第13夜 思惑は人知れず。
前回のあらすじ
フローレンスの悲劇‥‥序幕。
深夜、辺境伯領。マイネス辺境伯宅。
玄関が何の前触れも無く、開く。
それに驚いて、玄関前で主人の帰りを待っていた使用人達は思わず、飛び上がり、その玄関を見た。
すると、そこには先程まで帰りを待っていた主人がいつもの無表情と無言で玄関から入って来ていた。
「お、おかえりなさいませ!御領主!」
「お怪我はありませんか!?」
6人いる使用人がそれぞれ慌ててそう挨拶するが、ふと、使用人達は一斉に気づく。
あれ?シヴァリエ様は‥‥?
使用人達はジッと自身の主人の方を見る。‥‥そこに彼らにとって信じられない光景があるとも知らずに。
主人であり恐怖の男、ハルトの腕の中‥‥そこで安心しきったようにぐっすりと眠るシヴァリエ嬢‥‥。少女のその寝顔は幸せそうにも見えた。その少女だけを見れば、今日あったことも含め、実にホッコリする風景だろう。しかし‥‥抱えている人間が人間な為、見ているこちら側としては全くほっこり出来ない上に、その風景のちぐはぐさにゾッとしてしまうレベルである。
「‥‥お嬢様‥‥。」
「‥‥だ、大胆不敵‥‥。」
「まるで、ドラゴンの口の中で眠る子猫を見ている気分っ‥‥!」
使用人達は皆、一様に動揺したが、ドラゴンうんたらと語ったシーラだけはグラスゴーに口を塞がれた。
しかし、使用人達の戸惑いの元凶である当のハルトは彼らの事など眼中にないのか、実にいつもの通りの無表情で、淡々とその使用人を呼んだ。
「アンナ。」
「はいい!?」
突然呼ばれたアンナは何事かと背筋を思わず伸ばし、ハルトの下へ急ぐ行く。そうしてハルトは自身の腕にいるその小さなお嬢をアンナに渡そうとした。それをアンナが傍にいるだけで自身が死にそうな恐怖に怯えながら、受け取ろうと恐る恐る手を伸ばす。
その最中、グラスゴーはハルトに報告した。
「王都より、至急、宮殿に来いとの命令が出てますが、どうされますか?」
それは5時間程前に通達された命令だった。宮殿内に敵が押し入り、貴族の当主達が7割程殺され、今、宮殿内は大混乱に陥っている。‥‥もちろん、その混乱には王妃や国防の要である騎士団長の死もあるのだが、通達された情報には宮殿側の意図で省かれていた。
その命令にハルトは即答した。
「断る。」
その言葉にグラスゴー以外の使用人は息を飲んだ。一領主でしかないハルトが王都からの命令を断れるはずは無い。しかし、ハルトは当然のように断った。‥‥まるで従う意味がないとばかりに。
しかし、この寡黙な人物は理由を言う気はさらさら無いようで、それ以降口、を開ける気配は無かった。だが、グラスゴーだけはその意図を正確に読み取った。
「‥‥!もしや、来るのですか!?帝国軍が。」
驚きを持ってグラスゴーがそう信じられない様子で確認すると、ハルトは端的に、かつ的確に短い指示を彼らに言い渡す。
「8時間後には迎撃できるようにしろ。」
「!?」
その言葉にシーラは思わず仰け反った。事はおそらくそこまで急いている。しかし、考えてみれば、今日、この主人の腕の中で眠る少女をこのタイミングで連れ去るのは、確かにそれだけ戦火が近いことを示していた。
‥‥ん?主人の腕の中で眠る少女?
アンナも含め使用人達は、何故か未だハルトの腕の中に眠るシヴァリエに疑問を持ち、二度見する。もう既にタイミング的にアンナが抱えていてもおかしくないのだが‥‥何故、未だハルトは渡さないのだろうか?
