季節の戦術展開 — 「お中元」と「暗黙の事前調整」
テイコク電機の最終プレゼンまで、残り二週間。
ネクスゲートのサイモン神坂が構築した「圧倒的コスト削減」という強固な陣形を崩すため、営業二課は総力を挙げた決戦準備に入っていた。
そんな折、奏の視界に謎の「補給物資」の群れが飛び込んできた。
オフィスの片隅に積み上げられた、高級洋菓子やハム、素麺の箱。それらには「御中元」と書かれた熨斗が整然と貼られていた。
(これは……各勢力からの補給物資、あるいは貢ぎ物の類か……?)
奏が目を細めていると、結衣が名簿を手にやってきた。
「新渡戸くん、テイコク電機の陣内部長と、現場のエンジニアチーム宛のお中元の手配、完了したよ。送り状の宛名と部署名、ダブルチェックお願いできる?」
奏は即座に思考演算を開始した。
「佐々木殿。公的なプレゼンテーションを控えたこの時期に、特定企業へ物品を贈呈する行為は、軍律における『賄賂』に該当するリスクがあるのでは? 神坂殿に捕捉されれば、コンペ失格の口実を与えかねません」
結衣はくすっと笑い、首を振った。
「違うよ、新渡戸くん。これは買収じゃなくて『日頃の感謝』と『これからも良い関係でいましょうね』っていう、季節の挨拶。日本のビジネスにおける、大切なコミュニケーションツールなんだよ」
「……季節の挨拶……?」
買収や契約の対価ではなく、良好な関係性を維持するための「緩衝材」としての進物。
さらに結衣は、各部署のキーマンたちの名前が書かれたシートを取り出した。
「お中元を贈るだけじゃなくてね、プレゼン前に現場のリーダーや運用担当の皆さんに『いつもありがとうございます』って直接ご挨拶回りに行くの。コンペの前に、現場の困りごとをもう一度さりげなく聞いておく『根回し』も兼ねてね」
(お中元という名目のもとで、敵陣の現場へ自然にアプローチし、非公式の情勢探査と信頼構築を行う……! なんという極めて合法で洗練された索敵・対話プロトコルだ……!)
胸の奥でかつての学びが警鐘を鳴らした。
お中元は「あなた方を大切に思っています」という非言語の信頼シグナル。
そして事前のご挨拶回りは、正式な交渉の前に摩擦をゼロにしておくための「見えない気遣い」。
それらは言葉にせずとも相手の警戒心を解き、円滑な協力関係を築くための「気遣いの通信術」だったのだ。
「なるほど……理解しました」
奏の目が、鋭く光った。
「この『季節の挨拶』を偽装した現場探索……対テイコク電機戦における決定打として採用します」
翌日、奏はテイコク電機の現場エンジニアチーム宛に、お中元とともに「一筆箋」を添えて挨拶に赴いた。
そこには、単なる定型文の感謝ではなく、奏が自ら解析したテイコク電機の過去のシステム障害履歴に対するねぎらいと、現場スタッフ一人ひとりの泥臭い苦労を具体的に讃える言葉が、完璧な敬語で記されていた。
さらに、挨拶回りの場で現場のエンジニアたちから「実はネクスゲートの提案だと、夜間メンテナンスの時の手順が倍に増えて現場が寝られなくなる」という、プレゼン資料には載らない「現場の切実な悲鳴」を聞き出すことに成功した。
プレゼン数日前、テイコク電機の陣内部長から奏の携帯に直接連絡が入った。
『現場のリーダーから聞いたよ。君がお中元と一緒に持ってきてくれたメッセージと、夜間ワンストップ運用の提案……現場の連中が『自分たちの泥臭い苦労をここまで分かってくれているのは営業二課だけだ』って感動していてね。……ネクスゲートの神坂君からは、完璧なデータは届くが、現場への配慮が何一つ届かん』
陣内部長の声には、深い信頼が籠もっていた。
『数字やスペックだけじゃない。君たちは『うちの会社の一員』として現場と一緒に戦おうとしてくれている。それが伝わったよ』
「感謝いたします、陣内部長。我々は貴社の『現場』をすべて尊重した上で、最高の未来をご提案します」
電話を切った奏は、静かに拳を握りしめた。
ネクスゲートのサイモン神坂は、圧倒的な「論理」と「数字」で攻め立ててくる。
しかし、奏が手に入れたのは、論理を超えた「現場との絆」と「心のネットワーク」だ。
お中元の一言、事前のご挨拶回りにまで配慮を宿らせた異星の参謀。
日本の「形から入る気遣い」を完全に兵器化した奏は、ついに次章、すべての決着をつける最終プレゼン決戦へと足を踏み入れる。




