第9章:和の兵法 — 「根回し」と「相互理解」
テイコク電機の大型コンペで、圧倒的ロジックを掲げたネクスゲートを撃破してから数日。営業二課には、かつてない活気と穏やかな空気が満ちていた。
しかし、奏の視線はすでに「勝利の余韻」ではなく、その先に生じる「戦後処理」に向けられていた。
「新渡戸くん、テイコク電機の正式契約書、無事に交わし終わったよ! 陣内部長も『最高の提案をありがとう』ってすごく喜んでくれてた」
結衣が笑顔で報告する。だが奏は、手元のPC画面に表示された組織図を見つめたまま、静かに口を開いた。
「佐々木殿。契約の締結は単なる通過点に過ぎません。真の危機は、往々にして『勝利の直後』に訪れます」
奏が警戒していたのは、クライアント内部の「派閥間の摩擦」だった。
今回の提案は、陣内部長と現場エンジニア層の強い支持を得て採用された。しかし、当初ネクスゲート案(コスト50%削減)を強く推していた「経営企画側の役員層」にとっては、自らの面目を潰された形になっている。
(組織において、排除された勢力の不満を放置することは、将来的な内部クーデターや計画の足引っ張りを誘発する……。ゼノビア帝国でも、これで幾多の征服領域が内乱に陥った)
奏は即座に行動を開始した。
「課長、経営企画部の担当役員・高橋常務との個別の面談を設定してください。正式なプロジェクト発足前の『ご挨拶』です」
「高橋常務かい? うーん、あの方は今回のコンペでネクスゲートを推してたから、うちに対して良い感情は持っていないと思うが……」
「だからこそ、です」
数日後。奏は高橋常務の執務室を訪れた。
予想通り、高橋常務の態度は冷淡だった。
「新渡戸君かね。プレゼンは見事だったよ。……だがね、我が社としても野心的なコスト削減を経営陣に約束していたんだ。君たちの案で現場が守られたのは結構だが、経営視点での数字のコミットメントとしては、物足りなさを感じざるを得ないな」
露骨な牽制。
だが、奏は一歩も引かず、完璧なお辞儀を捧げた後、一冊の追加レポートを差し出した。
「高橋常務。そのご懸念、誠にご尤もでございます。故に我が社は、今回のプロジェクト推進に伴う『第二フェーズ:間接部門の業務フロー自動化案』を策定いたしました」
高橋常務が眉をひそめてページをめくると、そこには営業二課の管轄外である経営企画・総務部門のDXシミュレーションが緻密に描かれていた。
「現場の運用を守った第一フェーズに加え、この第二フェーズを導入することで、2年スパンで見た全社コスト削減率は『52%』に達します。そしてこの成果は……『高橋常務が主導された全社構造改革の功績』として役員会へご報告いただく形をとります」
「な……なに?」
高橋常務の目が丸くなった。
奏は静かに、しかし圧倒的な誠意を込めて語りかけた。
「我が社の目的は、自らの勝利を誇ることではありません。テイコク電機様という『一つの集団』が、経営層と現場層の双方において最大の利益を得ることです。高橋常務の経営的視点と、陣内部長の現場的視点……その双方が揃って初めて、このプロジェクトは完成いたします」
自らの面目を保たれるだけでなく、当初の目標以上の成果を「自分の功績」として手に入れられる。
高橋常務の顔から険しさが消え、深い感嘆の色が広がっていった。
「……君は、勝者でありながら、敗者の面目まで立てようというのか」
「敗者など存在しません。我々は同じ船に乗る『同盟軍』でございます」
高橋常務はゆっくりと頷き、奏の手を強く握り返した。
「分かった。全社プロジェクトとして、私が責任を持って予算と体制をバックアップしよう。……新渡戸君、君は恐ろしい男だな」
会社への帰り道、夕暮れ時の街並みを歩きながら、結衣が感心したように息を吐いた。
「すごかったね、新渡戸くん……。敵になりそうだった高橋常務まで、一瞬で味方にしちゃうなんて。これぞまさに『究極の根回し』だね」
「根回し……」
奏はその言葉を噛み締めた。
かつての自分なら、反対派など論理で叩きのめすか、権力で抑え込んでいただろう。しかし、地球のビジネス社会で学んだのは「敵を作らず、関わる全員の面子と利益を守る」という『和の兵法』だった。
(勝利とは、敵を粉砕することではない。敵の存在そのものを消し去り、全員を味方に変えることだ……)
その時、奏のスマートフォンの画面が点滅した。
送信者は、コンペ敗北後にネクスゲートを去ったというサイモン神坂からだった。
『新渡戸さん。少し、話ができますか』
自らの敗北を認め、会社すら辞したライバルからの連絡。
奏は画面を見つめ、静かに返信を打ち込んだ。