そうして見て‥‥理解した。ハルトは確かにアンナにシヴァリエを預けようとしていた。しかし‥‥。
ぎゅっ
腕の中で幸せそうに眠るその少女はしっかりとハルトの服を掴んでおり、そのまま眠っていた。しかも‥‥ちょっとやそっとでは離れないほどに強く掴んでいる。
「‥‥そんなに好きなんですか‥‥。お嬢様。」
玄関で一同、無言になる。長い沈黙が降りた。
ややあってハルトはそんな少女を見ながら、じっと思案し‥‥やがて、シヴァリエを抱えたまま、戸惑う使用人達の前を通り過ぎるように歩き出し‥‥そして、シヴァリエの部屋にいつもの無表情のまま、平然と入った。
そんな様子を使用人達は壁越しに見送り‥‥あまりの驚きから真顔になる。そうして真顔のまま、アルカがボソリと言った。
「お嬢様をさっさと寝かせてハルト様が出てくるまでの時間、1分に銀貨1枚。」
それにドワーフの彼が。
「2分に銀貨2枚。」
リザードマンが。
「1分30秒に銀貨4枚。」
シーラが。
「3分に銀貨2枚。」
そして、アンナが。
「4分、4分に私は3枚賭けます‥‥!」
そんな彼らにグラスゴーは顔に手を当てると悲嘆にくれた。
「お前達‥‥!そのハルト様を賭けにするな!使用人としてどうなんだ!?だいたい、その信用の無さはなんだ!?お嬢様をハルト様が優しくしないとでも!?」
そのグラスゴーのツッコミに、使用人達が一斉にグラスゴーを見た。
「だって、絶対そんなの無いって思うじゃないか?」
「ハルト様に優しさなんて、想像つかん。」
「確かにお嬢様に甘い、という印象はあるが、あれだな。今までが今までで信じられない。」
「何かもう逆にお嬢様が信じられない。」
「多分、あの人、ゴミを見つけても絶対拾わないタイプだもん。お嬢様が甘えているから答えているだけで、きっと無関心じゃね?」
散々である。グラスゴーは頭を抱えた。
「お前達は失礼過ぎるだろ‥‥。もしかしたらとか実はとかないのか!?ハルト様がお嬢様を大切にしているというのを信じないのか!?」
だが、そう言い募るグラスゴーにアンナは半眼で横目に見ながら、聞いた。
「んじゃ、そう言うグラスゴーさんはどのくらいで出てくると思います?」
「‥‥5分。」
「私らとどっこいどっこいじゃないですか!?」
説得力無しである。グラスゴーは言い訳するように吠える。
「何故って、想像つかないんだよ。ハルト様がお嬢様のみならず、他人に心をお砕きになるとか!?今回の件も若干未だに信じられない!この2週間、お嬢様の勉強をお見になったり、わざわざ遠方から家庭教師をお呼びになったり、はたまた助けに御自身自ら行ったなども!!‥‥明日は領地が滅びる日か‥‥。」
「冗談でも困ることを言うな!でも、分かる!!」
そう、使用人達にとって、ハルトの行動はその真意が分からない。というより、それが彼の温情からなのか、はたまた何か目的があっての懐柔なのか分からないのだ。ハルトを怯えないお嬢様も彼らには理解不能だったが、それ以上に人が変わったようにさえ見える主人はもっと分からなかった。
ただ一つ言えるのは、使用人達がそうこうしている内に既に、ハルトがシヴァリエの部屋に入ってからゆうに十分以上経ち、この賭けに全員負けたということだった。
使用人達がハルトを賭け事にしている頃。
ハルトはその小さな少女を実に丁寧にベッドに降ろすと、毛布を彼女にかけ、そのベッドサイドに腰を下ろした。
彼の目はじっと目の前で幸せそうに眠る彼女に注がれている。その目に一体どんな感情があるのか、彼女をどう思っているのか、誰にも図ることは出来ない。ただただ無表情。しかし、それでも彼は彼女の眠りを邪魔することは無かった。
と、そこへ。
「まあ、寝顔も可愛いのね。この子。」
ハルトはその声がした方向へ、分かりきっていたような動きで目を動かす。
そこにはいつの間にこの部屋に入ったのか、カタリナがシヴァリエの部屋にある椅子に座って楽しげに微笑んでいた。
「可愛いものは本当に大好き。うふふ、貴方の許しがあれば、今すぐにでも食べたいわぁ。」
「‥‥。」
「えー許す気全く無し?授業料要らないから、その御御足だけでも舐めちゃダメ?」
「‥‥。」
「ああ、ダメ、ダメなのね。えー‥‥。」
