6
誰かが呼ぶ声に目を開けた。目を開けたにもかかわらずそこは闇であった。まだ自分は目覚めていなくて夢を見ているのだろうか。しかし、耳から入って来る川の流れの音は鮮明に聞こえてくる。再び自分の名前を呼ぶ声に美鈴は視線を横に向けた。陸だ。自分の事を覗き込んでいるのが分かる。
「よかった…。目を開けないから、死んじまうんじゃないかって思った」
陸の心配そうな声に、体を起こそうとしたとたん体中に痛みが走り眩暈がする。
「っ…」
顔をしかめたまま痛みを我慢していると陸の手がそっと労わるように体に触れる。
「どこが痛い?もしかしたら骨折しているのかもしれない。
俺ら、崖から随分落ちたみたいだから」
陸の言葉にやっと今の状況が分かって来た。
近くで川の流れる音が聞こえているのは、陸が言う通り山の麓近くまで落ちてきたからなのだろう。
「ここで止まって運が良かったよ。もう少し行ったら川に落ちていたし、その手前だったら岩にぶつかってた」
二人の少し先には大きな岩が見える。そしてこの岩を超えた先は川なのであろう。
岩の手前の窪地で勢いが止まって二人は無事だったのだ。
「陸は大丈夫? どこか怪我してない?」
掠れた声で何とか声をかけると、陸の笑う顔がぼんやりと見えた。
「ちょっと足をやられたみたいだけど、後は大丈夫だよ。結構頑丈にできている」
あまり大丈夫そうではなかったが、陸の笑顔にはほっとした。
「それより美鈴はどこが痛いの?」
「どこって…全身痛かった気がするからな」
「まあ、俺もあっちこっち痛いけど」
美鈴の表情と様子に安心したのか、陸も落ち葉の上に横になる。葉の落ちた木の間からは空が見えた。曇っているので星は見えないが雲で空は薄明るい。
「ごめんね。私を助けようとしてくれたからこんな事になってしまって」
美鈴の言葉に陸は面白くなさそうにぼやく。
「助けようとして一緒に落ちてりゃ世話ないよ。映画みたいにそうそうカッコよくいかないのが現実だよな」
陸の相変わらずな調子に美鈴は笑ってしまった。
「そんなことないよ、ありがとう」
陸は、照れたのか返事がなかった。
落ちてからどれくらいの時間が経ったのか。美鈴は右手でそっとコートのポケットを探り携帯を取り出した。左肩を動かすと痛みが走るのだ。もしかすると打撲ではなくヒビが入っているのかもしれなかった。右手で携帯の電源を入れると明かりが二人を照らし出した。陸は上半身を少し起こすと顔を覗き込んできた。美鈴は陸の顔を見て驚いてしまった。頬や額に血が滲んでいるのが見えたからだ。
「これはどってことないよ。擦っただけだから」
陸は、先に自分で言う。
「足は、骨折したの?」
足に添え木として木の枝をベルトで止めているのをみて美鈴は声を大きくした。
「だから『やられた』って言っただろう。あんだけ急坂だったんだからこれだけの怪我で奇跡だったよ」
「…うん、まぁ、そうかもしれないけど」
頷きはしたが落下の時、陸は美鈴を抱きしめて庇ってくれていたのだ。
大きな怪我は足の骨折だけなのかもしれないが、木や石にぶつかってきっと体中あざだらけの筈だ。
「神さん、大丈夫かな? 助けを呼びに行ってくれてるといいんだけど」
再び横になりながら陸は言う。
「大丈夫だよ。神さんは警察の人間だから今頃助けを呼びに行ってくれてるよ」
美鈴も動かないようにして目をつむった。
「このまま横になって待っていよう。動くにしても明るくなってからの方がいいしこの場所なら寒さも少しは防げそうだよ」
陸は頷くと空を仰ぎ見る。どこかで鳥の鳴き声が聞こえた。
少し風が出てきたのか木々が擦れたり軋む音が聞こえる。
「静かだな…。なんか、この世界に俺と美鈴しかいないみたいだよな」
「ロマンティックな映画のセリフみたいだね」
美鈴が笑って言った言葉に陸も笑って頷いたが続けた。
「なんか不思議なんだよ」
「何が?」
「身体は痛いんだけど、何かすごく落ち着いていて安心している自分がいる」
美鈴は空を見上げている陸を見た。
「俺、今まで両親もいなくて兄貴と組の人間の中で育ってきただろう。年離れていたけど兄貴は俺の事を見てくれてたし、いろいろうるさいんだけど兼松にも面倒みてもらってきた。組の連中やマスターもいたし寂しいとか辛いとか思った事もなかったんだけど、何か時々俺ん中で無性にイライラして我慢できなくなるときあんだよ。何でなのかどうしたいのか全くわかんなくてさ」
陸は小さく息を吐くと続ける。
「前に学校へ行かない理由、美鈴に言ったよな」
