第12夜 悲劇の岐路
前回のあらすじ
魔女が悲劇を連れてやって来た。
少年は一体目の前で何が起こったのか分からなかった。
「お母様‥‥?」
傍にいたメイドはあまりの恐怖に逃げ出す中、少年は1歩、1歩、覚束無い、ふらついた足取りで倒れ伏したその人の下へ行く。力尽きるように少年は地面に膝をつくと、その人に手を伸ばした。しかし、伸ばした手に温もりはなく、ただ冷たくて‥‥赤く濡れていた。ドレスはもう青い部分は一つも無く、真っ赤に染まって、先程いた優しい誰かが生きていないことを少年に伝えていた。
「お母様、お母様‥‥。起きて下さい。」
だが、まだ幼い少年は受け止め切れなかった。例え、死んでいたとしても、まだ生きていて欲しかった。まだ生きて、大丈夫だと言って欲しかった。
だというのに‥‥その人は動かない。
「ああ‥‥ああ‥‥おかあさま‥‥。」
そんな呆然とする少年に魔女は心底、お腹を抱えて嘲笑する。
「良い顔ですねぇ、王子よ。」
その声に少年はハッとして顔を上げる。そこには中庭の中を水槽の中の魚のように浮いて悠々と宙を舞う魔女がいた。コゴウがそんな魔女を切り伏せようと剣を振るうが、魔女はコゴウの剣を実に鮮やかに軽く躱す。まるで霞に向かって剣を振るっているようだとコゴウは歯噛みした。一方で魔女は王子を嘲笑う。
「そんな王子に慰めを。貴方のお母様は8年後には同じ死因で死ぬ予定でした。それが今日になったというだけ。手配していた実行係おもちゃ、いえ、人間がボクの上司に取られてしまったのでね。仕方なくボクが直接手を下すことにしたのですよ。」
「上司‥‥。」
コゴウは先程から剣を振るい続け、息が上がり肩で呼吸をしながら、その魔女の言葉に引っかかるものがあった。王妃の殺害を早めたというその発言にも憤りを激しく感じたが、実に彼はそこはプロであった。彼は冷静に、魔女を観察し、その正体を探る。
「クレムディの魔女‥‥上司‥‥。」
聞いたことがある。かなり幼い頃に。‥‥当時の騎士団長であった父が顔面蒼白で帰ってきたあの日。魔族との交戦中に見たという恐怖。勇猛果敢、大胆不敵、そんな肩書きを持っていた父でさえも恐怖という暴力を見たと言っていたあの日の話の中で彼は語っていなかったか?魔女‥‥悪魔‥‥怪物‥‥それを従わす上位の存在について。
そう、確か、それは。
「‥‥“王”‥‥!」
そう、王だ。父が見たというそれ、彼でさえもあまりの恐怖から逃げ帰ってきたという“王”。まさか‥‥この魔女は‥‥!
だが、そこでコゴウの思考は打ち切られる。
その喉を“貫かれた”から。
「が‥‥あ‥‥っ!」
「鬼門でしたねぇ‥‥。貴方を殺すつもりはありませんでしたが、ボクでさえも呼ぶことを許されないその名を出されては困ります。‥‥腸が煮えくり返るので。」
コゴウの背後からそう魔女の酷く憤っているような低い声が響く。喉を短剣が貫いていて、コゴウは一言ももう声を発することはもう出来ない。しかし、まだ頭は動く。コゴウは死にかけるその頭で、魔女の言葉を理解しようと回す。この者の正体を探ろうと足掻く。しかし、その頭も次の瞬間‥‥消えた。
何が起こったのか、魔女以外分からなかっただろう。
ただ大量の血液と真っ赤に濡れた服が魔女の前で飛沫となって落ちる。カランッ、と乾いた音と共にコゴウの剣が持ち主を亡くして、中庭に転がった。
魔女は先程とは打って変わって笑うこともなく、ただ静かにその血溜まりに怒りをぶつける。
「‥‥ボクが許されていないことを、他人が‥‥それも彼の何一つだって知らない者の口から語られるのは、非常に癪です。既に消えていますが言わせてください。‥‥不敬だ、死ね。」
それは魔女が抱えるその上司への真摯な忠義であり、非常に歪んだ忠誠心であった。彼女はその上司を知る者以外、彼を語ることを許していない。その為にコゴウは死んでしまった。魔女の鬼門を彼は本当に土足で無遠慮に不用心にも踏み込んだのだから。
だが、それが分かる者はそこにただ一人だっていなかった。
「なんで‥‥!」
唯一、そこで生き残った少年、ミカエラは魔女が理解不能だった。
実行役とは、なんだ?
上司とは、なんだ?
何故?母を殺した?
何故?じいを殺した?
何故‥‥!
