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手研耳命の変

 さて、神武天皇には、九州に居た頃に日向国吾田邑の吾平津媛を娶って手研耳命を設けています。手研耳命は、東征に従っています。そこで神武天皇には、正妃の子の神八井命と神淳名川耳尊の2人のほかに、妃の子の手研耳命の3人の子がいることになります。

 このうち、神武天皇は神淳名川耳尊を皇太子としますが、個人的には、この措置に手研耳命は面白くなかったと思います。そこで神武天皇が死んだとき、手研耳命は神八井命と神淳名川耳尊の2人を殺そうと画策しました。しかしその計画は事前に漏れてしまい、逆に神淳名川耳尊に矢で射殺されてしまいます。

 神八井命は、多臣の始祖とされています。多臣といえば、元明天皇に古事記(インディーズ)を献上したとされる太安万侶が有名です。古事記(インディーズ)では、この神八井命の子孫は多彩です。意富臣、小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫の三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余国造、科野国造、道奥の石塊国造、常道の仲国造、長狭国造、伊勢の船木戲、尾張の丹波臣、島田臣等の祖先とされています。

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