違う考えが自分の中に浮かんだのだ。
枷ではなく自分は友達という言葉でずっと誤魔化して裕助の気持ちに気がつかないふりをして逃げていたのではないのだろうか。
「何て顔してんの?自分の気持ちに素直になればいいだけじゃん。
美鈴が帰るところは裕助さんのトコなんだろう」
美鈴が答える前に陸は椅子から立ち上がった。
「兼松が迎えに来るからそろそろ行くよ」
美鈴は顔を上げると背の高い陸を見上げる。
しかし、陸は美鈴と視線を合せようとはしなかった。
「…まだ治ってないんだから無理したら駄目だよ」
「俺は美鈴と違って大丈夫だよ」
いつものように陸は言葉を返すが違う事にも気がついていた。自分と裕助の事を思って言ってくれた陸を思いやることもできない自分に嫌気がさす。
「んじゃ」
陸はひと言だけ言うと美鈴を見ずに部屋を出て行った。
美鈴もそんな陸を黙って見送った。
「っすず。 …美鈴」
自分を呼びかける声にハッとすると振り返った。そこには竜一と翔が傾いた陽を受けて立っていた。一年で一番昼が短いこの季節の日差しは、すでに夕方を思わせていた。
「どうしたんだよ。窓も開けっ放しで部屋が冷え切ってるぞ」
「あ…ごめん」
翔は冷たい風が吹き込んでくる窓を閉めるとベットの端に座ったままでいる美鈴の顔を覗き込んだ。
「ったく、怪我の次は熱なんてやめてくれよ」
翔は窓際によりかかって文句を言ったが、竜一は黙ったまま美鈴を見ている。
そんな二人に美鈴は顔を歪めた。
「大丈夫。ちょっと考え事してただけだしそんな事にはならないから」
「当たり前だ。竜が心配で帰れなくなっちまうだろう」
二人のやりとりを見ていた竜一は笑った。
「本当だ。しかし、二人とも何も変わらないな。
翔は心配症で口うるさいし美鈴は心配ばかりかけているんだな」
翔は竜一の言葉に苦い顔をした。
「そういうお前も変わらないよ。見かけは温和そうなんだが、はっきりとした物言いをする、っていうか、コイツと怜は面倒かけすぎなんだよ。部長に毎回嫌味を言われてたんだ。口うるさくもなるさ」
「まあ確かに放っておくと二人とも勝手に動き出してしまうからな。
怜は要領がいいからまだしも、美鈴は要領が悪い上にお人好しときてる。おまけに頑固なところもあって言う事聞かないし大変だった。余計な事に首を突っ込んだり巻き込まれたりもしたな」
昔を思い出すように話す竜一に翔は美鈴をちらりと見て口を挟んだ。
「俺はそこまで言ってないぞ」
翔の言葉に美鈴も顔を渋くする。
「そういう話はもうやめよう。ホント自分勝手だったと思ってるし今でも凹むから」
「おや、何度も心配させられてたから気にしていないのかと思った」
「確かに学習しない事の方が多かったけど、もう時効にしようよ」
竜一の楽し気な顔と美鈴の情けない顔に翔はぼやく。
「竜はドSだからな…」
翔の言葉を聞いて竜一が、一人笑った。
その後も三人でたわいのない昔話しに花を咲かせていたが話しが途切れたのを見計らって翔は竜一に声をかけた。
「ぼちぼち行くか?」
「そうだね。ぼちぼち時間だね」
竜一は自分の腕時計を見ると頷いた。
今日の夜の便でロスに戻る竜一を翔が空港まで送る約束になっていたのだ。
「来てくれて本当にありがとう。瞳さんによろしくね」
二人が立ち上がるのを見て美鈴もベットから立ち上がる。
「見送りはいいからな。そんじゃ早く治せよ」
美鈴に声を掛けると竜一の方を見て翔は歩き出したが、何を思ったのか竜一は足を止めた。
「翔、先にロビーに行って待っててくれないか。後から行くよ」
翔は何か言おうと口を開きかけたがすぐに納得したように頷くと手をあげて出て行ってしまった。残った竜一を美鈴は不思議そうに見た。
「どうしたの、竜」
美鈴の問いかけに竜一は小さく笑った。
「それはこっちのセリフ。
どうした?何か悩んでいるんじゃないの?」
美鈴の瞳は竜一の顔から下へと下がっていく。そして小さくうーんと唸った。
しかし、美鈴の口からはなかなか次の言葉が出てこなかった。
「もしかして恋話とか?」
竜一の言葉に美鈴は驚いたというより変な顔をした。
黙って言葉を待っている竜一に仕方なく美鈴は口を開いた。
「こんなこと自分で考えて分かれ、ってとこなんだけど…」
そこまで言って再び言葉を止めた美鈴に竜一は笑う。
「自分で考えても分からないんだろう。俺が出来る事は聞くぐらいかもしれないけど言葉にしてみると自分の中で整理ができて見えてくるものがあるかもしれない」
「そうだね」
美鈴は頷くと思い出すように裕助がいなくなってからの自分の心境、捜し出した時あきがいた時の気持ち、そしてここ数日のことを話した。
「今まで裕助との関係がどんなものだなんて考えたことがなかった。ううん。考えようとしなかったのかもしれない。でも、裕助がいなくなって俊にもなれなくて気がついたら不安になっていて、陸もそんな情けない私に気がついて傍にいてくれて…」
そこまで言って美鈴の顔がしかめられた。
「自己嫌悪は、後にしておこう」
竜一の言葉に美鈴は口を少し尖らせながら言葉を続けた。