「‥‥全部殺した‥‥!!」
湧き上がるは激情。それが怒りなのか、悲しみなのか、信じられない現状への反抗か、追い込まれた故の焦りか‥‥。ミカエラにはわからない。だが、一つだけ言える。
その激情は全て、この魔女に向かっているということ。
その激情は咆哮になり、力になり、立ち上がる動機になる。ミカエラは後先も考えず、鍛錬用の剣を握り、魔女に向かっていった。しかし、まだ幼子、そんな剣は魔女から見れば、陳腐な勢いだけあるつまらない芸でしか無かった。ミカエラの剣を軽々と避け、魔女は彼を嘲笑う。
「あはっ、なんて稚拙なのでしょう!実に弱い!そんなものでボクを殺そうとするのですか?」
「煩い!」
そう絶叫してミカエラは剣を振るう。だが、それを易易と魔女は避けると悠々と屋根の上に浮かび上がり、そこに立つ。ミカエラはそれを見て、悔しげに舌打ちした。
「貴様、逃げる気か!?」
「逃げるも何もボクの仕事は終わったのです。幼子の癇癪を宥めるなんて仕事はありませんし。」
その魔女の言葉にミカエラは激しい屈辱を感じる。それは侮辱であり恥辱であった、1人の人間として扱われていない。幼子と一蹴され、ミカエラは人生で初めて、激しい怒りに襲われた。しかし、その怒り以上に湧き上がる無力感。あの魔女がこちらに来なければ、自分は相手出来ない。敵が手加減しなければ、まともに戦えない。ということは、今戦っても末路は自身の母と恩師と同じになるだけだ。
「‥‥く、くそ‥‥!!」
「おや、王子もクソだなんて言葉知っているとは思いませんでした。」
魔女はどこまでも王子を馬鹿にする。そうして少年のプライドも幸せも希望も全て嘲笑し、壊していく。そして、魔女はトドメを刺すように実に楽しげに彼に告げる。この先、輝かしい未来がある筈の彼に、真っ暗な未来を与える為に。
「ああ、王子!詫び代わりに教えましょう!この魔女の未来視を告げましょう!そう‥‥貴方はこの先、どうしようもない恋に溺れるでしょう。」
「!?」
「ですが、恋に溺れる先をよくお考えになって下さいね?貴方には三通り程、別々の相手との未来がある。しかし、その内2人はフローレンスの栄光に繋がりますが、たった1人は決して選んではいけない未来に繋がっている。フローレンスにとっても、人間という種族にとっても、悪い未来です。‥‥そして、その道はボクが望む道でもある。」
「なんだと‥‥。」
「御賢明な判断を。懸命にお選びください。では。」
そう告げるだけ告げてその場から魔女は何の気配も残さず消える。‥‥ただ、その場にいたことだけを示す惨劇の痕跡だけを残して。
そんな惨劇の真ん中で、ミカエラは力なく膝から崩れ落ちて、顔を手で覆った。
「ああ‥‥。僕は‥‥。」
何と弱いのだろう。
一方。
議会場もまた惨劇の悲劇の中にあった。
黒いローブの一団は丸腰かつ完全に気を抜いていた貴族達を次々と殺していった。目的や正体を全く明かさず、悲鳴をあげる彼らを次々と殺し、華美な装飾に満ちた議会場を真っ赤に染め上げた。宮殿の近衛兵が騒ぎを聞きつけてやって来た時には殆どの貴族が死しており、命からがら逃げ出した貴族以外、かろうじて命を繋いだ者はいなかった。
しかし、何故か不思議とその一団は近衛兵がやって来るといきなり殺戮を止め、移動魔法を発動し、消え去った。
全く謎の襲撃となってしまったが、被害だけがとにかく甚大で、命からがら逃げ出した1人であるグローゲンは足を引きずりながら、歯噛みした。
「帝国の回し者か‥‥!まさか、我らを直接叩きに来るとは‥‥!!」
だが、そんなグローゲンに悲報は続く。
「宰相様‥‥!」
「一体どうした?」
「王妃様と騎士団長殿が‥‥!!」
「‥‥!?」
グローゲンはその報告に耳を疑った。
クレムディの魔女を名乗る魔女に2人が殺されたというのだ。‥‥近衛兵がこちらの騒ぎにかかりきりで気づかなかった内に、襲撃されたのだ。一緒にいた王子だけが生き残り、今、城の者が介抱しているが精神的ショックが大きいのか、茫然自失だと言う。
報告は最悪の事態を示していた。貴族が死に、王妃が死に、騎士団長まで亡くなったとなれば‥‥此度の帝国との戦争は‥‥!!
「‥‥我が王に王命の発令を。急ぎ、指揮系統を復活させ、守備を固めよ、と。この事態を至急回復させるぞ!」
そう力強いグローゲンの言葉にそばにいた近衛兵は一斉に敬礼をする。
グローゲンは焦っていた。前代未聞の事態に、油断ならない状況、自身の手腕が試されていた。
しかし、彼は知らない。
更なる追い討ちがあることを。
彼は未だ知らない。




