第九十六話 冬太 雪
何年か前に大雪が降ったときの話です。
うちは夫婦で車をそれぞれ持っているんですけど、滅多に大雪なんて降らないから、僕の車だけスタッドレスタイヤがあるんです。
週明けまでには溶けそうだったのに、雪なのに醤油が切れたとか、雑誌の発売日だとかってことで、僕の車で出かけることになりました。
僕が運転で、妻子が後部座席です。
案の定、走っていたらノーマルタイヤの人が田んぼ道に落ちていたり、塀に擦りついていたりね。道路は渋滞。
横断歩道がある交差点で信号が赤になって、僕は余裕を持って停まりました。スタッドレスだからってすべらないわけじゃないですからね。だから、横断歩道の縞模様がシャーベット状の雪を通して見える状態で信号が変わるのを待ちました。
そうしたら、足跡がね。
人間がいないのに、足跡だけ、進んで行くのが見えたんですよ。
寒くないのかなあと、まあ、それだけなんですけどね。
信号が青になって走りだしても、車はゆっくりです。もうすぐショッピングセンターってところで、とうとう渋滞で車が動かなくなっちゃいました。
結局、僕は車に留守番で、妻子は歩いて行ったんです。
まあ、僕は用事があったわけじゃないので、のんびり車の暖房であったまりながらちょっとずつ進んでいたんですが。
左の後部座席のドアが、開いたんです。
妻子が買い物を終えて戻ってきたのかと振り返っても、誰もいない。誰もいないのに、車に誰か乗った感じがしました。車がちょっと傾くでしょ、乗ると。
で、ドアレバーがちょっと動いて、ドアが閉まった。
ちなみに、スライドドアですけども。
勝手に乗るな、です。
さっきの横断歩道の奴だなと思いました。寒くて入って来たのかどうか知りませんけど、僕は無視して前を向きました。相手も何もしてこないですしね。
少しして、事故車がどけられたかなんかしたのか急に車が進みだして、ショッピングセンターの駐車場に車を止めることができました。
僕は、まず後部座席のドアを開けました。運転席から開けられるので。後ろは見ずにエアコン切ったりラジオ切ったりワイパー止めたり、ゆっくりやって、荷物持って、外に出た。
ぐるりと回ってみたら、無事、後部座席のところから降りた足跡と歩いて行く足跡がありました。
あとは、ドア閉めて、妻子に合流しましたよ。
無事合流してついでにご飯食べて、さて、と車に乗ったら。
座席が濡れてると、妻に文句を言われました。
しかも、こっちに向かってくる足跡が車と車の間に見えました。
慌てて車のドアロックかけてから出発しましたよ。
あとは平和に帰りました。通りがかりに事故ってる車は増えてましたけどね。
語り終えると、語り部は一本の蝋燭の火を消した。
冬太が語り終えても、亜希が戻っていない。見れば、吹き抜けのところでリュックからロープを出しているところだった。まだかかりそうだ。冬季は塊と対峙を続けている。最初のうちは外側から何枚かずつ剥がれていく感じだったのだが、今は大きく欠けたところもある、でこぼことした塊になっている。順調なのだろう。
冬太はもう一話、先に話をすることにした。
休憩室にいた羽生と岩田も、警備システムによる警報を聞いた。
二人がいる屋敷の実態は奈々谷津家の別宅だが、体裁上は遊園地の従業員休憩所だ。そのため、休憩室には遊園地の警報と同じものが流れるようになっていた。
「南西口」
「こっちの方だから、塔だよ」
二人は立ち上がる。
「とりあえず、行こう。あまり近づかない方がいいけど」
「そうね。安全圏で。遊歩道なら」
そう言いつつ、二人は通り道にあった消火器を一つずつ抱えてから、エレベーターに乗った。
同じように、休憩所の従業員たちが外に出て来ていた。各自、消火器やらバケツやら救急箱やらを持っている。彼らに紛れて、二人は遊園地への通用口を抜ける。
従業員たちは、あまり事情を知らされていなかったらしく、どこに向かうべきか右往左往していた。
「消防車が来たら塔に誘導してください。多分、あそこだから」
岩田に言われて、メイドが二人、北西の門へ向かう。閉園したばかりで受付棟に明かりが点いているので、まだ開門できる従業員がいるだろう。
ほかの者たちと一緒に、羽生と岩田は塔を目指す。一階の大扉とは違う面に石井がいる。何やら、ドアノブを必死にいじっている。メイドさんたちの残りを遊歩道に残し、男性従業員と羽生と岩田は下に降りた。
「ひかり様が中に入った後、閉まって開かない!」
石井が言うのに、力のありそうな従業員がドアノブに向かうがやはり開かない。石井が持っていた鍵で開けたり閉めたりしつつ回すが、ドアノブは回るのに引き開けることができないのだ。
「ここは、あの一階の赤い部屋の外側の部屋よね」
「こちらに分電盤があります」
人が出入りする入口と、搬入用の大扉がある。大扉も試したが、同様に開かない。
「管理人室で火災が発生しているようです。冬尚様がいるのです」
