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神武天皇の熊野入り
五瀬命を失った神武天皇は、紀国(和歌山県)を南下していき名草邑(和歌山市から海南市のあたり)に着き、名草戸畔と呼ばれる女王を討伐しました。その後、神武天皇は海岸沿いに進んだのでしょうか。佐野を越えて、熊野の神邑に至り、天磐盾に登ったそうです。その後に海を渡ろうとしたところで暴風雨に遭い、兄の稲飯命と三毛入野命を失います。そしてついに、息子の手研耳命ともに、熊野の荒坂の津にたどり着きました。そこで丹敷戸畔という女王を討伐したとのことです。
古事記では、五瀬命を失った後は、淡々と熊野入りするだけであり、暴風雨に遭って兄弟の稲飯命や三毛入野命を失うエピソードや、名草や丹敷の女王を討伐する話は出てきません。




