表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

150/191

押坂彦人大兄の一族

 天皇を男系で考えたとき、天智天皇や天武天皇の正当性を支えるには、押坂彦人大兄まで遡らなければなりません。ところが、その押坂彦人大兄が日本書紀(公式)での記述が極めて薄く、母親の広姫も皇后に立てられて1年も経たないうちに死亡していたり、広姫の父親の息長真手王も出自がはっきりしないというので、その出自は本当に立証されているのか、疑問であります。そういう人物がいたというのは間違いないのでしょうが、それでは本当に皇族だったかというと、そうではなかった可能性があるのではなと、自分はみます。

 押坂彦人大兄の子で、後に天皇となった舒明天皇も、即位するまでの経歴がほとんど記述されてないというのも、不自然な感じがします。先代の推古天皇の時代、日本書紀(公式)の記録は本当に豊かです。これほど詳細な記録がある中で、次代の天皇の記録がほとんどないというのは、どういう事なのでしょうか。

 こうしてみると、真実は、舒明天皇は天皇として即位してなく、舒明天皇の記録は、天智天皇・天武天皇の父親の武勇伝をまとめたものではないかと、想像したくなります。

 押坂彦人大兄の系譜では、このほかに舒明天皇の皇后となった皇極・斉明天皇と、その弟の孝徳天皇がいます。この2人は、蘇我氏に近い人物だった可能性があります。内外に勲功を立てた舒明天皇と、蘇我氏に近い皇極・斉明天皇、そしてその弟で謀略に長けた孝徳天皇のトライアングルで一族の権力が高まっていき、後の天智天皇・天武天皇の時代に続いていったと見ることは可能でしょうか?

 誰か、そういう歴史小説、頼む!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