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中臣烏賊津使主

 今週は中臣氏特集です。今回は、景行天皇の時代です。

 景行天皇の時に登場するのは、人物というより神様です。

 熊襲が背いて景行天皇が筑紫の国に行ったときのことです。土蜘蛛と戦う際に3柱の神に祈っているのですが、その神というのが志我神、直入物部神、そして直入中臣神でした。

 そういえば、神武天皇の時代に筑紫の娘を娶らせたのが中臣氏の先祖の天種子命でした。こうしてみると、中臣氏の出自は筑紫国にあったのではないかと疑いたくなります。

 仲哀天皇の時代になると、中臣氏の人物名がはっきりと出てきます。仲哀天皇が急死(謀殺?)したときに、神功皇后から「このことは秘密にしておこう!」と言われたのが、武内宿禰、大三輪大友主君(おおともぬしのきみ)、物部胆咋連(いくいのむらじ)、大伴武以連(たけもつのむらじ)とともに、中臣烏賊津連(いかつのむらじ)でした。その後、神功皇后は、武内宿禰に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主(いかつおみ)審神者(さにわ)(神託を聞いてその意味を解釈する人)としたということです。

 中臣烏賊津使主(いかつおみ)は、地味な役所ではありますが、けっこう長生きです。仲哀天皇の5代後の允恭天皇の時代、皇后の妹の弟姫(衣通郎姫)を呼び出す使いをしています。

 この皇后は、忍坂(おしさか)大中姫です。自分は、このオシサカというのはひとつのキーワードであると考えています。ここに中臣氏との接点があったんですね。

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