「裕助とは、対等に付き合っていたつもりだったけど、寄り掛かっていたのかもしれない。優しさに一方的に甘えていたんだと思う。でも、裕助とあきさんが一緒にいたのを見た時嫉妬したのも本当だと思うし…」
「私、裕助のこと好きなのかな…」
美鈴の視線を受けて竜一は語尾を繰り返した。
「かな?か」
竜一は口元に手を持ってくると視線をさげて暫く黙ってしまった。
美鈴としては気まずくなり黙っていられなくなる。
「竜っ、あのっ…」
美鈴は言葉を止めた。竜一が、口元から手を放すと視線を再び美鈴に向けたのだ。
「甘えていた部分はあったかもしれないけど対等に付き合っていたとおもう。
佐波さんの感情は分からないが、もし何か特別な感情を持っていたとしてもあの人はそれを相手に押し付けたり求めたりしないと思う。美鈴が恋愛の好きという感情を持てば別だと思うが、あの人は昔から美鈴の思いを一番に考えて大切にしてくれて傍にいてくれている。まあ、正直ロリコンじゃないかと俺は思ったけど」
黙っていた美鈴もさすがに苦い顔をした。
「俊になれなくて情緒不安定の時に起きた今回の事で美鈴の心が友達以上に揺れ動いた。だがそれがどう転がるか何であるか分からない。今後お楽しみってとこでいいんじゃない?」
ひとり完結した竜一の言葉に何か力が抜け思わず笑ってしまった。
「なんだか、あっさりと終わったね」
「変に考えすぎると美鈴は不器用だから意識してしまうんじゃないの?避けることになったら佐波さんもかわいそうでしょう」
言葉とは裏腹になんともなさそうに竜一は言った。
「そんな事ないよ…」
口籠りながら言った言葉も自信はなかった。
竜一は笑って小さくため息をついた。しかし、ふと思い出したように美鈴に問いかけた。
「そういえば、あの男とはまだ会っているの?」
「え…?」
「相模朗」
「え・・・あ…時々。でもいつも俊の時だよ」
竜一は、苦笑いした。
相模朗は殺し屋であった。裏の世界では恐れられていた相模と美鈴の出会いは偶然であったのかもしれないが、緊迫した生死を伴うような場所で出会う事が多かった2人は自然と自分達も気づかないうちに近づいていったのではないだろうか。
それに美鈴は心の内に闇を持つ人間に不思議と好かれる。一見普通の少女にしか見えないのだが、その身体にも心にも人とは違う真実が隠されている。人工的に遺伝子の組み換えにより造られた美鈴の身体は特殊能力を持ち、男体化する。そんなSF的な驚愕な事実を背負っており、同時に異端者という苦しみと不安も背負っている。
そんな普通の人間からかけ離れた部分と世界を持つ二人だからこそ、お互い分かり合える部分もあり惹かれあっているのではないのかと竜一は思っていた。
「佐波さんとは、このままでいいんじゃないのかな」
美鈴は竜一の顔を見る。
「答えが出ないのは、まだ決める時じゃないのかもしれない。本当に自分がこの相手と、と思う時が美鈴にもくるよ」
穏やかな口調で言う竜一を美鈴は見つめた。
竜一は厳しい事も言うが嘘をついて誤魔化したりすことはしない。
美鈴は口元に笑みが浮かべた。
「竜のようにだね」
竜一も笑うと頷いた。そして改めて言った。
「それじゃあ、今度こそ行くよ」
「うん。元気でね」
「ああ。何かあったらいつでも連絡してくれていい」
「ありがとう」
美鈴は笑って頷いた。竜一も笑い返すと病室を出た。
ロビーへ行くと桐生翔はソファに座り携帯をみていたが、すぐに気配に気がついて顔を上げた。
「お待たせ。悪かったな」
竜一の言葉に「いや」と短く返事をすると携帯をポケットにしまい立ち上がる。
「じゃあ、行くか」
「ああ」
二人は、ロビーから面会受付の出入り口へと向かった。
「で? へっぽこは少しは立ち直ったか?」
翔の言葉に竜一は笑ってしまった。
「そうだなぁ。取りあえずってとこかな?
クセの強いヤツばかりに好かれるからね」
「そっち方面だったのかよ。 ったく、あいつも八方美人なくせして、てんで恋愛関係は疎いときてる」
翔の文句を聞きながら竜一は笑ってしまった。
そんな事を言っている翔自身、ルックスが良いにも関わらず恋愛には無関心なのだ。
二人は受付に面会バッチを返すと足早に駐車場へと向かった。
「で、お前さんとしては誰が一押しなんだ?」
竜一は笑った。
「正直に言えば、みんなやめとけと言いたい」
翔は首をすくめた。
「もし、それが怜や俺だったとしても同じ事言うんだろ?」
「ああ、もちろん」
すぐに帰ってきた答えに、さすがに翔も苦笑いをした。
「お前のシスコンぶりの方がヤバいんじゃないか?」
「まあ、そこんとこは認めるよ」
翔はため息をつくと時計を見て車のロックを解除した。
「どいつもこいつも、美鈴には甘いんだよ。これ以上ヘタレになったらどうすんだよ、ったく」
車に乗り込みながら翔は文句を言う。竜一も苦笑いしながら乗り込んだ。
「さてと、飛ばすぞ」
「お手柔らかに」
翔は、エンジンをかけると笑っただけだった。
車は、空港へと勢いよく発進した。