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土師氏の祖野見宿禰

 今週は土師氏特集です。今回は、土師氏の出自について見てみましょう。

 土師氏は、野見宿禰の後裔とされています。新撰姓氏録によれば、野見宿禰は天穂日命の14世孫とされているようです。天穂日命は、素戔嗚尊が天照大神の前で身の潔白を証明するために、天照大神が角髪と腕に巻いていた、八坂瓊の五百箇の御統(すみまる)を噛んで吹きだした時に生まれた神であり、日本書紀(公式)では「出雲土師連」の祖とされています。

 話を野見宿禰に戻します。

 野見宿禰が登場するのは、日本書紀(公式)の垂仁天皇の時代です。垂仁天皇が、当時、当麻邑(たぎまのむら)にいた当麻蹶速(たぎまのくえはや)と出雲の野見宿禰とを力比べさせました。このとき野見宿禰は当麻蹶速のあばら骨を踏み砕き、腰を踏んで殺しました。そこで垂仁天皇は当麻蹶速の土地を没収して、すべて野見宿禰に与えたということです。

 野見宿禰のエピソードはもうひとつあり、これも垂仁天皇の時代のことです。皇后の日葉酢媛命が死んだとき、天皇がその葬送方法を群臣に問うたところ、野見宿禰が「陵墓に人を生き埋めにするのはよくありません(当時は殉死の風習があったと伝えています)」と言って、埴輪を作って天皇に献上し、これを陵墓の周りに立てさせることしたということです。つまり、埴輪の考案者ですね。

 播磨国風土記によれば、野見宿禰の墓は、播磨国立野にあるそうです。出雲の国へ行き通っている途中、日下部の野という場所で宿をとったところ、病気となってこの地で死んだということです。


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