188/191
媛蹈鞴五十鈴媛命
饒速日命を帰順させた神武天皇は、その勢いで周辺を平定した後に正妃を立てようとします。そこで、事代主神が、三島溝橛耳神の娘の玉櫛媛との間の媛蹈鞴五十鈴媛命を召して正妃としました。
神武天皇の段だけ見ると、この辺りの描写は古事記の方が厚いです。三輪の大物主が、三島の湟咋の娘の勢夜陀多良比売が大便をするとき、三輪の大物主が丹塗りの矢に変身して、その陰部を突いたということがありました。そこで富登多多良須須岐比売またの名を多多良伊須気余理比売が生まれました。神武天皇は、この多多良伊須気余理比売を正妃としたということです。
なお日本書紀の神代上では、媛蹈鞴五十鈴媛命は大三輪神(大物主)の子としていますが、別伝で事代主神が、大きな鰐になって、三島の溝橄姫、あるいは玉櫛姫の元に通って、姫蹈鞴五十鈴姫命を生んだとしています。事代主というのは、大己貴神すなわち大物主の子です。
媛蹈鞴五十鈴媛命は、神八井命と神淳名川耳尊を産み、この神淳名川耳尊が次代の天皇となります。古事記では、さらに日子八井を産んだとしています。




