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磐余邑の兄磯城と弟磯城

 宇陀の県で兄猾を討伐して弟猾のもてなしを受け、吉野を巡幸した後、神武天皇は本格的に大和攻略に着手します。

 その準備として、椎根津彦と弟猾に天香久山の頂上の土を取って来るように命じました。その土で平瓦を造って天神地祇を祀るためとしていますが、私には攻略前の敵情視察をさせたように見えます。

 そして、まず、国見丘で八十梟帥を撃退しました。

 次に、道臣命に命じて、忍坂邑で酒宴をしていると装って敵を油断させ、多くの敵を倒しました。

 最後に磐余邑で兄磯城を討伐し、弟磯城は神武天皇に従いました。その攻略には様々なエピソードがありますが、兄弟のうち、兄が神武天皇に逆らって討伐され、弟が神武天皇をもてなしてこれに従うというプロットは、兄猾と弟猾のエピソードと共通するものを感じます。ひょっとすると、この2つのエピソードは、元は同じものだったのかもしれません。

 なお、神武天皇は神日本磐余彦(いわれひこ)天皇といいます。兄磯城と弟磯城は、磐余邑を拠点にしていたというので、天皇家成立のカギを握る人物なのかもしれません。

 古事記(インディーズ)では、弟宇迦斯は、宇陀水取らの祖先とされています。また、兄師木と弟師木は、ともに神武天皇に討伐されたことになっています。


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