「…何もないからつまらないって」
「そう言ったけど、本当は学校行っても周りが俺と関わらないように一歩も二歩もおいていて、当たり障りのない態度に嫌気がさしたのがホントの理由。海人みたいに愛想あって自分から話しかけていけばいいんだろうけど、愛想なんて俺にはないし笑ってんのなんか無理。だったら俺から離れればいいやなんて思ってやめたんだ」
陸は笑って言う。
「今思えば、やめたの正解だったと思う。人と同じやり方じゃなくてもいいんだもんな。きっと美鈴に言われるまで、どこか普通に学校へ行かないとって言うのが頭ン中にあったんでもやもやしてたんだと思う。でもそれは無理だったから、話聞いて気が楽になったんだよ」
美鈴が陸に言った言葉だった。「道はいろいろある」と。
陸が笑って言ってくれることは嬉しかったが、その道が正解だったのかは分からない。
「でも無責任に軽々しく言ったかもしれない」
陸は首を振る。
「そんな事ないよ。自分で決めた事だし、あの時否定されなかったのが嬉しかったんだと思う。美鈴はいつも真っ直ぐ見てくれるよな。それに気持ちを分かろうとしてくれる。美鈴といると気が楽なんだよ。素でいられる」
「そういやあ、俊さんなんて温和オーラ全開だから、一緒にいるとなんか毒ぬかれちまうって感じだよな。二人でいるときって何話してるの?全然想像がつかないんだけど」
陸は笑って言った言葉に美鈴は黙ってしまった。陸は不思議そうに顔を向ける。
「陸は私の事よく言ってくれるけど、私は陸が思うような人間じゃないよ。偉そうなこと言ってるけど本当は自分の事で一杯一杯だし陸にかくしている事もたくさんある」
美鈴の苦しそうな言葉に陸は静かに言った。
「前にも言えない事があるって言ってたよな。でも、裕助さんが支えてくれていたんだろう」
「裕助にも…皆にも支えられていた」
「俺も美鈴を支えられたらって思う。何ができるか分からないけど一緒にいることはできる。
俺、美鈴の事っ」
「陸っ」
陸は言葉を止めた。苦しそうな美鈴の声に次の言葉が言えなかった。
暫くの沈黙の後、言葉を続けたのは美鈴だった。
「私、俊でもあるんだよ」
「… … え?」
美鈴の言った言葉の意味が分からず陸は聞き返してしまった。
「俊の事兄と言ったけど違う。本当は私が『加納俊』でもあるんだよ。
15歳の頃に突然『俊』に身体が変化して、人にはない力も使えるようになった。それから美鈴に戻る事もできるようになって自由に変化できるようになったけど今は『俊』になることもできないし力も使えない。何にも役に立たない」
黙ったまま自分を見つめている陸に美鈴は悲しそうに笑う。
「こんな私と一緒にいて陸はほっとする? 怖い、気持ち悪いって思わない?」
陸は黙ったまま美鈴を見つめていたが突然独り言のようにしゃべりだした。
「美鈴は俊さん。今はなれないけど男になれて俊さんになる…。
じゃあ、美鈴もすげぇ酒飲むってこと?」
何か不明な問いかけに美鈴は戸惑いながら首を振る。
「同じ人間でもそこんとこは違うんだ…っていうか、人にはない力ってもしかして超能力とかそんな感じを言ってる?もしそうなら、崖から落ちた時の衝撃を感じなかったのってそのせいなのかな?木や岩がかなりあったはずなのにぶつからないなんて変だと思ってたんだよ。でも途中から木にぶつかっていたから、美鈴
がそこまで何かしていたんじゃないの?」
「…確かに超能力を使えるけれど、それは俊の時だけで今は使えない筈なんだけど」
更に戸惑いながらも美鈴は答える。確かに2人で落ちていく中、必死に力に願っていた。しかし、途中で体に衝撃を受けてから覚えていないのだ。陸の言う通り俊の時にしか使えない力が自分達を守ってくれたのだろうか。
「話し聞いて分かろうとは思うんだけど、男や女になれるってちょっと想像がつかないかも。こんな風にしか言えなくて、ごめん。でも、気持ちが悪いとか怖いとかは絶対思わない。それは美鈴や俊さんを知っているからだと思う」
そして、今度は違う事に納得したように話し出した。
「今思えば、場馴れしていたのはそのせいなんだ。それに何か強者ばかり周りにいるもんな」
「強者?」
「そう。裕助さんに、神さんだろう。それに、裕助さんちに来たすげぇ男前の人もそうだよ」
陸の言葉に一瞬頭によぎったのは、相模朗であった。
「あのさ、さっきみたいに力使って裕助さんにSOSとか送ったりできないかな。裕助さんの記憶が戻っているなら何か美鈴の声が聞こえるかもしれないよ」