従業員が三人、トイレ口から地下を目指した。それに岩田がついて行こうとする。
「ダメよ」
羽生が腕をつかんで止める。
「あ、そうか、そうよね」
すぐに向かったということは、従業員たちも構造は理解しているのだ。ならば、自分たちが行っても邪魔になるだけだ。
「収納庫は、ここの扉と、エレベーターから出入りできますが・・・・・・」
エレベーターは霊の通り道になっている。
そこで、上から声がした。
「シューター降ろすよーっ」
亜希だ。皆が集まる資材搬入口と同じ面の反対角の上。三階の窓が開けられていた。
「降ろしたらすぐ、一人降ろすからお願いしますーっ」
従業員の一人が両手で丸を描いて合図を送る。上に、昴と亜希の姿が見え隠れする。シューターの準備が始まったらしい。
そっちは、従業員一人に任せた。
「結界、が張られてるのよね? よくわからないけど、多分中はみっちりよね?」
羽生が石井に確認すると、
「はい、みっちりで、私はとても。それで、ひかり様がブレーカーを上げに」
みっちり。それでも、人は入れるのか。もはや、めり込むということか。
「あ」
羽生が声を上げる。そして、一歩下がった。
「離れて。結界が消えたみたい、壁があるからそうそう出てこないと思うけど」
霊を閉じ込める結界か。
「あ、じゃあ、逆にこのドア開いたりして?」
「あまり開けたくないけど、ひかりちゃんがいるから、開けましょう」
すぐに石井に全く視えないタイプの従業員を選別してもらい、一人がドアを開け、二人が突入してひかりを引っ張り出す三人組が結成された。
開閉の指示は羽生。
「開けて!」
ドアノブをひねると、今度はあっさりと開く。中は暗闇だ。石井が照らす懐中電灯の光は、闇にただ吸い込まれるばかりで何も照らさない。
「突入!」
一瞬戸惑いつつも、美女の指令に二人は手を繋いで中に突っ込んで行った。うち一人の手をドアを開けた従業員が掴んで外に待機している。すぐに、二人は外に出て来た。
「閉鎖!」
出るなり、扉は閉められる。ひかりはいない。
「扉から分電盤までの間とエレベーターまでの間にはいませんでした」
「エレベーターの反対側も一メートルくらいまでの範囲にはいませんでした」
彼らにも、あの空間は真っ暗闇だったのだろう。手さぐりで探してきたらしい。
全員、塔と遊歩道の間あたりへ移動する。
「ちょっとくっついてきたわね」
羽生が言うのに、石井が突入にかかわった三人の周りをはたいている。羽生がうなずいているので、それで取れているらしい。
消防車と救急車のサイレンが聞こえ始めた。
「今から一人降りますーっ! 補助お願いしますーっ!」
昴の声だ。
そこに、上からすごい悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーっ! きゃーっ! きゃーっ!」
上を見れば、シューターの中に誰かが入って降り始めたのがわかる。中からくぐもった悲鳴が聞こえる。途中ひっかかりつつも、順調に下降している。
「きゃーっ!」
下では、従業員がすでに待機済みだ。悲鳴を上げ続ける冬沙が滑り出てくると、すぐにサポートするが、当人はまだ大騒ぎだ。仕方なく、羽生と岩田が駆けつけてすっかり上がってしまったワンピースを引き下ろし、声を掛け続けて落ち着かせる。
「おいっ! 担架出すから手伝え!」
地下へ行けるトイレ口から、さっき入って行った職員の一人が叫ぶ。収納庫突入隊三人がそちらへ走る。
「冬尚様はっ?」
石井の問いに、トイレ脇の担架扉から担架を出しながら、従業員が答える。
「焚火みたいなのに乗っかっていたので大やけどです! スプリンクラーが止まってしまって、まだ部屋に火が広がってます、冬尚様は通路まで連れ出しましたっ。部屋の消火は我々では無理です!」
従業員たちは担架を持って地下へ入って行く。石井は、残る従業員に冬尚に水をかけるためのホースの用意を指示する。
消防車の音が接近してきている、門の辺りだろうか。
「冬沙さん、話せる? 上の状況は?」
冬沙は、悲鳴の上げすぎで息切れしていたが、途切れ途切れに話した。
曰く、大量の霊が非常階段から上がって来た。冬季は最後の大きな塊と対峙している。百物語は九十五話まで進んでいる。
「さっき結界がなくなったから、非常階段を伝って上がっていったのね。まだ、建物自体の結界は作用しているから、外には出てこないみたい」
羽生が言う。上を見れば、昴と亜希の姿はない。また、下に戻ったのだろうか。
「あなただけ先に逃がされたの?」
「ユキちゃんが、まだ、戦ってるから・・・・・・」
おそらく、パニックになって避難の障害になりうる冬沙を先に逃がしたのだろう。
上からメイドが一人、大きなバスタオルを持って駆け付けてきた。三人がかりで、冬沙を塔から引き離す。従業員の一人は、引き続きシューター下で待機している。
消防車と救急車が敷地内に入ってきたらしい。
トイレ口から、担架が運び出されて来た。




