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押坂彦人大兄の系譜

 天武天皇や天智天皇については知っている人は多いと思いますが、その父親の舒明天皇や母親の皇極・斉明天皇まで押さえている読者は限定されるのではないでしょうか。その舒明天皇の父親の押坂彦人大兄のことまで知っている人は、ごく少数とみますがいかがでしょうか。そこで今週は、押坂彦人大兄の系譜を特集していきたいと思います。

 押坂彦人大兄は、敏達天皇の第一子で、母親は息長真手王の娘の広姫です。日本書紀(公式)古事記(インディーズ)では、押坂彦人大兄の別名を麻呂古(まろこ)皇子としています。日本書紀(公式)では、敏達天皇の4年1月9日に広姫を敏達天皇の皇后としています。しかし広姫は、その年の11月に死んでしまって、翌年の3月に豊御食炊屋姫尊を皇后としています。豊御食炊屋姫尊は欽明天皇と蘇我稲目の娘の堅塩媛との間の子で、敏達天皇とは異母兄弟姉妹ということになります。広姫が皇后に立てられて、その年のうちに死んでしまったというのは、なんとも不自然な感じがします。

 広姫の父親である息長真手王は、日本書紀(公式)でも古事記(インディーズ)でも出自がはっきりしません。息長真手王の娘の麻績郎女が敏達天皇の祖父である継体天皇に嫁いだという記述があるけれども、継体紀で登場する息長真手王と敏達紀で登場する息長真手王が同一人物であるとすれば不自然です。

 押坂彦人大兄は、日本書紀(公式)では目立った記録がありません。謎だらけの人物と、自分はみます。

 

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