黒船の襲来 — 「純粋論理」という牙
社内の泥臭い人間関係や「空気を読む」という不条理なルールに対し、当初は激しい戸惑いを見せていた奏。しかし、結衣や同僚たちのサポートを受けながら現場の「気遣い」や「根回し」の真価を理解し始め、営業二課の中で少しずつ「チームで戦う」ことの有用性を実感しつつあった。
そんな彼らの前に、これまでの社内摩擦とは次元の異なる「明確な外敵」が現れた。
大手外資系ITコンサルティングファーム「ネクスゲート」。その国内展開プロジェクトを率いるシニアマネージャー、サイモン・神坂である。
「初めまして、新渡戸さん。噂は聞いていますよ。営業二課に、とんでもなく数字に強い新人が入ったと」
大型クライアントのコンペティションの場。営業二課の対戦相手として現れた神坂は、寸分の乱れもないオーダースーツを身にまとし、冷徹な笑みを浮かべていた。
彼が持ち込んだ提案書は、まさに「完璧」だった。
ネクスゲートの提示したシステムは、従来の半分のコストと三分の一の期間で導入可能。さらに、彼らはプレゼンテーションの場でこう言い放った。
「我が社のソリューションを導入すれば、面倒な部署間の事前調整や、現場の個人的な慣習に配慮する必要は一切ありません。すべてを標準化し、無駄な人間関係のコストを削ぎ落とします」
神坂の提案は、かつて奏自身が信奉していた「徹底した合理主義」そのものだった。
その日のコンペは、ネクスゲートの圧勝に終わった。
自社に戻った営業二課は、お通夜のような静けさに包まれていた。課長は力なく椅子に沈み込み、同僚たちも肩を落としている。自分たちが積み上げてきた泥臭い信頼関係や、現場への丁寧なヒアリングが、圧倒的な「コストとスピード」の前に一瞬で灰燼に帰したのだ。
終業後、社屋の屋上で夜風に吹かれていた奏の元に、神坂が足音もなく現れた。他社でありながら、堂々と役員フロアまで挨拶に来ていたらしい。
「まだ残っていたんですか、新渡戸さん」
神坂はタブレットを操作しながら、軽蔑の混じった視線を街の夜景に向けた。
「あなたの作成したデータ分析を見ました。素晴らしい。本来なら私と同じ側にいるべき人間だ。……なのに、なぜあんな非効率な『和』だの『配慮』だのにしがみついているんです? 日本の古い企業が落ちぶれたのは、まさにあのくだらない『空気を読む』文化のせいだ。無能な人間が身を守るための悪習ですよ」
奏は静かに神坂を見つめた。
かつての自分——銀河帝国ゼノビアの最高参謀ゼノ=ヴェルグであれば、神坂の言葉に100%同意していただろう。効率こそが正義であり、感情や人間関係など戦闘のノイズでしかないと。
だが、今の奏の脳裏には、これまで自分の見えないところでフォローを入れてくれた結衣や同僚、そして不器用ながら自分をかばおうとしてくれた課長の顔が浮かんでいた。
「神坂殿」
奏は深く、低い声で応じた。
「お前の言う通り、この国のシステムには非効率と不条理が満ちている。ハンコの角度に意図を込め、言葉の裏の気体を測定し合わねばならん。実に無駄が多い」
「なら——」
「だが」と奏は神坂の言葉を遮った。
「お前は解読できていない。彼らが運用する『調和』とは、無能者の逃避ではない。個と個が激しく衝突して自滅するのを防ぎ、土壇場で言語化不可能な威力を発揮するための……極めて高度に計算された『集団防衛システム』だ」
神坂は一瞬、呆れたように目を見開いたが、すぐに冷ややかな失笑へと変えた。
「情緒的なポエムですね。現実のビジネスは『数字』と『結果』がすべてだ。来月の大型案件……我が社があなた方の顧客をすべて奪い去ってみせますよ」
神坂は踵を返し、スマートな足取りで去っていった。
一人残された奏は、胸の奥で静かに燃えあがる「戦意」を感じていた。
(純粋論理のみで攻め立てる敵……かつての私そのものか。いいだろう)
奏は拳を固く握りしめた。
(日本の『和』と『気遣い』が単なる甘えではないことを、この異星の参謀が証明してみせる……!)
帝国式の冷徹な戦術眼と、地球で学んだ「空気と調和」のシナジー。奏の真の覚醒が、いま始まろうとしていた。