カタリナは部屋の気温が絶対零度になった気がしながら、自分が何か言う度に無言で睨む彼に不満げに頬を膨らませた。今日も山火事一つ消したのに本当に割に合わない。しかし、ここで彼に歯向かうと自身の至福の時間‥‥おっと、シヴァリエの授業を行う家庭教師から降ろされるので黙っていた。毎日、自分のタイプである可愛い女の子といちゃつけるという幸福が無くなるのは耐え難い。
カタリナはそこで話を変えた。
「ところで‥‥本題なのだけど。‥‥1人、逃したけど、どうなさるの?」
彼女が指摘しているのは、今回のことを起こした魔族のレーテンブルグ侯のことだった。何故、彼女が彼を知っているのか。疑問は尽きないが、ハルトはそんな彼女を当然のように受け入れていた。
「‥‥明日だ。」
カタリナの疑問にハルトはそう答える。その返答自体には何の感情も抑揚も無かったが、カタリナはその返答にゾッとした。つまり、彼はあの時、マルケレしか気づいていなかったのではなく、わざとレーテンブルグ候を見逃したのだ。
(ご愁傷さまね。)
カタリナは大して縁がないが、それでも不運な彼にそう内心、届かないとしても投げかける。そうして、ご愁傷さま、という自分の言葉で、思い出した。
「あっ、そう言えば、今日のあれ、やりすぎじゃなくて?」
あれ、とはフローレンスの襲撃の件である。あの魔女に一任したと聞いた時は耳を疑ったが、そうだとしても“これから何が起こるのか知っている”為に、やりすぎだと彼女はハルトに告げた。自分達は殺戮者ではないのだ、“調停者”だと彼女は自負している分、その思いは強かった。そんな彼女にハルトはやはり無表情だった。しかし‥‥。
「‥‥邪魔が出た。」
「邪魔‥‥?」
「8年後では遅く、今しか無い。」
「!?」
その言葉にカタリナは目を見開く。
8年後?8年後と彼は言ったか。その具体的な数字にカタリナは目を細める。それに邪魔と来れば、一つしかない。
「もう、動いたというの?」
「まだ単独だ。」
「ならば、殺せば?」
「今は時期ではない。」
カタリナは頭を抱える。まだ1人だけだが‥‥おそらく自分達でさえも手を出すには今は不可能なところにそれはいるのだろう。カタリナはその綺麗な顔を苛立ちに歪めた。まるで怪物のような‥‥ラミアという本来の姿を思い出すようなおどろおどろしい表情を。
だから、これだけのことを起こす必要があったのだ、向こうが思う“予定調和”を崩すために。むしろ、これだけでは足りないかもしれない。
「だが‥‥。」
珍しく、ハルト自ら声を出した。
「こちらには“切り札”がある。」
そう言って、彼は視線を自身の傍ら‥‥その少女に注ぐ。そうして、そのあどけない穏やかな寝顔の彼女の髪に指を入れて梳いた。滑らかなその髪は緩やかにハルトの指の間を通って、窓から降り注ぐ、半分だけしか出ていない月の光を反射した。
その様子を見て、カタリナは息を呑む。
彼が考えていることが一つとして分からない。
今、壁の向こうで騒いでいる使用人達と同じく、どういう気持ちと思惑で彼女にここまでしているのか分からない。彼らが戸惑うのも仕方が無いほどに‥‥本来の彼は、実に残虐で合理的で冷徹な人間なのだ。
「シヴァリエが成長するまでだ。予定調和など崩し、その行動を阻害する。」
また珍しいその長々とした言葉は本当に淡々としていて、感情が無い。しかし、その内容は‥‥恐ろしく‥‥他人の犠牲すら当然だと彼が考えていることを示していた。
カタリナは恐怖する。
元々この目の前にいる人物は誰からも恐れられる存在だったが、本当に恐怖するに値する存在なのだ。彼女でさえもこの場から逃げ出したいものがある程に。
だが。
だが、そんな彼の言葉を聞いて、彼の過去と、その正体と、その目的を知る彼女はそれでも彼について行きたいと恐怖以上に狂喜した。
「分かりましたわ。我が主‥‥!貴方の御心のままに‥‥!!」
カタリナの表情は恍惚として蕩けている。その瞳は潤み、口元はだらしなく垂れている。どうしようもなく興奮しているのだ。この主に。その主の元で動けることに。その手足であることを、脳も下半身も身体全てを持ってしても足りない程に興奮する。それだけの存在なのだ。彼は!
カタリナはそう自身の主に告げて、どこかに向かうようにその場から消えた。
そんなカタリナを見送ること無く、ハルトは視線をシヴァリエから動かさないまま、小さな彼女の柔らかな髪をゆっくりと丁寧に梳く。
その表情は本当に無表情だったが、その瞳はどこか燃え上がるような感情を稀なことに映していて、シヴァリエも確かに映しているのにどこか別の場所を見ていた。




