表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

185/191

八咫烏との出会い

 日本書紀(公式)では、神武天皇が熊野で丹敷の女王を討伐したときに、神が毒気を吐いて人々を弱らせることがあったそうです。そこで高倉下という者が現れて、武甕雷神から授かった赴屠能瀰哆磨(ふつのみたま)という名の霊剣を神武天皇に差し出したところ、弱っていた神武天皇の軍が回復したそうです。

 そして神武天皇は、熊野から大和に入ろうとします。しかし、熊野から大和に入ろうとするには、険しい山を越えていかなければならず、道も分かりにくいです。こうして進むことも退くこともままならず迷っていると、八咫烏が飛できた。そして、大伴氏の先祖の日臣命が、大来目を率いて、八咫烏の後を追いかけて、山を越えていき、ついに宇陀の下県に着いたということです。この八咫烏のような三本足の烏は、中国神話にも登場するらしく、太陽に棲むといわれているそうです。

 ついたその先の宇陀には、兄猾と弟猾の兄弟がいました。このとき、弟猾は神武天皇に従いましたが、兄猾は従わなかったので、逆に討伐されてしまいました。その後、神武天皇は吉野の辺りを巡行し、吉野首の祖先の井氷、吉野の国栖の祖先の石押分の子、また阿陀の鵜飼部の祖先である苞苴担の子

と出会いました。このうち井氷と石押分の子には尻尾が生えていたそうです。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