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土師氏の記録 その1
今週は土師氏特集です。今回は、その後の土師氏について、日本書紀の記録を拾っていきましょう。
まず、雄略天皇の時代です。雄略天皇が土師連に「器を献上せよ」と命じたところ、土師連吾苟が、摂津国の久佐々村、山背国の内村、伏見村、伊勢国の藤方村と丹波、但馬、因幡の人々を献上しました。これを贄の土師部と名付けたということです。人々を献上したというのは、器を作る職人を派遣したということでしょうか?
この贄の土師部というのが、安閑天皇の時代にも登場します。このとき廬城部連枳莒喩の娘である幡媛が、物部大連尾輿の首飾りを盗んで春日皇后に贈ったということがありました。このことが発覚すると、枳莒喩は、娘を召使として献上した上、安芸国の廬城部屯倉を献上し、娘の罪を償いました。贄の土師部が登場するのはこの次です。この件では被害者であるべきはずの物部尾輿は事件と関わり合いになることを恐れ、大和国の十市部、伊勢国の来狭々、登伊の「贄土師部」や、筑紫国の胆狭山部などを献上したということです。




