乙巳の変 その2 入鹿暗殺の場面
本日は、乙巳の変のクライマックスです。
日本書紀によれば、皇極天皇4年の6月8日、中大兄皇子は蘇我倉山田麻呂に「今度、三韓の使者が来たときに、入鹿のこと殺っちゃうから、上表文読む役をやってよ」と持ち掛けます。
決行日は6月12日です。日本書紀によれば、皇極天皇が大極殿にいて、そのそばに古人大兄皇子(舒明天皇の子)が侍しています。蘇我入鹿は丸腰。入鹿は常に剣を帯びているとのことですが、このときは俳優に適当なことを言わして、剣を外させていたということです。
蘇我倉山田麻呂が上表文を読み始めると、中大兄皇子は大極殿の12の通門をすべて閉めさせ、誰も行き来できないようにしました。そして長槍をもって大極殿の影に隠れて機会をうかがいます。また中臣鎌足から推薦された佐伯連子麻呂と葛城稚犬養連網田に、海犬養連勝麻呂を通じて2本の剣を授けてます。
そして、蘇我倉山田麻呂が上表文を読み終えた段階で決行です。日本書紀では、この辺りを詳細に描写しているのですが、このエッセイでは割愛。蘇我入鹿は中大兄皇子、佐伯連子麻呂、稚犬養連網田に斬られたのでした。
最後に、古人大兄皇子が自宅に逃げ帰り「韓人殺鞍作臣」と話したといいますが、その意味が分かりません。日本書紀では、ここで「謂因韓政而誅」と注釈を入れています。「韓政ニ因リテ、而シテ誅サルルト謂フ」で合ってますでしょうか?




