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和珥氏の先祖 彦国葺と武振熊
和珥氏関連で、日本書紀では、垂仁天皇の段で、和珥臣の先祖として彦国葺という人物を登場させています。ただしこれは、垂仁天皇が「自分も神祇をお祀りすることを怠らないからね」と伝えたというだけで、大した事績は残されておりません。
その次の和珥氏関連では、神功皇后の時代に武振熊というのが出てきて、謀反を起こした忍熊王を討伐しています。ちなみにこの時、忍熊王に従った五十狭茅宿禰というのがいるのですが、垂仁天皇の「活目入彦五十狭茅天皇」というのと名前が被っているのが気になるところです。この武振熊は、後の仁徳天皇の時代、飛騨国の宿儺というのが乱暴というので討伐に行かされています。この宿儺というのは、身体は1つで2つの顔があり、左右それぞれ剣を佩いて、4本の手で弓を射たと記録されています。呪術回戦で言うところの両面宿儺という奴ですね。




