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三国真人の分からないところ

 今週は聖武天皇が検証した「三国真人、石川朝臣、鴨朝臣、伊勢大鹿首」についてみていきます。トップバッターは三国真人とします。

 「真人」というのは天武天皇が定めた八色の(かばね)の筆頭です。(かばね)というのは、氏に与えられる称号のようなものです。ということは、三国真人は三国氏というべきであり、「真人」という(かばね)が与えられていることからすれば、相当の氏族であったことが予想されます。

 公式における「三国」の初見はどこでしょうか? 継体天皇紀に、三尾君(みおのきみ)堅械(かたひ)の娘の倭媛を娶って生まれた子に椀子(まろこ)皇子というのがいて、これが三国公の先祖としています。日本書紀(公式)登場の貴族としては、比較的新しい氏族といえそうです。

 舒明天皇の代になると、三国王というのが登場します。その父母はよく分かりませんが、山背大兄王の使者として、蘇我蝦夷との間を何度か行き来しているようです。この三国王が三国氏とつながるかどうかはよく分かりません。

 孝徳天皇の時代では、三国麻呂公というのが登場して、天皇の側近として蘇我倉山田麻呂について謀反の尋問をさせるなどしています。

 日本書紀(公式)における三国氏についての事績はこのような感じです。あまり大きな事績を残しているようには思えず、これがどうして「真人」という筆頭の(かばね)をもらっているのか、自分には謎です。あるいは、当時の朝廷は、継体天皇をひとつの画期とみて、これに連なる氏族だったので三国氏を顕彰したのかもしれません。

 ちなみに継体天皇は、母親が越前国坂井の「三国」出身であり、継体天皇も「三国」で天皇の跡継ぎとして迎え入れられています。

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