八咫烏との出会い
日本書紀では、神武天皇が熊野で丹敷の女王を討伐したときに、神が毒気を吐いて人々を弱らせることがあったそうです。そこで高倉下という者が現れて、武甕雷神から授かった赴屠能瀰哆磨という名の霊剣を神武天皇に差し出したところ、弱っていた神武天皇の軍が回復したそうです。
そして神武天皇は、熊野から大和に入ろうとします。しかし、熊野から大和に入ろうとするには、険しい山を越えていかなければならず、道も分かりにくいです。こうして進むことも退くこともままならず迷っていると、八咫烏が飛できた。そして、大伴氏の先祖の日臣命が、大来目を率いて、八咫烏の後を追いかけて、山を越えていき、ついに宇陀の下県に着いたということです。この八咫烏のような三本足の烏は、中国神話にも登場するらしく、太陽に棲むといわれているそうです。
ついたその先の宇陀には、兄猾と弟猾の兄弟がいました。このとき、弟猾は神武天皇に従いましたが、兄猾は従わなかったので、逆に討伐されてしまいました。その後、神武天皇は吉野の辺りを巡行し、吉野首の祖先の井氷、吉野の国栖の祖先の石押分の子、また阿陀の鵜飼部の祖先である苞苴担の子
と出会いました。このうち井氷と石押分の子には尻尾が生えていたそうです。
 