陸の言葉に美鈴は驚いてしまった。確かに少しでも力が使えるならば不可能ではないのかもしれない。落ち込んでいる場合ではないのだ。
「俺、あんな女と裕助さんが恋人同士なんておかしいと思う。怪我して記憶がないのをいいことに騙されているんだよ。それか、二重人格かもしれないし、きっと何かあるんだよ。あきらめる必要なんてないよ!」
「あきらめるって、裕助とはそんな関係でもないよ」
陸は渋い顔をする。
「そんな事ないだろう。そんだけ感情振り回されてるんだからあるよ。俺、裕助さんにはまだ男負けてるけど、このまま負けるつもりないぜ。これからだって」
陸の自信ありげな言葉に美鈴は思わず笑ってしまった。
「ありがとう。陸と一緒にいると前向きで元気になれる」
「… … …」
美鈴の言葉に黙っていた陸だったが体を起こすと突然美鈴にキスをした。
固まったままの美鈴に陸は二カリと笑った。
「こういう時にあーゆーセリフ言う美鈴が悪い。まあ、キスぐらい裕助さんも許してくれるよな」
「リクっ」
「いーじゃん。あまり悪い事考えたくないけど、数日間発見されなかったりクマに襲われましたとかあるかもしれないしさ」
「全然話しが繋がってないんだけどっ」
美鈴の文句に陸は笑うと再び横になる。笑ってはいるのだが、痛みはかなりあるようで大きく息をはき痛みを逃がしているようであった。怒っている事も忘れて動く手で陸の額に触れる。熱はないようで安心した。しかし、陸の方が反対に美鈴が伸ばした手を掴んでから額に触れる。
「美鈴、熱があるんじゃないの?」
「え…私?」
思えば寒さを感じていたのだが、夜になり冷えて来たからだとばかり思っていたのだ。隣で陸が自分の上着を脱いでいるのが見える。
「え?陸?ちょっとちょっと…」
戸惑いの声も無視して自分の上着を美鈴にかける。
「これで少しは暖かくなるんじゃないかな」
「でも、そんな事したら陸が寒いよ。私は大丈夫だから着て!」
上着を返そうと体を動かした為、鋭い痛みが肩に走った。
さすがに誤魔化せず顔をしかめたまま痛みに耐えていると陸の怒った声が聞こえた。
「肩か背中痛めたんだろう。動かないでいるからおかしいと思ってたんだよ。何で言わないの?俺、さっき聞いたよな。いつも美鈴は誤魔化そうとすんだよな」
息を整えながら顔を上げると陸が再び自分の上着をかけてくれる所であった。
「美鈴は動かないでいいよ」
そう言うと自分の体を寄せて来た。ぴったりと体を寄せ合ったまま二人は暫く黙ったままでいたが、陸がまだ少し怒った口調で言った。
「怒ってごめん。でも、怪我したり調子悪いのに大丈夫なフリをされるのは信用されてないみたいで嫌だな」
「ごめん。最初は全身痛くて気が付かなかったんだ。気が付いた時には何か言いずらくて」
陸は、大きくため息をついた。
「俺の怪我にはあんなに騒いだくせに、自分の怪我は言いずらかったで済ます気?」
「ごめんなさい。言い訳です」
「だよな」
陸は小さくため息をつき頭をかく。
「あーくそっ。なんでいつもこうなのかな。つい文句ばかり言っちまう。自分が無力なだけなのに」
陸は顔をしかめて言う。
「裕助さんみたいな心が広くて余裕ある人間に憧れるけどダメだよな」
陸の思いがけない言葉。それは自分も同じであった。
「陸…私も同じこと思う。特別な力があっても不安ばかりで何もできない。皆に迷惑ばかりかけてしまう。でも、今回は私が悪かったから、ごめんなさい」
陸は黙っていたが美鈴の手を握った。陸のぬくもりが直接伝わり何か安心する。
「怪我したのは左肩みたい。動かすと痛いからヒビがはいっているのかもしれない。
後は大きな痛みはないよ」
「うん、分かった。動かない方がいいね」
美鈴は頷くと目を閉じる。
陸の言うように大人しくして自分のできることを考える。裕助や怜に呼びかけてみるつもりであった。しかし、自分にはテレパシー能力はなかった。あるとしたら今は情報部員を辞めてしまった滝竜一くらいだ。滝は今ロサンゼルスで暮らしている。
(竜、どうしているだろう。あっちは、まだ夜も明けていない頃かな。竜と初めて組んだ頃と私は何も変わっていない。こんなことばかり。竜…りゅう…。伝わらないかな)
熱と疲れのせいか少し朦朧とした意識の中、陸の声が聞こえた。
「あ、やっぱあった」
陸はポケットからタブレットらしき入れ物を出した。
「さっき思い出したんだよな。腹の足しにはならかもしれないけど、まっ、ないよりいいよな」
陸が、笑って言うのを見て美鈴も笑った。
(大丈夫。 きっと大丈夫)




