神武天皇が日向から大和に向かう道中について
今週から神武天皇特集です。
まずは、神武天皇が日向から大和に向かう道中のエピソードについて日本書紀の記録を要約していきましょう。
神武天皇が大和東征を思い立ったのは、45歳の時のことです。最初は、速吸之門(豊予海峡)で椎根津彦と出会い、道案内を命じました。この椎根津彦は、倭直の先祖とされています。「ヤマト」と呼ばれる氏族がこのような場所に出自を持つという点に、自分は何やら感じるところがあります。
次に神武天皇は、筑紫国の宇佐に行きます。ここで、宇佐津彦と宇佐津姫からもてなしを受け、宇佐津姫を侍臣の天種子命に娶らせました。天種子命が中臣氏の先祖であることはすでに紹介していたかと思います。この後神武天皇は吉備国に行き、そこで3年とどまって、いよいよ大和入りをしようとします。
これが古事記では、どうなっているでしょうか?
神武天皇はまず、日向から筑紫国へ向かいます。その途中の豊国の宇沙に到着して宇沙都比古と宇沙都比売の2人から接待を受けたというのは、日本書紀と同様です。天種子命のエピソードはありません。
この後、神武天皇は、筑紫で1年、安芸国に7年、吉備国に8年滞在します。日本書紀では、吉備で3年を過ごした以外はまっすぐ大和に向かっている印象ですが、古事記ではずいぶんのんびりした行軍になっています。
古事記では、この後に、大和国造の祖先とされる槁根津日子と、速吸門で出会います。
ここまでのエピソードで、もう一つ気になるのが、日本書紀で、この椎根津彦が珍彦と名乗っていることです。「うず」と聞くと、私は一方で天鈿女を連想してしまうのですが、この2人の関係はよく分かりません。なお、古事記では、槁根津日子が「ウズヒコ」と名乗るエピソードはありません。




